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拡大西部邁さん=2010年撮影

 西部邁が2018年1月21日、「自分の意思による自殺」と明記した遺言を警察の捜査関係者に残して自裁した。彼は自裁を決意した後の1月15日、「保守の遺言」という書物を書き終え、その「あとがき」で次のように述べている。

 「なお自分の息子一明夫妻をはじめとして、昔同じ屋根の下で暮らした兄正孝の夫婦・妹倫子の夫婦・亡妹容子の夫そして妹千鶴子の夫婦、西部むつ子の皆さんにも、さらに亡妻の姉・弟・妹たちにも僕流の『生き方としての死に方』に同意はおろか理解もしてもらえないとわきまえつつも、このあとがきの場を借りてグッドバイそしてグッドラックといわせていただきたい。」(本書は2018年2月27日、平凡社から出版されている)

 筆者も西部邁とは30年近いつきあいである。彼が1994年から発行している「発言者」の第1号に寄稿しているので、少なくとも1990年代初めには知り合っている。彼とはしばしば会っていた、いや、会っていたというよりは一緒に飲んでいたと言った方がいいのだろう。新宿のたしか「ブラ」というバーで1年に数回は飲み、かつ、様々な議論をしていた。彼は舌鋒鋭く議論を進めていたが、同席者に気配りもし、他方での優しさを時として見せていた。

東大教授を抗議の辞任

 西部は東京大学教養学部の教授だったが、中沢新一(当時、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学助教授に推薦し教授会で否決されると、これに抗議して、1988年3月、東京大学を辞職している。辞職後は鈴鹿国際大学客員教授・秀明大学教授・学頭等を歴任している。又、テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」に出演し、保守派論者として多くの人に知られるようになる。おそらく、筆者が始めて西部と会ったのは、このテレビ番組だったのだろう。彼は1995年から2005年まで、真正保守思想を標榜する月刊誌「発言者」を刊行しているが、財政上の理由で廃刊、その後、後継の月刊誌「表現者」の顧問を務めていた。

 西部は東京西麻布の表通りにある土地の所有者になり、イタリアン・レストラン「ゼフィーロ」を長男の西部一明に経営させていた。著者も西部邁とともにしばしば「ゼフィーロ」を訪れた記憶がある。長男の店を大切にしていたのだが、同店は2007年4月に営業を終了している。

妻の死

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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