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遺伝子組み換え食品の規制、日本に近づく米国

TPPが食品の安全性を奪うというのはまやかしだ。

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

拡大遺伝子組み換え作物の農場を経営する米国人男性 =2013年7月31日、米国ネブラスカ州ノースプラット

TPP反対論の中核だった食品の安全性

 数年前、TPP交渉に参加するかどうかを巡って国論は二分された。反対論のほとんどは、TPPを主導するアメリカによって、食品の安全性や医療などの制度や農業・公共事業など日本が守ってきたものがずたずたに改悪されてしまうというものだった。そしてアメリカに脅威を感じる多くの人がこれを信じた。

 TPP協定が合意された今では、これらのほとんどの主張が根拠のない”TPPお化け”だったことが明らかになっている。

 交渉中、政府は守秘義務があるため「おそらくそういうことにはならないはずだ」としか反論できなかったものの、協定内容が確定し公表された後は自信を持ってこれらの主張に反論している。通商問題や制度の専門家でもなく、根拠のないフェイクな主張を展開していた評論家や大学教授の人たちは、今やどこかに隠れてしまった。

 何よりも、彼らが恐れたアメリカが、TPPによってアメリカの雇用が奪われることを恐れて、TPPから脱退してしまった。アメリカが”TPPや日本が怖い”病に罹ってしまったのだ。

「アメリカは怖い」という病気

 遺伝子組み換え食品の規制も、そのようなものの一つだった。

 アメリカによって、日本の規制が変更され、安全でないものを食べさせられてしまう主張が、評論家や大学教授の人たちによって行われ、消費者団体の人たちも、これを信じた。

 遺伝子組み換え食品の規制を巡ってアメリカと交渉したこともある私は、そんなことにはならないと主張したが、効果はなかった。なぜ多くの人が専門家でもない人たちのフェイクニュースを信じるのだろうかと、虚しささえ感じた。

 少し長くなるが、TPP交渉に参加するかどうかを巡って意見が対立していたときに、私が一般向けの読者に書いた文章を紹介したい(山下一仁「TPPが日本農業を強くする」2016年日本経済新聞出版社234~237ページ(初出は2012年)を若干加筆)。

 「アメリカは怖い」という病気について、述べます。このような主張を行う人に、過去多国間の通商交渉に関わった経験を持つ人はいません。(中略)通商交渉の矢面に立ってきた農林水産省や経済産業省が行った交渉でも、日本は負けているわけではありません。むしろ、意気高に主張を繰り返すアメリカに対し、苦しみながらも、かれらの面子を立てつつ、日本の利益を確保するという、一段高い戦術を持って対応してきたというのが、私の感想です。(中略)
 遺伝子組み換え食品の表示問題に関する2002年APECの貿易大臣会合での私の経験を述べたいと思います。
 TPP交渉で遺伝子組み換え食品についての規制が緩和・撤廃されるのではないかという主張があります。まず、どの国も安全性が確認された遺伝子組み換え食品しか流通を認めていません。各国で規制が異なるのは、安全だとして流通を認めた遺伝子組み換え食品についても表示の義務付けを要求するかどうかです(注:まず、この重要な点が理解されていなかった)。
 アメリカはそのような表示は全く不要であるという立場です。日本は、豆腐など遺伝子組み換え大豆のDNAやたんぱく質が食品中に残存する製品についてのみ、遺伝子組み換え農産物を使用したという表示を義務付けています(注:重量比で5%以下であれば表示義務はない)。これに対してEUでは、豆腐などの製品だけでなく、しょう油などのDNAなどが残存しない製品についても、1%でも遺伝子組み換え農産物が含まれていれば、遺伝子組み換え食品だという表示を要求しています(注:0.9%以下であれば表示義務はない)。これは製品を調べただけでは表示が正しいかどうか検証できないので、遺伝子組み換え農産物とそうでない農産物について、すべての流通段階で分別、区分けすることを義務づけるしかありません。アメリカがEUの表示規制に反対するのは、このために膨大なコストがかかり、安全性が確認された遺伝子組み換え食品の流通が事実上禁止されてしまうからです。
 これは(WHOとFAOの合同の)コーデックス委員会で議論されましたが、各国の立場が異なり、国際的な基準を合意できませんでした。2002年APECの貿易大臣会合でアメリカは、EUの規制はおかしいとAPECの全貿易大臣からEUに申し入れをしようと提案しました。当時交渉担当者だった私は、日本の規制に影響が出かねないと判断して、同様な制度を持つオーストラリア、ニュージーランドにも働きかけて、この試みを潰しました。TPP交渉で、日本の規制が見直されることは考えられません(注:遺伝子組み換え食品を使用していないことを言明するファストフードのチェーン店が現れたり、2016年バーモント州議会が遺伝子組み換え食品の表示を義務付ける法律を成立させるなど、アメリカでも遺伝子組み換え食品に対する警戒が高まっている)。
 これにかぎらず、TPPに反対する人たちの中には、医療や地方の公共事業などで、一方的にアメリカの制度や要求が押しつけられるという主張が目立ちます。しかし、これまでの日米2国間の協議と異なり、TPP交渉のような多国間の交渉では、それ以外の国と問題ごとに連携することができますし、協定とは双方が共通の義務を負うので自らが要求したことは自らの義務として跳ね返ってきますから、いくらアメリカでも自分の主張を押しつけることはできないのです。(中略)
 「アメリカが怖い」病の主張者は、外にでるとアメリカが怖いので、日本に引きこもるべきだというのでしょうか。もっと、日本人は自らの力に自信を持ってもよいのではないでしょうか。

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筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

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