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リーマン・ショック10年 英でインタビュー 1

作家・オーガー氏「銀行のビジネスモデルが変わらない限り、危機はまた起きる」

小林恭子 在英ジャーナリスト

――海外からロンドンに企業を呼び込むため、政府や規制当局がライトタッチを国の戦略として行った、と言えるのか?

 間違いない。1997年から2007年まで、のちに首相となるゴードン・ブラウンが英国の財務相だった。2006年、07年の時点で、ブラウンはいくつかの演説の中でライトタッチであること、政府がこれを奨励していることに言及していた。当時は、干渉しないのが良いことだと考えられていた。ただし、危機発生以降、ブラウンは考えを改めたけれども。

――ブラウンが自由主義経済やライトタッチの規制を強く推進したのは、意外だ。労働党議員であるブラウンは、「大きな政府」を指向するのが本来ではないか。

 たしかに、この「超自由主義」となる姿勢を労働党の財務大臣が採用したのというのは、かなり驚くべきことだ。学生時代はかなり左派の活動家でもあったからだ。

 しかし、彼はスコットランド・カーカルディを選挙区とする議員だった。ここは『国富論』(1776年)を書いた経済学者アダム・スミスが生まれた場所だ。スミスは各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される、と考える。

 私が見るところでは、ブラウンは企業が自力で活動を行うほうが経済はうまくいくと考えるようになったのだと思う。同じく自由主義のグリーンスパン元FRB議長やその後任のバーナンキ議長を非常に尊敬していた。

 とは言っても、金融危機をブラウンのせいにするは不公平だろう。危機発生後、抜本的な手を打たなければならないと提唱したのがブラウンだったからだ。しかし、財務相そして首相(2007~10年)在職時代、干渉しない方向に金融界を誘導したのは確かだと思う。

 FSAのライトタッチ規制の背後には、 ・・・ログインして読む
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筆者

小林恭子

小林恭子(こばやし・ぎんこ) 在英ジャーナリスト

秋田県生まれ。1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「Galac」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。

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