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日米新通商協議(FFR)の行方

「アメリカ・ファースト」を掲げる米国との貿易交渉はどのような展開を見せるのか

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

トランプ米大統領=2018年7月25日、ワシントン

 日米閣僚級の新たな通商協議(FFR)の初会合は8月9日、ライトハイザーUSTR代表と茂木敏充経済再生担当大臣との間で行われ、相手国の要望を聞く「入り口」の議論で日程を終えている。本格的協議は今月から始まるが、日米の立場はかなり異なっている。日本側はTPP等多国間の枠組みの中で交渉を進めるべきだとの立場だが、アメリカ側は2国間のFTAを重視している。日本側の代表、茂木大臣はアメリカ抜きの11ヵ国のTPPをまとめあげた実績を背景に、アメリカの早期のTPP復帰を求めている。他方、USTRのライトハイザー代表は相手国の譲歩を勝ち取りやすい2国間協議を重視している。

首脳会議は決裂

 筆者もかつて「日米包括経済協議」の中で政府調達・自動車・保険の交渉が行われた時、保険交渉の日本側代表を務めたことがある。1993年から1994年10月まで16回にも及ぶ協議を重ねた結果、交渉はやっと決着したのだが、極めてハードな交渉だった。当時、筆者は大蔵省国際金融局次長、アメリカ側代表はUSTRのアイラ・ウルフ代表補だった。東京・ワシントン・サンフランシスコ・ハワイと場所を変えて交渉を進めたが、交渉は日米それぞれの主張を盛り込んだ上で決着したのだった。当時、損保の料率は料率算定会で定められていたが、アメリカ側は料率の自由化を主張、結局、料率算定会は解散し、料率の自由化が実現した。他方、アメリカの保険会社が独占していたガン保険は、日本の保険会社でも扱えることになった。日米の痛み分けといった結論だったのだ。

 ただ、この包括協議全体は問題含みで、アメリカ側は日本の貿易黒字削減のための「数値目標」の設定を要求、最終的なトップ会議、クリントン大統領と細川首相の会議で日本側は数値目標決定を拒否し、首脳会議は決裂したのだった。日米首脳会議の決裂等ということは、当時は考えられないことだったが、

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