平成の挽歌が聞こえる~始まりはバブル絶頂だった
GDP2位から転落、自信を失った日本。マイノリティを受け止める若者たちが希望だ
木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

史上最高値の株価をつけた平成元年の東証大納会=1989年12月29日、東京・日本橋兜町の東京証券取引所
平成の時代が間もなく終わる。
1989年(平成元年)1月7日早朝、先の昭和天皇が崩御。その日、皇居では28万人が列をなして記帳したが、同じ日、全国の証券会社の窓口には、政府が放出する沖縄電力株を求める人々が並び始め、9日の売り出し時には5万人を超えた。
自粛ムードと旺盛な経済の営みが併存する風景の中、平成が始まった。
地価や株価が高騰、平成のスタートはバブル真っ盛り
平成元年はどんな年だったのか。
1月に決まった政府の経済見通しは「内需主導で4%成長」と高らかにうたい、政府予算の一般会計は60兆4000億円で前年比6.6%増加した。税収が増加し、凍結されていた整備新幹線は15年ぶりに着工が決まった。
日本はバブル景気の真っ盛りだった。不動産価格は高騰し、日経平均株価は史上最高を連日のように更新(上のグラフ)。深夜、街角でタクシーを止めるのに1万円札を振る時代だった。
三菱地所は、米国人の反感などお構いなしにニューヨークど真ん中のロックフェラーセンターを購入。ゼネコンや商社、サラ金業者は欧州の古城やワイン農場、印象派の名画などを買い漁った。
証券会社は、東京湾岸に土地を持つ企業を「ウォーターフロント銘柄」と名付け、「もっと上がる潜在力がある」と投資家を煽った。多くの国民がおこぼれに預かろうと株やゴルフ会員権を買い、日経平均は89年末にピークの3万8915円を付けた。