ゴーン会長だけが悪いのか?
かつては日本的慣行に流され、ゴーン支配下では顔色をうかがった日産経営陣
木代泰之 経済・科学ジャーナリスト
日本の慣行「ケイレツ」を破壊したゴーン氏
日産に送り込まれたゴーン氏がまず取り組んだのは、部品を生産する系列企業の在り方だった。「ケイレツ」は日本の企業社会の風土を象徴する言葉である。
ラジエーター、計器、マフラー、ランプ、シート――。部品ごとに系列企業があり、社長や役員には日産本社の幹部が天下る。営業努力をしなくても、注文は日産本社が与えてくれる。
ゴーン氏はこの系列優先の慣行を否定し、国内外の部品メーカーと同列に置いて、価格競争をさせた。当時の幹部は「本社と系列はずっと家族のような関係だったが、ゴーン氏には一切の温情もなかった」と振り返る。日産との取引が減った分、系列企業は新しい得意先の開拓を迫られた。
全国の販売店も同様だった。ニッサン、プリンスなど4系統あり、本社の国内営業部門が社長や役員を送り込んでいた。ゴーン氏は業績の悪い販売店の社長を次々交代させた。

日産自動車の本社=2018年11月21日、横浜市西区
再建プランを作成しながら何も実行しなかった旧経営陣
主力の村山工場(東京)も閉鎖した。日産は村山のほかに座間、追浜、九州、栃木の4工場を持っていた。以前から旧プリンス系の村山工場が閉鎖の有力候補に上っていたが、労働組合や地元自治体・商店街、議員らが反対し、歴代社長は決断できなかった。
1990年代から再建プランを作成しながら、何も実行しないまま倒産寸前まで行った経営陣。それが「自立した企業統治ができない体質」である。
しかし、ゴーン氏は容赦なく実行した。外国人であるゴーン氏の強みは、日本特有の利害の絡む「しがらみ」に無縁なことだ。ゴーン氏のリストラによって1万8000人が削減され、2003年には負債を完済した。
ゴーン氏の手法が日本社会に与えた衝撃は大きく、経営の常識をひっくり返したと言ってもいい。利権やしがらみを調整してコトを決めるような従来のやり方は、グローバル化の世界では通用しないことを教えたのだった。