9条改憲が自民党総裁選後の最も重要な政策課題だ
2018年09月18日
9月7日に告示された自民党総裁選挙は20日に投開票が行われる。9月3日に行われた安倍選挙対策本部の発足会では党内5派の領袖達や無派閥議員も含め投票資格を持つ国会議員(405人)の85%にあたる346人(代理出席含む)が出席し、圧勝に向けた挙党態勢をアピールした。
総裁選挙は安倍晋三首相と石破茂元幹事長の一騎打ちだが、安倍首相が圧倒的に有利。自ら立候補を目指していた野田聖子総務大臣も20人の推薦人が集まらず、安倍首相を支持する考えを表明している。岸田派(宏池会)や麻生派等は既に安倍支持を表明しており、安倍首相の勝利は確実視されている。
自民党総裁の任期は「連続2期6年」だったが、2017年3月5日の第84回党大会で「連続3期9年」に延長する方針を正式決定し、安倍3選が可能になったのだった。安倍3選となれば、安倍首相は2021年まで務められ、満期まで就任し続ければ9年と明治以来最長ということになる。従来までの最長記録は桂太郎の約8年(1901年~1906年、1908年~1911年、1912年12月~1913年2月)、佐藤栄作の8年弱(1964年11月~1972年7月)だった。
第二次世界大戦後の総理大臣では吉田茂が有名だが、彼の就任期間は7年(1946年5月~1947年5月、1948年10月~1954年12月)と佐藤栄作より1年短い。もっとも、いわゆる「吉田学校」が作られ、佐藤栄作・池田勇人・田中角栄等の吉田学校の主要メンバーが戦後の保守政権の中核を担うことになり、いわゆる「保守本流」を形成することになったのだった。衆知のように、吉田茂はサンフランシスコ講和会議の首席全権として講和条約に調印し、日本の占領終了、独立を果した。また、同時に日米安保条約も締結したが、同条約の署名にあたっては池田勇人等の随員を入れず1人で署名した。条約調印の責任を一身に背負い、他の全権委員達を安保条約反対派の攻撃から守るためだったといわれている。
実際、安全保障条約反対の世論はかなり強く、1960年の安全保障条約改正にあたっては、いわゆる「安保闘争」が行われ、国会周辺等で頻繁にデモが行われた。1960年5月27日、そして6月15日のデモは特に大規模で10万人を超える学生達が参加したのだった。当時、大学1年生だった筆者も、学生運動家ではなかったが、デモに参加した。筆者だけではなく、多くの一般学生が参加し、国会だけではなく、当時の岸信介首相の自宅の周りにまで押し掛けた。後日、岸元首相は「命の危険を感じた」と述懐している。たしかに、筆者をはじめデモ隊は「岸を倒せ、岸を倒せ」を連呼しながら岸元首相の自宅の周りを取り巻いたのだった。1960年6月15日のデモは当時東大駒場の委員長だった西部邁が指揮し、同じ共産主義者同盟(ブント)の樺美智子がこのデモで死亡している。
2015年には政府は「安全保障関連法案」を成立させ、自衛隊の武力行使や後方支援の範囲を拡大し、集団的自衛権の限定的行使を決めることとなった。そして、3選を目指す安倍政権は憲法9条を改正して、「自衛隊明記」を進めようとしている。
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