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トルコ原発輸出断念 今井尚哉の敗北

東芝は失敗、三菱は撤退。残るは日立のみ。もはや新規原発の建設は難しい

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

会談前にトルコのエルドアン大統領と握手する安倍晋三首相=2018年12月1日、ブエノスアイレス

師走の安倍・エルドアン会談

 安倍政権と三菱重工業はトルコに原子力発電所を建設する計画を断念することになりそうだ。福島第一原発事故という人類史上に残る惨事を起こしておきながら原発輸出によって経済成長を目指すという政策自体がもはや成り立たなくなっている。

 朝日新聞の12月6日朝刊のスクープによると、安倍晋三首相とトルコのエルドアン大統領は1日、アルゼンチンのG20で会談し、当初予定していたようにはシノップ原発計画が実現することは困難になりつつあることを確認しあった。日本政府は親日国のトルコとの良好な関係を維持しようと、2019年1月、世耕弘成経済産業相をトルコに派遣し、原発の代替策として二酸化炭素の排出量を抑えた最新鋭の石炭火力発電所の建設計画を提案することになっている。

 トルコは天然資源に恵まれず、エネルギー源の7割を輸入に頼ってきたため、1960年代から原発の導入を模索してきたものの、資金不足によってその都度挫折することを繰り返してきた。三菱重工は1990年代半ばからトルコを有望な輸出先として研究を進め、トルコが海外メーカーに原発計画を打診するたびに三菱も名乗りを挙げてきた。

 しかし、話は順調に進まない。「90年代にウチも話に乗ったんだけど、結局『カネがない』と言い出してきた。2005、06年にも話が持ち上がったのだが、『やっぱり原子力は危険だ』なんて言い出してね。ホントは資金不足の言い訳なんだけれどね」。当時の三菱の原子力部門の幹部は、そう振り返る。「まぁ、こういうことを繰り返しているから、世界の原発メーカーからすると『いいかげんにしろ』というのがトルコの評価です」。資金はないがエネルギー源は欲しいというのがトルコのお家の事情であった。

「原発輸出の旗を降ろすな」

 一方の日本は経済成長に伸び悩み、とりわけ民主党政権は経済成長に無為無策だった。そこで飛びついたのが、経産省が売り込んできた原発を始めとするパッケージ型インフラ輸出。自動車や電気製品のように機器の売り切りではなく、機器(ハード)を売った後もメンテナンスやサービス(ソフト)で継続的に売り上げを立てようという考えだ。コピー機メーカーがインクトナーで利益を上げていくのを、より大がかりに展開しようというアイデアと言えよう。

 いま日立製作所の社外取締役に転じている望月晴文事務次官や、安倍首相の秘書官を務める今井尚哉審議官らがその振り付け役だった。

 ところが、「受注確実」と噂されてきたアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ原発の計画で、日立製作所を中核メーカーとした日本勢は、後発の韓国勢に価格面で引き離されて手痛い敗退を喫した。この「UAEショック」の雪辱を果たそうと、新たな売り込み先に上がったのがベトナムやトルコだった。

 トルコが建国100年の2023年に運転開始を目指していたシノップ原発計画では、経産省と親密な東芝が東京電力と連合体を組んで受注するつもりでいて、「我々よりも彼らの方がはるかに先行していた」(三菱重工の原発部門のトップだった大仲輝昌元執行役員)。このころ東芝・東電連合は、韓国の安値受注に脅威を感じていたせいか、比較的安価な金額で原発を建設できるようなことをトルコ側に甘くささやいた模様だ。

爆発後の福島第一原発3号機の原子炉建屋=2011年3月15日、東京電力提供

 そこに東電原発事故が襲った。東電は事故収束と賠償に追われ、海外進出どころではなくなった。後押ししてきた経産省はそこであきらめればいいのに、当時資源エネルギー庁の次長になっていた今井氏が「原発輸出の旗を降ろすな」と三菱など各メーカーにアプローチしてきた。

 「各メーカーを呼んで『何か知恵を出してくれ』と今井さんは言っていましたね」と大仲氏。とりわけ各社に「ハッパをかけてきた」のが、今井氏の下にいた香山弘文原子力国際協力推進室長だった。「もっと強い姿勢で臨んでほしいとずいぶん言われましたよ」。そう大仲氏は当時を振り返る。

「いわば役所へのお付き合い」

 東芝・東電連合が退くなか、「いわば役所へのお付き合い」(三菱の元原子力本部幹部)で始まったのが三菱のシノップ原発の計画だった。三菱の社内ではシノップは「今井案件」と言われる。

 こうした経緯を踏まえて、三菱の幹部は今になって「原子力部門が直接、官邸やエネ庁と交渉を持つのは危うい。政府に乗せられる危険性が高い」と反省する。

 だが、あの当時、三菱は神戸造船所で製造していた商船(コンテナ船、自動車運搬船)から撤退し、同造船所は原発と潜水艦の製造に賭ける選択をしていた。原発事故後、国内で新規原発立地が絶望的になっていた。

 今は反省を口にするその同じ幹部が当時、「神戸の5000人の従業員を食わせていくには海外に原発を輸出するしかない」と語っていた。こんな三菱のお家の事情もあったのである。

 三菱によれば、韓国や中国勢に競り負けないよう東芝・東電連合が比較的安価な原発1基5千億~6千億円で建設できるとトルコ側に売り込んでおり、トルコはその東芝の試算をもとに計画を立案していった。トルコにはカネがないため、ここで浮上したのが、原発メーカーが原発を建設し、その後も所有し続け、発電された電気を売って建設費用をまかなうという「BOO」(ビルド・オウン・オペレート)方式だった。

 安倍首相がトルコを訪問した2013年、両国は原発協力の協定を締結。その付属書の中で、三菱重工と伊藤忠商事は仏アレバの開発した最新鋭のアトメア1型原発4基を建設し、売電価格は20年間、1キロワットアワーあたり10.80~10.83米セントにすると決められてしまった。

「トルコは無理。どうやって撤退するか」

 三菱は、東芝と同じく原発に大きく張ったものの、海外に売り込むリスクが大きいことは当初からわかっていた。「我々の財務基盤がどれだけ耐えられるか。そのためのシミュレーションをしていく」。受注が決まった2013年秋に宮永俊一社長にインタビューすると、意外なほど慎重な言葉が出てきたことに驚いた記憶がある。

 確かに三菱が事業化可能性(FS)調査をしていくと、原発事故後の安全規制強化によって機器の開発・製造がコスト高になったうえ、地震国のトルコで基礎や土台をしっかり造る建設作業に膨大な金額がかかりそうなことも判明した。1基5000億円はとても無理で、2倍以上の1兆円以上になりそうなことがわかってきたのである。しかも、米ドルに対してリラが下落し続けたため、トルコからすると4~5倍にも価格が跳ね上がる計算にもなった。

 「トルコは無理。どうやって撤退するか」。昨年暮れから三菱の社内ではそんな声がささやかれ始めた。エネ庁を通じて水面下でトルコに打診すると、同国高官の「失望した」という返事が返ってきた。3月末に提出する予定のFS調査結果は、トルコ側が「そんな内容なら受け取れない」と拒んで、7月以降にずれこみ、三菱の盟友の伊藤忠は採算に合わないと一目散に逃げ出した。

 最後はエルドアン大統領の面目をどう保って、三菱が足抜けするか、落としどころの立案だった。大統領の顔が立つように日本政府は最新鋭の火力発電の協力を申し出て、三菱はなんとかトルコから撤退することができた。経産省が旗を振った原子力ルネサンス計画に心中し、ウェスチングハウスで大損した東芝の愚を避けた賢明な判断だったと言えるかもしれない。

残るは英国で原発を進める日立のみ

 残るは英国ホライズン原発を進めている日立のみとなった。

 「いまの原発建設は安全規制の強化によるコスト増というよりも、特に土木工事に関する費用がものすごく増えている」と東電の原子力部門の元幹部は打ち明ける。

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