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リーマン・ショック10年 英でインタビュー 1

作家・オーガー氏「銀行のビジネスモデルが変わらない限り、危機はまた起きる」

小林恭子 在英ジャーナリスト

 2008年9月15日、米大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界的な金融危機が一気に加速した。10年後の現在、私たちはより安全な世界にいるのだろうか? 危機の背景と今後同様の危機が発生するかについて、ロンドンの金融界を熟知する専門家2人に話を聞いた。

英「ノーザン・ロック」の衝撃

拡大2007年9月、英ノーザン・ロックの店舗前に列を作る預金者たち(国家統計局レポート「ノーザン・ロックの国有化」より)
 最初に、世界金融危機(2007~08年)の英国での状況を簡単に振り返ってみる。

 危機発生の直接のきっかけは、信用力が低い個人や低所得者層を対象にした米国の住宅ローン「サブプライム・ローン」の焦げ付きだ。このローンは通常の融資よりも審査基準が甘く、かつ金利が高く設定されていた。住宅価格が上昇していった2000年以降急速に件数が増えたが、価格が下落に向かうと焦げ付きが多発するようになった。

 英国の金融機関もサブプライム・ローンを積極的に手掛けており、焦げ付きから生じた信用収縮問題は他人事ではなかった。

 米国の「リーマン・ショック」に当たる事件が発生したのは、2007年9月だ。住宅ローン専門の金融機関ノーザン・ロックが英国の中央銀行にあたるイングランド銀行(BOE)に緊急融資を求めたことが報道され、預金引き落としを求める顧客が大量に店頭に押し寄せた。19世紀以来初めての、銀行の取り付け騒ぎだ。

 1年後にはリーマン・ブラザーズが破綻し、英国の銀行大手も次々と危機状態に陥った。

 政府や金融当局は信用不安を解消するために銀行への資本注入、預金保護の保証など対策を講じたが、税金を使っての救済が必要となった銀行の経営陣、「規制が緩い」と言われた金融規制当局「金融サービス庁(FSA)」は国民の強い非難の的になった。不景気が広がる中、金融危機を防げなかった当局や政府に対する不信感が高まった。国際金融センターとして英国が誇る「シティ」(ロンドンの金融街)の評判は、地に落ちた。

 この時の当局に対する強い不信感が、欧州連合(EU)への加盟継続か離脱かを決める国民投票(2016年)の離脱決定に結び付いたと主張する識者もいる。金融危機が、英国を含む欧州各国そして米国に広がった保守系ポピュリズムにつながった、という見方である。

 そもそも、金融危機発生の背景には何があったのか。サブプライム・ローンの焦げ付きで瓦解した金融体制に問題はなかったのか?

 その答えを見つけるため最初にインタビューしたのは、作家のフィリップ・オーガー氏だ。同氏はシティの複数の銀行で株式仲買人、調査部長として勤務後、金融街をテーマにしたノンフィクションを書いてきた。最新作はバークレイズ銀行の歴史を描いた『楽しんだ銀行(The Bank that Lived a Little)』(アレン・レイン社、2018年。未訳)である。

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「何かがおかしいとは思っていた」

拡大フィリップ・オーガー氏(同氏のウェブサイトより)
――今回のような金融危機が起きるかもしれないと思いだしたのは、いつ頃か。

オーガー氏:18年前、私は『紳士的な資本主義の終えん』(Death of Gentlemanly Capitalism、2000年。未訳)を出した。ロンドンの金融街「シティ」の歴史を描いたものだったが、当時、シティは絶好調だった。世界的金融センターとして一目を置かれていた。しかし、私自身は割り切れないものを感じていた。銀行家が顧客に対して本当のことを言っていない感じがしていた。その後、米金融街での同様の話を『強欲な商人』(Greed Merchants、2005年。未訳)で書いたのだけれども、米ウォールストリートもロンドンのシティ同様に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。株価が上昇し、銀行はどんどん大きくなっていた。

 2006年から2007年にかけて、私は「ひょっとしたら、自分は間違っていたのかもしれない」と思いだした。「銀行家が言うように何の心配もする必要がないし、このまま好景気が続き、金融市場は大きくなり続けるのだろう」、と。

 しかし、07年頃から、米国や欧州でサブプライム・ローンの焦げ付き問題が表面化してきた。自分が言葉では説明できなかった居心地の悪さが、形になって表れてきたように思った。これほどの規模の世界的な金融危機になるとは予測していなかったけれども。

――2007年9月、住宅ローン専門の金融機関「ノーザン・ロック」が資金繰りに窮してイングランド銀行から援助を受けるという報道が出た。翌日、銀行の取り付け騒ぎが起きたが。

 取り付け騒ぎには本当に驚いた。これまでの金融畑の経験の中で最も驚いた事件だった。ノーザン・ロックは取り付け騒ぎの直前まで、その経営を高く評価された金融機関だった。しかし、ローンを返す見込みが低い人にまで大量に貸し付けをするようになった。当初は預金者が預けた分を貸し出しに回していたが、ほかの金融機関からお金を借りて、貸し出すようになった。最後には現金が足りなくなってしまい、イングランド銀行に支援を頼まなければならなくなった。

――金融機関が信用力が低い個人や低所得者層を対象にしたサブプライム・ローンを続々と手がけた背景には、どのような考え方があったのか。

 1980年代や1990年代において、「シカゴ学派」の市場主義経済学が絶対的な主流になったのだと思う。政府は経済活動になるべく関与せず、市場に任せるのがよいという考え方だ。ただ、これはあくまでも理論で、実際は当局による干渉がないというわけではない。例えば、米連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長(在職1987年~2006年)は市場に問題があれば、金利を調節して解消すると言っていたからだ。

 それでも、当時は「市場に任せれば、すべてがうまくいく」という考え方が当然視されており、負の部分には十分に目がいかなかった。

 実は、企業レベル、個人の生活のレベル、そしてすべての面において負債を基にして経済が回っていたのだが、多くの人が気づいていなかった。どこかが1つ狂うと、すべてが崩壊してしまうことを。サブプライム・ローンも短期的に利益が出ればいい、という考えが優先された。

 証券化も現実を見えにくくしていた。これは、金融機関が保有する様々な形の負債(住宅ローン、不動産ローン、自動車ローン、クレジットの債券)を1つにまとめ、ほかの金融機関などの第三者に証券として売る行為だ。これまで銀行は自行のバランスシートに負債を置いていたが、証券化によって変革が起きた。

 市場主義経済(「市場に任せれば、すべてがうまく行く」)、規制緩和、証券化によって、金融界に自信が生まれ、これが世界中に広がった。銀行家はまるで魔術師のようだった。何でもできると自負した。今から思えば、できすぎた話だったが。

――ロンドンの金融界の規制は、当時「金融サービス庁」(FSA)が行っていた。巷でよく言われたのが、「ロンドンの規制はライトタッチ(軽い)」である、と。これが銀行のサブプライム・ローンの貸し出し増大を招いた原因の1つとも言われている。実際にはどうだったのか。

 自由主義経済の考え方の下では、政府はなるべく干渉をしないこと、それが一番となる。これを少し進めれば、規制監督業も干渉しないほうがいいという解釈となる。金融機関自身が自主規制できるのだから、当局の関与は必要ないのだ、と。

 1997年に発足したFSAは「市場に任せればよい」という姿勢を明確にしていた。発足から10年間、規制緩和を進めることを奨励し、「ライトタッチ」規制を自負していた。他国の金融機関が「ロンドンの規制はライトタッチだから」と英国に移動してくるほどだった。

 逆に厳しいのが米国の証券取引委員会(SEC)で、米国の投資銀行やほかの金融機関は政府、FRB、規制当局に対し、規制を緩和するようロビー活動をしていたぐらいだ。金融規制において、米国と英国には大きな違いがあった。

「ライトタッチ」を奨励した英政府

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筆者

小林恭子

小林恭子(こばやし・ぎんこ) 在英ジャーナリスト

秋田県生まれ。1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「Galac」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。

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