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「リフレ派vs財政再建派」対立の終焉

経済政策はポストアベノミクスを睨んだ新たなステージに

与謝野信 外資系証券会社勤務

 

再任した黒田東彦・日銀総裁(左)と握手をする安倍首相=2018年4月9日、首相官邸

アベノミクスの政治的成功によるリフレ派の「勝利」

 9月の自民党総裁選で安倍首相の3選が決まり、自民党総裁として2021年までの新たな3年間の任期を手に入れた。現在の衆院の任期は2021年10月まであり、来年の参院選を乗り越えれば、衆院の早期解散をしない限り、衆参両院での盤石な自公体制で政権運営をはかれる。残りの3年でどの政策課題に優先的に取り組むかは世論や地政学上の変化などにより流動的な側面もあるものの、悲願の憲法改正、アベノミクスの集大成、拉致問題をはじめとする北朝鮮との外交政策などが予想されている。

 安倍首相は政権奪還以降の良好な景況感を自身の経済政策であるアベノミクスの果実としてアピールしてきた。アベノミクスは国政選挙5連勝を支えた安倍政権の政策面の最大の実績であり売りである。その政治的成功は、長年続いたリフレ派と財政再建派の政策論争におけるリフレ派の政治的勝利を意味していた。

 しかし、堅調な株式相場や雇用環境にも関わらず、肝心の物価上昇率は目標の2%を未だに達成できないでいる。日銀は物価上昇率年率2%の達成時期を棚上げし、新たな緩和策を打ち出すことなく実質的に現状の金融政策の限界を認めてしまった。総裁選における経済政策論争において、安倍首相自身が日銀による量的金融緩和策の出口戦略を任期中にやり遂げたい旨発言し、加えて消費税増税に関しても来年の実施を明言し増税による財政再建を受け入れる姿勢を見せた。純粋なリフレ派の政策からの転換を示唆しているのである。

 同時に現在の安倍政権の経済政策に関するアンチテーゼとしてどのような議論があるかをみてみると、大規模緩和をいつまでも続けるわけにはいかないといった緩和策からの出口を議論する、地方創生などの成長戦略に注力する、といったものが見受けられる。

 意見が分かれるのが消費税増税の再々延期に関してで、自民党内のポスト安倍を目指す勢力には増税実行を主張する面々が多い半面、若い世代の自民党議員や野党議員の中には消費増税に反対する声もある。ただこの消費増税反対に関する議論も、

・財政赤字の拡大を容認する(=将来世代に負担してもらう)
・社会保障費の抑制を容認する(=主に高齢者に負担してもらう)
・所得税・法人税の増税を容認する(=収入の多い個人・法人に負担してもらう)

などその財源負担の方法には意見のばらつきがある。マクロ経済の理論に立脚した政策議論ではなく、「誰に負担させるか」という再分配の考えに近い議論である。現在の主要ポスト安倍候補や野党にも「リフレ派対財政再建派」という枠組みは当てはまらない。

安倍首相はリフレ派と距離を置き始めた

 安倍首相が主張するように、安倍政権下で日本の経済環境は大幅に改善した。政治家としてはこの実績だけで充分であり、物価上昇率が目標に到達しなかったとしても当分は大きな問題ではないだろう。憲法改正などの他の政治課題に政治資源を使うためには、今後の経済政策は成長につながる政策や政治的に好ましい政策なら実行するし、違うなら方向転換をするということであろう。「リフレ派」の政策理論に固執する必要は政治的には全くない。

 今後の安倍政権の経済政策は純粋なリフレ派のそれとは距離を置きつつ、少子高齢化に対応すべく持続的社会保障制度を念頭に置き、潜在的成長率を高めるための成長戦略や構造改革を推進することになるだろう。

 しかし各種成長戦略が確実かつ継続的に経済成長率を高める保証もなく、物価上昇率が2%に到達する見込みなしには、もう一つの課題である社会保障制度の見直しなどは、保障費の抑制か社会保険料の上昇もしくは増税による「歳出を減らすか歳入を増やすか」の議論になってしまうだろう。景気への影響は気にしつつ安心できる社会のための持続的な社会保障制度の整備という「財政再建」の課題は避けて通れない。

 そして純粋なリフレ派の理論から距離を取りつつあるのは永田町では安倍首相のみではない。自民党内のポスト安倍候補や野党の面々も金融緩和政策の負の面を口にするようになっている。現在の自民党および野党の中に以前のような影響力のある「リフレ派」「財政再建派」といった議員はあまり見なくなった。研究者の間では日銀の量的緩和政策で物価目標が達成できていないことへの評価や消費税増税の評価などをめぐって議論は続いているのであろうが、政治の現場の実務を担う政治家の中ではもはや過去の「リフレ派」対「財政再建派」という政策の対立軸はほとんど意味をなさなくなってきている。

リフレ派・財政再建派双方の理論と、現実は随分違った

 両派の論争が下火になっている原因の一つは、現実の経済運営において両派の理論ともに日本の現在の状況を改善させる真に有効な手立てを持っていないと政治の現場における認識が浸透してきたためではないだろうか。

 極端に話を単純化させると「安倍政権発足以来リフレ派の経済政策を実行しているが十分な物価上昇につながっていない。一方で財政再建を優先して社会保障などを充実させても、現在の日本経済には負担増に耐えるだけの体力があるのか心もとない」といった具合にどちらの政策を推進するだけの確信を政治家が持てていないのではないだろうか。

 これは両派の理論から出た経済予測の一部が実際には実現しなかった、もしくは政治家が理解していたことと違ったため、政策上のバックボーンとしての信頼性を失ったことが大きいであろう。政策が思うような効果をあげなかったり、その逆に一部の研究者が予測したような大きな悪影響が起きなかったりしたことから、実際問題両派の政策のメリット・デメリットがわかりづらくなってしまい、明確な政策論争を続けられない状況なのではないだろうか。

 より具体的にはリフレ派が期待していた日銀による大胆かつ長期にわたる金融緩和が目に見える物価上昇率という形で成果をもたらさなかったこと。一方で財政再建派が当初批判していたような「インフレか長期金利上昇」という事態も現在のところ発生していないことが挙げられる。

 リフレ派が当初目指したであろう3本の矢(金融緩和と機動的財政出動で景気回復を促し、成長戦略で潜在的成長率を高める)という戦略はどうだったであろうか。

 金融緩和の一番の効果は円高抑制で、景気対策の効果はみられた。一時的な財政出動もしかりで、消費増税延期もふくめて景気回復に寄与したであろう。合わせて景気自体は拡大を続けており、景気回復期間は戦後最長の水準である。

 ただし、好景気時の実質成長率がバブル崩壊後の好景気時にみられるような1%近辺という以前より低い水準から改善しているようにはみられない。物価上昇率の2%のかさ上げとともに、名目成長率が3%程度になる予定だったが、そこにはたどり着いていない。そして景気回復とともに税収は伸びてはいるのだが、少子高齢化という人口動態を考慮に入れた将来の社会保障費の増大をカバーするまでには至っていない。

 10年以上前から続く「リフレ派」対「財政再建派」の論争で当初両派が主張していた理論的帰結からは大分違っているのが現実の世界である。

財政再建派のピークだった3党合意

 リフレ派が「上げ潮派」と呼ばれていた時代からの10年以上にわたる財政再建派との政策論争は金融危機という世界規模の不況の波にも翻弄されながら、ときの政権の政策決定の中心的論点であった。そして政界においてときには権力闘争とも絡んだ独特の力学で優劣が変わり、政策への両派の影響力を変化させてきた。学者間の論争と違い、政界での論争の優劣は学問的な精緻さやエビデンスなどとは別の次元の国政選挙の結果や有力議員の引退などが大きな決定要素となる。

 小泉政権以降、上げ潮派の代表格の中川秀直氏と竹中平蔵氏が影響力を失う一方、与謝野馨、谷垣禎一氏らの財政再建派が経済財政担当相や財務相などの税制政策の主要ポストに登用され社会保障一体改革・消費税増税の道筋がつけられた。

竹中平蔵氏
与謝野馨氏

 民主党による政権交代後、民主党内にはいわゆるリフレ派を代表するような有力議員はおらず、そもそも政権交代前の党の主張は政府支出における無駄な支出を無くすことにより増税せずともマニフェストにて公約した高速道路や教育費関連の支出増が可能というレベルの議論であった。このため民主党政権内における議論の中心はマニフェストを遵守して消費増税を行わないか否かという点に集中しており、デフレ経済からどのように脱却するかといった議論は成熟していなかった。

 予算編成を通じて財政支出の削減が思うようにいかず、財政赤字の最大のネックが社会保障費の膨張にあるという認識が広まると同時に欧州の信用危機を目の当たりにした菅政権は財政再建の重要性を認識して政策の方向転換をする。政権に与謝野馨を招聘し、自民党で議論されていた社会保障一体改革・消費税増税路線を民主党政権で実行しようとする。この動きは野田政権でも続き消費税増税を決定する3党合意にたどり着く。このときが「財政再建派」政界における影響力のピークであった。

金融緩和は株価を上げたが、物価は目標までは上げなかった

 安倍氏とリフレ派のブレーン達は政権奪取前から日銀による量的金融緩和政策を主張していた。

 米国ではFRBが2008年から3度の量的緩和策を打ち出しており、ECBも同様の政策を行うのだが、欧米での量的緩和政策導入の直接的原因は信用不安であり、金融機関や国債の信用スプレッドが上昇している状況で中央銀行が大量にこれらの資産を購入することにより市場に安定をもたらす必要があった。

 これに対して日本では国債の信用不安は起きていいなかったし、金融機関も体力面でも信用面でも問題はなかった。日本の量的緩和は当初から期待インフレ率を上げることを目的とした政策であり、研究者の間では議論されていたが、日銀や政府の実務レベルではまだ一般的な考えではなかったし、効果に関しても賛否両論であった。

 アベノミクスという名前を与えられることにより、この金融緩和は安倍政権の経済政策の一部となり、景気対策としての政策という位置付けになった。このため、当初2年という期間をきって物価上昇率2%達成を目標としていたが、その目標が未達成でも主に円安効果および資産効果から来ると思われる実体経済における景気対策としては一定の成果を上げ、株式市場においては明らかな上昇要因になったわけで、経済政策としては少なくとも政治的には成功だったと言える。

 ただ現在のところ本丸の物価上昇率は未達であり、デフレ(正確には低インフレ)を脱するに至っていない。厳しい見方をするならば、世界的な景気回復の波と財政出動、金融緩和によってもたらされた円安・株高の効果で現在の景気回復は大まかに説明できる。

日本銀行の黒田東彦総裁
 これはデフレ派(少なくとも黒田日銀総裁)が説明していた経済再生過程とは若干異なる。主たる狙いは物価上昇率を2%に持っていくと同時に名目利子率をゼロ近辺に持ってくることにより実質金利をマイナス2%程度に引き下げることであったはずである。物価上昇率が思うように上がらないため、実質金利の水準は名目利子率と大きく変わらず、大幅な国債購入プログラムで名目長期金利を0%付近まで下げることはできたが、名目利子率が0%を下まわれないため緩和的金融政策が効果的でないという「流動性の罠」の解決には至らなかった。

 端的にいうならば、デフレ退治とは「流動性の罠」の状態から脱することであり、「流動性の罠」を解決できないリフレ派というのは成立しないのである。現在のところ「長期の緩和策による弊害」というざっくりとした表現で現状の問題を表しているが、日銀のバランスシートの健全性が損なわれていること、金融機関の収益性が下がっていること、一部資産価格が本来の市場価値よりも上昇していることなどのデメリットを指すのだろうが、もっとも大きな問題は本来想定されていた最大のメリットである物価上昇圧力がないということである。

 安倍首相と日銀総裁が出口戦略について語り始めざるを得ないというのは、リフレ派の中心的政策であった期待インフレ率を大胆な金融緩和で上昇させ、実際のインフレ率の上昇に繋げるという理論が実践ではうまくいかなかったことを認めたと同じである。

 大幅金融緩和はインフレ目標は達成できていないが、一方で不自然な金利市場が長く続くと各種の弊害が出てくる。一つの例が金利カーブのフラット化による金融機関の収益構造の悪化である。

 そもそも金融緩和は一般的に貸し出しを増加させることにより投資を刺激する効果が期待されているのだが、金融機関の収益悪化は貸し出しを抑制する。このように「流動性の罠」にはまっている状態での金融緩和は経済への好影響が少ない一方、予想しにくい悪影響がいろいろ後から出てくるという非常に舵取りが難しいものである。

インフレはコントロールが難しい

 「リフレ派vs財政再建派」という政策軸が失われつつあるが、それでは今後の経済政策論争の焦点はどうなるのであろうか?まずは我が国が直面しているマクロ経済の主な課題を考えてみよう。

1.少子高齢化と一人当たりの社会保障負担の増大
2.低金利・低インフレによる金融政策の無力化(流動性の罠)
3.人口減少下における潜在的成長率の維持

 これらの項目は以前から変わっていない。言い換えれば1に必要なのが財政再建であり、2に必要なのがデフレ対策、3に必要なのがあまたの「成長戦略」に相当する。

 実はある程度のインフレ(年率3~4%程度)が発生すると1と2はおそらく同時に解決される。リフレ派があまり強調しないでいることだが、インフレは高いレート(10%超)になると急速な実質的債務残高の減少をもたらす「借金の棒引き」と同じになる。経済史家たちが「財政破綻」の歴史を論じる時に対外的な「デフォルト」と一緒に対内的に高インフレで減免効果を作り出すことも視野に入れるのはこのためである。

 一方でマイルドなインフレ(年率3~4%程度)は実質的な増税効果があり財政再建に寄与する。

 増税(もしくは社会保障費の抑制などによる歳出削減)による伝統的な財政再建とインフレによる財政再建の主な違いは所得移転における負担側の違いである。

 財政政策に基づいて財政再建を行う場合、増税や政府支出の削減など「コントロール可能」な範囲で行うことで、低減税率や低所得者層への対策など政治判断による所得移転のコントロールがある程度可能である。

 一方でインフレが起きた場合の所得移転のコントロールはずっと難しい。給与や年金などが物価上昇と自動的にリンクしていない場合は特に難しい。消費税が全所得でなく消費に対するパーセンテージなのに対して、インフレは預金で持っている資産と名目で固定されている給与や年金の全ての価値を同時に毀損する。率もインフレはコントロールが難しい。

 このようにインフレ政策はいわゆる高インフレによる社会の混乱(貨幣経済の混乱)がおきなくとも、マイルドなインフレでも十分社会に混乱をもたらすのである。

 しかしインフレ率がある程度にまで上がらないと「流動性の罠」から脱することはできず、金融政策が無力化したままの状態が続いてしまう。前述の社会保障費の増大を考慮に入れると戦略的財政支出があまりできない(つまり積極的財政政策が取れない)上に低インフレと名目金利のゼロ近辺での高止まりによる実質金利が低下しない(つまり積極的金融緩和政策が取れない)というダブルパンチを生産人口減少が進む(つまり成長率が自然と低下する)日本に浴びせるのはあまりにも酷である。

アベノミクスの次のステップへ

 このような経済的状況を勘案すると今後の経済政策の論争は以下のようなものが主軸となるだろう。

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