いま世界発の経済危機が起きたら、日銀には何の方策もない
2018年08月07日
踊り楽しんでいるときには誰もが虜になる。宴のあと、それにとりつかれていた我が身を呪うことになる。それが、バブルだ。
古今東西そんな事例はたくさんある。古くはオランダのチューリップバブル、英国の南海泡沫事件が有名だ。チューリップの球根や実態のない貿易会社の株式にとてつもない値がついた。どれも最後はあわれな崩壊劇が待っていた。
バブルとは渦中にいるときには、そうと気づかぬものである。はじけて、はじめて気づく。そんな警句はいくどとなく発せられてきた。
米国の経済学者ガルブレイスが1990年に書いた『バブルの物語』はその代表的な書だろう。人々の投機熱を「ユーフォリア(陶酔的熱病)」と呼び、どんな時代でも人間はこの熱病から逃れないと分析した。
さて現代である。ここでもそのバブルの熱病からは逃れられないものらしい。
リーマン・ショック(世界金融危機)では世界中の人々がバブル崩壊の恐ろしさを実感し、バブルの膨張を放置してはいけないと強く学んだ。あれから10年。いま再びバブルは多くの国、さまざまな市場で大きくなっている。
とりわけ危険な兆候を醸し出しているのが、リーマン・ショックの発生源だった米国である。
10年前には住宅ローン債権が焦げ付き、住宅バブルがはじけた。その反省もどこへやら。最近では消費者ローンや住宅ローンの利用が急増しているらしい。その背景には、長く続いた超金融緩和政策のもとで空前の株価や不動産価格の上昇が続き、保有資産の含み益の急増で潤ったと実感した人が増えた事情があるだろう。米国の最近の家計債務は約13.2兆ドル。リーマン・ショック直前の12.7兆ドルを上回っている。
これを「好況」ゆえ、とみる向きも多いから株価も史上最高値圏にあるのだろうが、見方を変えれば「危険信号」が点滅しているとも言えるのだ。
「いまの米国は史上まれに見る大バブルです。崩壊は時間の問題。いつ起きてもおかしくない」と言うのは中前国際経済研究所の中前忠代表だ。
中前氏は1990年代初頭の日本のバブル崩壊をいち早く見抜いたエコノミスト。当時、日本経済ではバブルのピークを通り過ぎ、崩壊が始まりつつあったが、まだ「バブル」という言葉さえ定着していなかった。バブル崩壊どころか、バブル経済だったという認識さえ日本人の多くにはなかったころである。
その中前氏は1990年3月、日本経済が好調とされるのは「実はバブルにすぎない」「日没は時間の問題」と本紙インタビューで答えている。
中前氏がいま着目するのは米国の株や不動産などの純資産額の異常な跳ね上がりだ。家計の純資産額が家計の可処分所得に対して何倍あるかを比べると、1990年代半ばまではせいぜい5倍ほどだった。ところが2000年前後のITバブルで6倍強まで上昇し、はじけた。その後、再び住宅バブルで6.5倍に上昇。リーマン・ショックで急低下して、5倍に戻った。ところが直近では6.8倍ほどに跳ね上がっている。
データが示すものは住宅価格や株価の上昇によって、異常なレベルまで家計の資産価格がふくらんでいる実情である。過去の例を参考にするなら、いつ崩壊が起きてもおかしくない高みに指数はある。中前氏はこれを指して「史上まれに見る大バブル」と指摘するのだ。
同じように、世界レベルのバブル崩壊を示唆するデータも他にある。世界の株式時価総額と世界GDP(国内総生産)との比較だ。
近年で株式時価総額が世界GDPを超えたのは、ITバブルのときと、リーマン・ショック直前だった。いずれもその後、株価下落があって時価総額は大きく下げた。そして最近、再びその逆転が起きている。三菱総研の調べによると、世界GDPは約80兆ドルで、株式時価総額がそれを少し上回る80兆ドル超となっている。
また、BNPパリバ証券の分析によると、OECD(経済協力開発機構)加盟の先進23カ国のうち、名目成長率が長期金利を上回る国の比率も、バブルの存在を示している。通常はこの比率が50%ほどだが、ITバブルのときは75%、住宅バブルのときは85%ほどとなり、はじけた。いまそれは90%超となっている。
山高ければ谷深し。繰り返し起きる歴史の必然なのだろう。
過去のバブルをみるかぎり、それを膨張させ、崩壊のショックをより大きくしたのは、中央銀行による過度な金融緩和政策だった。
米国がその典型だ。ITバブル崩壊のあと、超金融緩和で住宅バブルをあおったFRB(米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長は、株価が下落するようなリスクがあれば、すぐに金融緩和の助け舟を出し、下落を防いだ。これは下落リスクが限定される金融裁定取引(プット・オプション)に似ていることから、「グリーンスパン・プット」と呼ばれた。これが投資家たちの強気の投資意欲にますます火を付け、あおったわけだ。
リーマン・ショック後のFRBの政策も同じような経過をたどった。ショックから立ち直らせるために超金融緩和を長期に続け、市場では当局が買い支え役となった。これを当時のバーナンキ議長や後任のイエレン議長からとって、「バーナンキ・プット」「イエレン・プット」と呼ばれた。
今の日本では日銀の黒田東彦総裁の「クロダ・プット」が進行中だ。
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