ひたすら籠城する娘はマクベス、娘に領地を譲って裏切られた父はリア王
2018年08月30日
大塚家具の経営が急速に悪化し、自主再建がおぼつかなくなってきた。経営権を人手に渡す「身売り」交渉を進めているものの、本稿公開時点では交渉は決着していない。
3年前、創業者である父・大塚勝久会長(当時)を放逐し、実権を掌握した長女の久美子社長だが、この3年余の業績推移を見ると、経営能力に乏しかったと評するよりほかない。「できる女」「強い女」というイメージを振りまいてきた彼女は、そうであるがゆえに失敗や敗北を認めることができない。「私は社長を辞めない」というプライドと保身最優先の態度が、身売り交渉を難しくしている。
2015年、列島に中継された親娘喧嘩は、娘の大塚久美子氏の圧勝に終わった。「守旧派」の親父vs「開明派」の娘の争いという構図が民放や経済メディアの報道によって定着し、株主総会で多数派工作を争う委任状獲得競争は、娘に軍配があがっている。
あのとき、親と娘、姉と弟、男と女、そして相続問題といった本来の対立の要因は捨象され、論点はコーポレート・ガバナンスの問題に巧妙にすり替えられた。その演出に一役買ったのが、久美子氏が雇った広報コンサルティング会社メディアゲインの小川勝正社長だった。
久美子氏へのインタビューを申し込むと、「朝日新聞は、これがガバナンスやコンプライアンスの問題であることがわかっているのか。わかっていない以上は、ちょっと退くよね」と小川氏。メディアゲインは、久美子氏を好意的にとらえるメディアに優先的に出演させたりインタビューを仲介したりした節がある。「小川さんのやり方は完璧にメディア選別。よろしくないよね」。メディアゲイン元社員のベテラン広報マンさえ、そう語っていた。
そんな広報戦術によって装飾をほどこされたのが、大塚久美子氏ではなかったか。
200万円もするソファーや数十万円のテーブル、ベッドなど高級家具を売るには、来店客に付き添い、要望を聞く熟練の営業スタッフが必要だが、久美子氏はこうしたコンサルティング営業を否定し、ニトリの店舗のように客がセルフで買えるような営業手法に改めた。だが、コンビニやスーパーではあるまいし、結婚や新築を機に家具を買いそろえようという来店客が、そんな高額商品を何の説明もなく買い求めるはずがなかった。
勝久氏の時代もすでにニトリやIKEAの攻勢にさらされ、業績低迷の兆しが見えていたとはいえ、大塚家具はまだ十分に超優良企業だった。2014年12月期決算当時、手持ちの現預金は115億円あり、借金はゼロ。勝久氏が余資運用のために買い集めてきた投資有価証券は71億円あった。それが3年後の17年12月期には現預金が18億円に激減し、投資有価証券が27億円までに細ってしまった。売り上げの急速な減少によって資金繰りに窮し、手持ちの財産をカネに変えて資金繰りに充当していることがうかがえる。
先行きを不安視して、執行役員財務部長だった杉谷仁司氏が退任したほか、先代からの幹部が相次いで大塚家具を去っていった。中には勝久氏を慕って、勝久氏が新たに創業した家具販売会社「匠大塚」に転職した者もいる。
まるで久美子氏は先王を斃し、王位を簒奪したものの、たちまち追い込まれていく「マクベス」のようである。
その後の黒字反転も見込めず、大塚家具がこの8月14日に発表した中間決算では、18年12月期も34億円の赤字という3期連続の赤字予想となった。
実は、この中間決算のとりまとめ中の今年6月ごろ、監査を受け持つ新日本監査法人から「3期赤字だと、我々のルール上、ゴーイング・コンサーン(GC)注記をつけざるをえない」と宣告され、久美子社長とその側近たちが「GC注記」を回避するために慌てて始めたのが「身売り交渉」だった。GC注記とは、監査法人がその企業の事業継続を危惧していることを示す。いわば「破綻予備軍」という烙印である。
久美子氏とその側近たちは、なんとかGC注記が記載されないよう、赤字決算の発表と同時に、身売り先として新たにスポンサーとなる企業、増資など資本増強策、今後の経営再建策をセットにして発表する予定でいた。新日本監査法人には、こうした施策をもとにV字回復するストーリーを理解してもらい、GC注記を回避してもらおうという算段だった。
6月以降、中堅百貨店や家電量販店、企業再生ファンドなど数十社に「大塚家具に出資する気はないか」と打診し、その中で浮かび上がったのが主取引銀行の三井住友銀行が強く推すヨドバシカメラによる完全子会社化案と、幹事証券会社のSMBC日興証券が関与する貸し会議室大手のティーケーピー(TKP)による増資引き受け案だった。両社は多額の資金を投じる以上、久美子氏の社長退陣など経営陣の刷新を支援条件にしたが、こうした「娘一人に婿多数」の状況を逆手に取った久美子氏が強気に出て、「自分は辞めない」と言い出したところで交渉は暗礁に乗り上げている。
いまの久美子氏は、進軍してきたイングランド兵に包囲され、ただひたすら籠城するマクベスさながらである。
もともと腕の良い職人だったという勝久氏とそれを支えた千代子夫人の目利き力と趣味を反映し、イタリアのポルトローナ・フラウ、ドイツのロルフ・ベンツ、日本の森繁や松創など内外の高級ブランド家具を集めたセレクトショップとして成長してきた。高級住宅地の東京・神山町にある大塚家の邸宅もそんな嗜好を反映してか、風情のある和風建築である。
「勝久さんは古い日本住宅を再生し、千代子夫人のお部屋は立派な桐タンスに和服がいっぱい。お二人は根っから家具や建築がお好きなようですよ」。そう夫妻と交際のあるビジネスマンは言う。
両親が創業期で忙しかったころに幼少期を送ったのが長女の久美子氏で、一つ下に弟(長男)の勝之氏がいる。女3人男2人の計5人のきょうだいの中で、父の勝久氏が特に目をかけたのが、白百合学園、一橋大に進んだ才媛の久美子氏だったが、「長男継承」という点で勝之氏も同等に処遇してきた。
2人は同時期に大塚家具に入社し、姉は経営企画室長、弟は社長室長兼商品開発室長にそれぞれ就任し、やはり同時期にともに取締役に抜擢され、役員会のメンバーになった。以来、2005年に父との対立から久美子氏が一時大塚家具を退職して離れるまで、久美子氏は広報、IR、経営企画を担当し、一方の勝之氏は営業部門を歩むことになったが、2人が協働することは「ほとんどなかった」(勝之氏)という。大塚家具内で住み分けていたのだ。
大塚家具の元役員や幹部社員OBによると、父は長女の利発さを買う一方、長男を幾分頼りなく思っていたようだが、母はむしろ長男の継承に固執したといわれる。勝久氏は「この2人が協力すれば、大塚家具は素晴らしい会社になる」と思ってきたが、久美子氏は勝之氏と手を取り合う気持ちにはなれなかったようだ。
勝之氏は「小さいときには姉からよくいじめられましたよ」と言い、久美子氏が、他の弟妹とは別に勝之氏にライバル心を抱いていたことをうかがわせる。一橋大卒業後、就職した富士銀行でキャリアウーマンを目指した男女雇用機会均等法世代の久美子氏からすれば、「長男継承」という古い日本的な考え方を肯ずることはできなかったようだ。
とりわけ母が勝之氏の肩を持つことを容認できなかったと言われる。「父と娘の対立という図式で見られているが、実は、長男を贔屓する母と娘の対立じゃないか。“ゴッドマザー”と呼ばれている千代子夫人と久美子さんの確執が要因にあえると思う」。久美子氏と親しい元同僚はそう分析する。同様の見方を示す元役員もいる。「久美子さんは男にコンプレックスを持っていました」と、当の勝之氏も言う。
一連の騒動の発端は2008年、大塚家の資産管理会社「ききょう企画」の株式の持ち分を大きく変更したことにある。「きょうだいで財産を平等に」という建前から、それまで50%を所有していた長男勝之氏の持ち分を大幅に減らし、5人きょうだいが各18%ずつ「ききょう企画」の株を保有するよう、株主構成を改めた。
その翌年には、意見の対立からいったん大塚家具を離れていた久美子氏が復帰し、大塚家具の社長に就任するとともに、父、大塚勝久氏は保有する大塚家具の株式480万株のうち130万株を「ききょう企画」に譲渡した。
その後、久美子氏らきょうだいは14年、母千代子夫人と長男勝之氏を「ききょう企画」の役員から解任した(2人の持ち分は28%しかなく、久美子氏側の4きょうだいに押し切られた)。「ききょう企画」は、勝久氏から譲渡された大塚家具の6・66%を保有する大株主であるため、これが株主総会の委任状獲得競争で久美子氏側が勝利する基礎票になった。
コンプライアンスやコーポレート・ガバナンスの問題の以前に、こうした家族間の人間関係と複雑に絡んだ相続問題が大塚家具騒動の遠因にはある。
怨念をエネルギーにして突き進む久美子氏に対して、母千代子さんは14年3月の株主総会で
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