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”減反廃止”でも米生産が増えない本当の理由

減反政策の本質は転作補助金。政府は今もそれでカルテルを維持しているのだ。

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

2018年7月、福岡県宮若市

 10月3日付日本経済新聞は「コメ増産1%どまり」という記事を掲載し、「約50年続いた減反が今年廃止され、農家は自由にコメを作れるようになったが、高水準の米価を維持しようと増産に慎重な産地が多い」という分析・解説を加えている。

 この記事を経済学から批判したい。この小論が農業の盛んな地方の大学の経済学や農業経済学の授業の教材になれば幸いだ。

カルテルは本来、簡単には成立しない

 そもそも、市場経済において、生産者が価格を維持する、あるいは価格を決定するというのは、どのような場合なのだろうか?

 最初に頭に浮かぶのは、独占の場合である。一つの企業が、ある財を独占的に供給していれば、競争相手を気にしないで、価格を決定できる。このとき、その企業が利潤を最大にしようと決定する場合の価格は、多数の供給者がいる場合に比べると、高くなる(ただし、高くしすぎれば需要が減少して、利潤は低下する)。

 次に、可能性があるのは、市場に数社しか存在しない寡占という状態で、各社が共同してある一定以下の価格では売らないようにするというカルテルを結ぶときである。よく話に上るのは、公共事業の入札に際し、建設会社が談合して、一定価格以下の入札はしないようにしたり、この入札は特定の企業に落札させるようにしたりするよう、合意する場合である。

 しかし、カルテルの場合、通常はカルテル破りのインセンティブが働く。例えば、ビールのように大手4社の寡占状態にあるときにはカルテルは作りやすいが、ある社が他の3社の価格を下回る価格を付けて販売すれば、他社の販売量を奪うことができ、利潤を大きく増やすことが可能になる。あからさまに消費者向けの価格を下げなくても、取引先の大手流通業者に多額のリベートを支払えば、大手流通業者はそれ以外の企業のビール販売を控えるようになるだろう。

 このため、カルテルが効力を発揮するためには、カルテル破りのインセンティブが生じないよう、何らかの強制(ムチ)か利益(アメ)がなければならない。公共事業では、カルテル破りで安い価格で落札した会社に対して、次からの入札で他の企業が意図的に安い入札を繰り返し、カルテル破りの企業が長期間落札できないようにするというペナルティが加えられるかもしれない。そのようなペナルティがありうると判断すると、どの企業も怖くてカルテル破りはできなくなる。大きなリスクを払って一獲千金を狙うより、ぬるま湯につかって安定した利益を確保したほうが、有利となる。

 しかし、そのためにはカルテル参加者に強い共同的な意思が存在することが前提となる。通常の場合には、そのようなことは考えられない。さらに、カルテルは独占禁止法で禁止されている。カルテルを行っていると告発されれば、企業イメージを大きく損なう。以上から、カルテルは簡単には成立しない。

市場経済では生産者は米価を決定できない

 では、米の場合はどうか?

 経済学を最初に学ぶ人は、完全競争の理論から勉強する。完全競争とは、多数の生産者がいるので、個々の生産者が市場価格に影響を及ぼすことはありえず、生産者は全体の需要と供給によって市場で決まる価格を与件として行動する(生産量を決定する)という場合である。これは独占と対極にある場合である。

 そして、経済学の教科書では、完全競争の典型的な例として、農業が挙げられる。農業には多数の生産者がいるので、個々の生産者が市場価格に影響を与えることはありえない。200万の米農家がいることは、平均的な農家の供給量は市場全体の200万分の1しかないことを意味する。大規模といわれる100ヘクタールの農家でも、140万ヘクタールの米作付面積の下では、0.007%のシェアしかない。これらの農家が米の供給量を減らしても、米の価格は上昇しない。

 経済学が教えるように、市場経済では、米農家は市場価格の下で、自らのコストを考慮して利潤を最大化できる量の米を生産して供給するのである。市場経済の下では、農家が「高水準の米価を維持するために」米の生産を調整することはありえないし、できない。

 では、より大きな供給単位である産地がまとまって行動することはありうるのだろうか。

 このとき生産者は合計して一定の量以上の生産は行わないというカルテルを結ぶことになる。産地の単位として地域農協がまず考えられる。しかし、寡占の場合でもカルテルの形成は難しいのに、1農協当たり3千もいる米農家の間でカルテルが実現できるはずがない。仮にカルテルが作られても、全国に約700の農協があることからすると、個々の農協の供給量を農協単位でいくらまとめても市場価格には変化はない。

 では、都道府県単位ではどうだろうか?

 農家数が多くなるとますますカルテルの形成はできなくなるうえ、米産地の代表で最大の米作付面積を持つ新潟県でも、10万5千ヘクタールで全国の7.6%に過ぎない。とても市場価格に影響を与えられる規模ではない。

米は市場経済ではない

 つまり、市場経済の下では、米で農家がカルテルを作って米価を維持することはありえないのである。それでは、どうして産地が米価を維持するという記事が書かれるのだろうか。

 この記述自体は誤りではない。それは、米はまだ市場経済ではないからである。市場経済ではないから、カルテルによって産地が価格を維持できるのである。冒頭の記事の「減反が今年廃止され、農家は自由にコメを作れるようになった」という記述が、ウソなのである。

 簡単にいうと、この記事は、完全競争の下で、生産者は市場価格に影響を与えることができるという内容であり、経済学の基本を無視している。正確にいうと、完全競争という市場経済の状況にないから、生産者(団体)は米価を維持できると書くべきだったのである。

 江戸時代には、世界最初の先物取引である堂島の正米市場が作られたように、米は市場経済そのものだった。もちろん、小さな農家が米相場を左右するなどありえない。しかし、1918年に起こった大正の米騒動以降、政府が市場に介入して価格を操作するようになってから、市場経済ではなくなった。

 戦時経済となる1942年以降は、米は、食糧管理制度の下で、政府の完全な市場統制のもとに置かれるようになった。いわゆる統制経済で、市場経済の完全な否定である。

 平成まで続いた食糧管理制度の下で、政府が一元的に生産者から米を買い入れ卸売業者に販売していたときは、政府は統一された生産者価格で買い入れ、単一の消費者価格で売り渡していた。政府という独占的な買い手、売り手の下で独占価格が成立していたのである。それ以外の流通は、ヤミ米と言われ、終戦直後の食糧難時代には特に厳しく取り締まれた。

 しかし、食糧管理制度の下でも1969年自主流通米制度が導入され、政府を通さない流通が認められるようになり、さらに1995年食糧管理制度は廃止された。今は、制度的には独占価格は成立しない。

減反政策の基本は補助金交付

 政府が買い入れるという食糧管理制度の下では、農家保護のために米価を引き上げれば、生産量が増えて需要が減る。1960年代から70年代にかけて、米価闘争と呼ばれるほど、激しい運動が毎年6~7月頃繰り広げられた。霞が関や永田町は、農家のムシロ旗で囲まれた。農民票が欲しい自民党の圧力に負けて、米価はどんどん引き上げられた。

 この結果、大量の過剰米在庫を抱えてしまった政府は、多額の財政負担をして、家畜のエサ用などに安く処分した。これに懲りた政府は、農家に補助金を出して米の生産を減少させ、政府の買い入れ量を制限しようとした。

 これが減反政策である。

 しかし、農協は簡単に減反に応じなかった。代償に多額の減反補助金を要求したのである。このため、農協に突き上げられた自民党と減反補助金総額を抑えたい大蔵省(当時)との間で、大変な政治折衝となった。これは、自民党幹事長だった田中角栄が、過剰な水田の一部を宅地などに転用することで減反総面積を圧縮し、減反補助金総額を抑えながら、面積当たりの補助金単価を増やすという、とんでもない案をひねり出すことで、やっと収拾された。

 このように減反政策の基本は補助金の交付である。

 そのとき、なにも作物を生産しないのに補助金を出すというのでは、世間の批判を浴びるので、食料自給率向上という名目を付け、麦や大豆などに転作した場合に補助金を与えることとした。つまり、減反と転作は同じことなのである。減反補助金=転作補助金である。

 減反廃止という誤報を認めたくない人による、減反は廃止したが転作は廃止していないという、珍妙な記事を読んだが、農政に関わった人たちにとっては噴飯ものだったのではないだろうか。

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