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2008年金融危機からの真の教訓とは何か?

金融機関経営者の責任追及を怠ったのは大きな政治的失敗だった

吉松崇 経済金融アナリスト

 3人の主張の第1のポイントである「金融規制がビジネスの実態とかい離して、金融規制が形骸化していた」というのは、それ自体は全く正しい。

 もともと、アメリカの金融機関規制は1930年代の大恐慌の教訓が生んだものである。大恐慌に先立つ20年代に証券市場で不正が横行したこと、更には大銀行が社債を引受・販売し、その代金で融資を返済させるような利益相反行為があり、これを排除するために、大銀行は商業銀行と証券会社(投資銀行)に分割された。これが1933年銀行法(グラス・スティーガル法)である。商業銀行が証券業を営むことが禁止されたのである。

 これ以降、商業銀行と証券会社(投資銀行)は全く異なる規制上の取り扱いを受けてきた。商業銀行を監督するのは主としてFRBであり、銀行はFRBに決済口座を持ち、アメリカ全土の資金決済システムというインフラの一部となっている。銀行は認可制であり、比較的厳しい規制を受けてきた。

 一方、証券会社を監督するのはSEC(証券取引委員会)であり、証券の販売方法では厳しい規制を受けるが、それ以外の規制は緩やかであった。証券会社は銀行のような認可制ではなく、登録制であり、比較的簡単に証券業に参入することができる。そもそも証券会社にはFRBでの口座開設は認められておらず、資金決済システムというインフラに参加していない。証券会社が経営的に立ち行かなくなっても、比較的簡単に清算できる(破たん処理できる)というのが、証券会社規制の基本的な考え方であった。

 ところが、1999年にグラス・スティーガル法は廃止される。これは、商業銀行と証券会社(投資銀行)双方のロビー活動の賜物であった。「隣の芝は青く見える」ので、商業銀行も証券会社も規制緩和による事業範囲の拡大を求め、それが実現したのだ。商業銀行と証券会社(投資銀行)の間に業務の垣根がなくなった。

 ところが、銀行と証券会社に対する規制体系は旧来のままで、何一つ変更されることがなかった。だから、こう書くと驚かれるかも知れないが、リーマンの破綻処理は、アメリカの規制体系の下では、証券会社破綻処理の基本型なのである。実際、1990年代までは、大手の証券会社も含め幾多の会社が同様の破綻処理をうけている。

 だが、3人の主張の第2のポイントである「リーマン破綻の後で、金融機関を救済したので、アメリカ経済の崩壊を食い止めることができた」というのもおそらく正しい。

 2000年代に入り、証券会社は、商業銀行のような自己資本規制に縛られることなく、投融資を拡大した。例えば、リーマンの総資産は2000年には約2,000億ドル(およそ20兆円)であったものが、破綻前の2008年には8,000億ドル(およそ80兆円)へと、僅か8年で4倍に急拡大していた。そもそも証券業だけなら、そんな大きなバランス・シートは必要ない。

 リーマンに限らず、投資銀行のバランス・シートは2000年代に急拡大し、これに資金を提供したのは、 ・・・ログインして読む
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筆者

吉松崇

吉松崇(よしまつ・たかし) 経済金融アナリスト

1951年生まれ。1974年東京大学教養学部卒業。1979年シカゴ大学経営大学院(MBA)修了。日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)、リーマン・ブラザース等にて30年以上にわたり企業金融と資本市場業務に従事。10年間の在米勤務(ニューヨーク)を経験。2011年より、経済・金融の分野で執筆活動を行う。著書:『大格差社会アメリカの資本主義』(日経プレミアシリーズ、2015年)。共著:『アベノミクスは進化する』(中央経済社、2017年)。

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