孤高の財政学者、石弘光さんが遺した言葉
消費増税を訴え、安倍首相に外された政府税調の重鎮が逝った
原真人 朝日新聞 編集委員

小泉純一郎首相に答申を渡す石弘光・政府税調会長(左)=2001年12月14日、首相官邸
財政悪化の一途をたどるこの国の未来を憂い、最期まで警鐘を鳴らし続けた孤高の財政学者・石弘光さんが亡くなった。声を大にして財政悪化の怖さを訴え続ける稀有な学者を失ったことは、私たち日本国民全員にとって大きな損失である。
いまや財政破綻という破局に向かって猛スピードで走る高速列車で、乗員や乗客に危険を知らせる警報装置がどんどん失われているなかで、また一つ大事な警報機能を喪失してしまった。そんな感覚すら覚える。
石さんはひとりの学者として財政健全化を愚直に訴えるだけでなく、政府の審議会活動や幅広い言論活動を通じて積極的に関与していこうと行動する財政学者だった。
政府税制調査会の会長だった2000~2006年がまさにそうだ。会長記者会見そのものがいわば「石学校」であり、それを通じて財政健全化の重要性を学んだ記者が多い。
ただ、会長在任期間は、ほとんどが消費増税を封印した小泉純一郎政権のもとだったのは不幸だった。消費増税を訴え続けた石会長にとっては居心地がよい政治状況ではなかったはずだ。
その後も厳しい立場に立たされることが多かった。2005年夏には所得税の控除見直しを求め、「サラリーマン増税をあおる税調」という批判を世論からも政治からも浴びた。
2006年には第1次安倍政権が、石会長を再任する財務省案を拒んだ。思えば、税制の「あるべき論」を世に問い、政治がなかなか言えない増税案のたたき台を示す、という政府税調の真の役割がついえてしまったのは、この時だったのかもしれない。
その後の政府税調は、政権の顔色をうかがって無難な報告書をまとめるか、まったく無視される報告書を作るか、という程度の存在になってしまった。
石さんはその後も持論を積極的に世に問うたが、その凄みがいっそう増したのは昨年、末期がんを公表してからだろう。その言論活動はいわば国民への「遺言」のようなものだった。
このままでは死んでも死にきれない