リーマン・ショックから10年、不平等の拡大に歯止めかからず
2018年09月19日
2008年9月15日、米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻が引き金となって起きた世界金融恐慌(通称リーマン・ショック)から10年。世界経済は表向きすっかり立ち直ったように見えるが、いまもなお低金利という景気下支え策を解除できないでいる。その弊害で株式などの資産バブルが膨らみ、米国の景気過熱やマネーゲームの横行で再び金融危機が懸念される。あの当時、ニューヨークやワシントンで取材した筆者も、不安と疑問をぬぐえない。この10年、我々は何を学んだのだろう。
クルーグマンは正しかったと思う。同じころ、Wブッシュ大統領も政権幹部から同様の説明を受けていた。筆者は10月末にボストンのマサチューセッツ工科大(MIT)にポール・サミュエルソン名誉教授を訪ねてインタビューし、「規制緩和をやりすぎた資本主義は、壊れやすい花のようなもので、自らを滅ぼすような事態に陥ってしまう」「危機を救うには、赤字をいとわない財政支出が不可欠だ」と聞いていた。サブプライム・ローンと呼ばれた低所得者向けの住宅ローン債権を切り刻んだ金融派生商品を安全であると思い込んで取引を拡大していた金融界の失敗が招いた危機について、「悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学が人々の目を見えなくしてしまった」と語る老教授の仕草が今も目に浮かぶ。責任は金融界とそれを放置した政府にある。だが、大恐慌の再来を防ぎ人々を大量失業から守るには、たとえ無駄遣いといわれようとも財政出動が必要だ、と教授は説いていた。
コロンビア大の研究室でインタビューしたジョセフ・スティグリッツ教授は、野放図な金融緩和を推進した新自由主義の思想と政策がこの失敗を招いたのだと言い放った。「ベルリンの壁の崩壊で共産主義の欠陥を誰もが理解したように、この危機をきかっけに新自由主義は終焉を迎えなければならない」。
ウォール街のエコノミスト、ヘンリー・カウフマン氏ですら「損失の危険(リスク)を無視して失敗した米国の金融機関は、国民に奉仕するよう改革されねばならない。いずれは公益事業のようになるのではないか」と語った。
もっと冷めた目で恐慌を見つめていたのはデビッド・ハーベイ教授(ニューヨーク市立大学)だった。「オバマ政権は金融機関の権利を擁護するだろう。新自由主義的な支配力は再生・強化に向かう」。結果は彼の予言どおりになった。
2015年にバーナンキ氏が出版した回顧録『危機と決断』では、危機が「フィナンシャル・パニック(金融恐慌)」だったと繰り返し書き、10年後のいまもインタビューなどで語っている。その金融恐慌が大恐慌の再来となるのをあらゆる手段で阻止した(つまり産業分野の恐慌や長期化による大量失業を防いだ)、というのがバーナンキ氏の矜持である。新古典派が主流の現代経済学では、恐慌は起こらないという前提だが、現実と政府の役割を重視するバーナンキ氏は、目の前の事態を金融恐慌と理解していたのだった。
経済学の伝統的な理解では、恐慌のメルクマールは「銀行取り付け」とされてきたが、預金保険制度の普及などによって取り付け騒ぎを封じることができているので、現代では恐慌は起こらないと思われてきた。実際、街頭での取り付け騒ぎが起こらなかった代わりに、それ以上の資金取り付け騒ぎが世界の金融市場で起きた、とバーナンキ氏は指摘した。それが現代の金融恐慌のメルクマールだったというのだ。
こうして、過去の遺物と思われた金融恐慌は亡霊のように現代によみがえった。世界の経済学は恐慌の理論的説明になお成功していないが、「今後も金融ショックが起こる」、とバーナンキ氏は言っている。
金融緩和と財政出動による景気テコ入れは20世紀を代表する英経済学者ケインズの理論に沿った政策で、10年前に起きたことはケインズ主義の復権でもあった。欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁もバーナンキ氏とともにこの考えに基づいて金融緩和や国債買い支えを進めたが、同時に現代版ケインズ主義の弊害は世界をおおった。じゃぶじゃぶのマネーが市場に流れ込んで株価や不動産など資産を膨張させ、仮想通貨などマネーゲームが日常の風景になった。働く人々の賃上げや生産的投資にお金が回るならともかく、
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