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日産は落ち目のカリスマに年20億円を払い続けた

ゴーン来日から19年。コストカットが染みついた日産に必要なのは「技術」の復活だ

大日向 寛文 朝日新聞経済部記者

V字回復後、輝き失った手腕

 「失われた20年」と言われた平成の日本経済。低成長の中、サラリーマン経営者が、身内での対立を恐れて解決策を先送りする「日本型経営」がやり玉にあがった。果敢な経営判断を下す取締役が報われるよう、「高額な報酬を支払うべきだ」との意見が強まった。

 東京商工リサーチの調査によると、2018年3月期決算で報酬が1億円以上あった上場企業の役員数は、過去最高の538人。最高額はソニーの平井一夫会長の27億1300万円。10億円以上は8人いた。それでも日本の企業トップの報酬は、欧米に比べるとまだ低い。

 それでは、ゴーン氏は高額な報酬を毎年受けとるに値するだけの実績を残し続けてきたのか。私はかなり疑問に思っている。

 確かに、倒産寸前の日産の経営を立て直したゴーン氏の実績は大きい。

 1999年のリストラ策「リバイバルプラン」で、国内5工場を閉鎖やグループ社員の7分の1にあたる2万人超の人員削減、系列部品メーカーとの取引の見直しを断行。早くも2001年3月期には、過去最高益を稼ぎ出した。黒字化時期などの数値を「必達目標」として公約して、会社の改革を加速するその手法は、ゴーン流の経営の代名詞となった。

 「銀座通産省」とも揶揄された官僚的な風土が強い当時の日産の改革は、ゴーン氏のような外部から来た剛腕経営者でなければなしえなかったはずだ。この頃の実績では、年20億円の報酬は高くはなかったといえるかもしれない。

 ただ、経営危機を脱すると、ゴーン流経営はとたんに神通力を失っていった。その後は報酬に見合ったほどの結果は出せていない。

 ゴーン氏が掲げた必達目標が初めて未達になったのは2007年のことだった。2005年に決めた「2008年度中に世界販売420万台」の達成時期を先送りしたのである。

 原因は、目先の業績を拡大するため、2004~05年度に新型車を集中投入した反動だ。必達目標の未達で、株主からは退任を求める声も出たが、ゴーン氏はこれを拒否した。

 その後の計画では、数値目標は「必達」ではなく、「努力」に変質した。その理由について、ゴーン氏は朝日新聞の取材にこう述べている。

「必達目標は、外部からはなぜ未達なのかと批判されやすい。会社が適切に進歩しているなら、時には未達だっていい」

 2016年度までの6年間を目標にした中期計画「パワー88」では、世界シェア8%、営業利益率8%を二本柱に掲げたが、どちらも未達だった。2018年3月期の営業利益率は4.8%。国内自動車大手7社の平均を下回った。

 エコカー開発も迷走した。ハイブリッド車でトヨタやホンダに出遅れたゴーン氏は、電気自動車(EV)で巻き返しを図った。

 2010年末にはEV「リーフ」の販売を開始。ゴーン氏は「2016年度までにルノーと合わせ150万台を販売する」と表明した。

拡大新型「リーフ」への充電の様子を公開=2017年9月6日、千葉市美浜区の幕張メッセ

 ところが、実際に売れたEVは、新たにグループに加えた三菱自動車分を加えても約42万台。目標の3分の1以下にとどまった。

 電気自動車の競争力を左右するのは、長年自動車会社の強みだったエンジンではなく、リチウムイオン電池だ。日産はリーフの発売にあわせて「世界最大のメーカーになる」(ゴーン氏)ことを目論見、NECと電池生産の合弁会社を設立した。

 これも大きく当てが外れ、今夏、中国企業への売却を決めた。韓国、中国メーカーの技術が急速に進歩し、「外部から買った方が安上がりになった」(日産幹部)ためという。

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筆者

大日向 寛文

大日向 寛文(おおひなた・ひろぶみ) 朝日新聞経済部記者

1975年生まれ。3年間の中央官庁勤務後、2001年朝日新聞社入社。自動車、鉄鋼業界、メガバンクや金融庁の担当後、2012年から14年までは財務省担当として、消費増税法やその後の安倍政権の予算編成を取材した。3年間の名古屋経済部キャップを経て、2017年4月から東京経済部記者。

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