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2008年金融危機からの真の教訓とは何か?

金融機関経営者の責任追及を怠ったのは大きな政治的失敗だった

吉松崇 経済金融アナリスト

バーナンキ、ポールソン、ガイトナーは何を語る?

リーマン・ショック後に閉鎖されたクライスラーの自動車工場跡を見渡す元組立工のクリス・パプラナスさん=2018年8月9日、米ミズーリ州セントルイス郊外
 2008年9月のリーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)に端を発した金融危機から、今年でちょうど10年になる。

 今日では「大不況」と呼ばれる戦後最大の不況を生んだ金融危機であるから、その10周年に当たり、当事者がメディアで発言して、それが注目されるのは当然である。

 2008年の秋に、米国の金融規制当局のトップとしてこの金融危機に対峙したのは、当時のバーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長、ポールソン財務長官、それにガイトナー・ニューヨーク連銀総裁であった。10周年に当たり、この3人が連名で「次の金融危機への備えに何が必要か」と題して、ニューヨーク・タイムズに寄稿している。
”What We Need to Fight the Next Financial Crisis” by Ben S. Bernanke, Timothy F. Geithner, John M. Paulson, Jr. New York Times, September 7, 2018

 3人の主張を手短に要約すると、
(1) 金融危機が発生した原因は様々だが、とりわけ重要なのは、金融機関規制が金融ビジネスの実態から大きくかい離して、旧来の規制で金融機関をモニターできなくなっていた。つまりは、金融規制の形骸化である。
(2) リーマン破綻の後で、連邦議会が金融機関への資本注入を認め、不況対策の大胆な財政出動を行ったので、破綻が他の金融機関に伝播することを防げた。これがなければ、多くの金融機関が連鎖倒産して、アメリカ経済は崩壊していたかもしれない。
(3) 金融危機のさなかに、金融機関に公的資金を資本投入することが政治的に極めて不人気なのは十分理解できる。まるで、危機の原因を作った当事者を救済するようで、アンフェアに見えるからだ。そのため、議会はこの資本投入の見返りに、金融規制当局の自由裁量の余地を狭める決定を行った。例えば、預金保険機構(FDIC)は、危機時に銀行預金を無制限に保障する権限を失い、連邦準備制度理事会(FRB)は、銀行に対し緊急融資を行う権限に制限を設けられた。
(4) 現在、金融危機が起きる可能性が高いわけではないが、将来何が起きるかは誰にもわからない。万が一の金融危機時に、規制当局が危機に対応できる手段を制限されている(手足を縛られている)と、大変なことになる。

 つまり、この3人は、議会が、金融機関救済が政治的に不人気であるが故に金融規制当局に事後的に課した制約を外して欲しい、と訴えているのである。

 アメリカでは超大物の3人の訴えであるが、これを読んだアメリカの「普通の人びと」は、これをどう受け止めるのだろうか? すんなりと納得するのだろうか?

 そもそも、10年前の金融危機から、どんな教訓が得られるのか、真に有効な金融機関規制とは何なのか? 金融危機が惹起するこうした問題を、この3人の主張を材料にして考えてみたい。

金融機関規制を形骸化させたのは誰か?

 3人の主張の第1のポイントである「金融規制がビジネスの実態とかい離して、金融規制が形骸化していた」というのは、それ自体は全く正しい。

 もともと、アメリカの金融機関規制は1930年代の大恐慌の教訓が生んだものである。大恐慌に先立つ20年代に証券市場で不正が横行したこと、更には大銀行が社債を引受・販売し、その代金で融資を返済させるような利益相反行為があり、これを排除するために、大銀行は商業銀行と証券会社(投資銀行)に分割された。これが1933年銀行法(グラス・スティーガル法)である。商業銀行が証券業を営むことが禁止されたのである。

 これ以降、商業銀行と証券会社(投資銀行)は全く異なる規制上の取り扱いを受けてきた。商業銀行を監督するのは主としてFRBであり、銀行はFRBに決済口座を持ち、アメリカ全土の資金決済システムというインフラの一部となっている。銀行は認可制であり、比較的厳しい規制を受けてきた。

 一方、証券会社を監督するのはSEC(証券取引委員会)であり、証券の販売方法では厳しい規制を受けるが、それ以外の規制は緩やかであった。証券会社は銀行のような認可制ではなく、登録制であり、比較的簡単に証券業に参入することができる。そもそも証券会社にはFRBでの口座開設は認められておらず、資金決済システムというインフラに参加していない。証券会社が経営的に立ち行かなくなっても、比較的簡単に清算できる(破たん処理できる)というのが、証券会社規制の基本的な考え方であった。

 ところが、1999年にグラス・スティーガル法は廃止される。これは、商業銀行と証券会社(投資銀行)双方のロビー活動の賜物であった。「隣の芝は青く見える」ので、商業銀行も証券会社も規制緩和による事業範囲の拡大を求め、それが実現したのだ。商業銀行と証券会社(投資銀行)の間に業務の垣根がなくなった。

 ところが、銀行と証券会社に対する規制体系は旧来のままで、何一つ変更されることがなかった。だから、こう書くと驚かれるかも知れないが、リーマンの破綻処理は、アメリカの規制体系の下では、証券会社破綻処理の基本型なのである。実際、1990年代までは、大手の証券会社も含め幾多の会社が同様の破綻処理をうけている。

 だが、3人の主張の第2のポイントである「リーマン破綻の後で、金融機関を救済したので、アメリカ経済の崩壊を食い止めることができた」というのもおそらく正しい。

 2000年代に入り、証券会社は、商業銀行のような自己資本規制に縛られることなく、投融資を拡大した。例えば、リーマンの総資産は2000年には約2,000億ドル(およそ20兆円)であったものが、破綻前の2008年には8,000億ドル(およそ80兆円)へと、僅か8年で4倍に急拡大していた。そもそも証券業だけなら、そんな大きなバランス・シートは必要ない。

 リーマンに限らず、投資銀行のバランス・シートは2000年代に急拡大し、これに資金を提供したのは、

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