多様性を認め合う 定住したインドシナ難民たち
日本社会にすでに定住した人々は新たに来日する外国人をどう見ているのか
岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー
「私たち難民は、ずっと日本社会に貢献したいと思っています」
平塚市の横内団地。田畑の中に集合住宅が並ぶ。NPO法人在日カンボジアコミュニティ理事長の楠木立成さん(58)は、この近くでバイクや自動車などを輸出する会社を経営している。
楠木さんは、カンボジアで教員をしていた。1984年、政治的迫害を恐れてタイ国境にある難民キャンプに脱出した。1990年に難民として来日し、定住した。東京・品川にあった「国際救援センター」で日本語や日本の生活を学びながら約半年間を過ごした。
その後、横浜市内にある自動車会社に就職した。1994年、平塚市のプラスチック加工会社に勤めるカンボジア人の友人の誘いもあって転職・引っ越し、家族を呼び寄せた。
2008年のリーマン・ショックでリストラされたが、雇用保険という命綱があって助かった。高等職業技術校に通って車やバイクを整備する資格を取得し、カンボジアへの中古車輸出で起業した。
楠木さんは取材で会った際、自分たちの立ち位置についてこのような表現で語った。
「私たち難民は、ずっと日本社会に貢献したいと思っています。サッカーの国際試合を見れば、自然と日本代表を応援していて、負けると悔しい」
今ニュースで話題になっている技能実習生に対しては、たとえ母国が同じでも、日本に来た理由は違うし、自分たちはこれまで日本社会で努力してきたのだから、同一視しないでほしいという思いが楠木さんにもある。
日本で暮らすカンボジア人の互助組織は前々からあった。トラブルや困難なことを抱えた人を助け合う組織だ。2012年にNPOに移行した。現在の理事長の楠木さんは「私の気持ちとしては、日本人にカンボジアのことをもっと知らせていきたい」とし、活動の幅を広げていく考えだ。

楠木立成さん
楠木さんは2005年、日本国籍を取得した。国籍取得の理由の一つが、子どもたちが日本で学んだり、仕事をしたりしていくために有利ということだった。「楠木」という姓は、好きな武将の楠木正成からとった。
そんな楠木さんでも、「日本で28年間生活していますが、日本人になるのはなかなか難しい」という。だから「少し日本人が外国人に歩み寄ってもいいと思う」と感じている。
どのような点で難しいのか。尋ねてみると、いくつか例を話してくれた。
日本人は「深く考え、計画を立てて行動するような人生」を過ごしていると感じるが、「東南アジアの人たちはそのような暮らしに慣れていません」。日本人は「YES」「NO」をはっきり言わず、遠回しの表現を使うことが多く、日本語の理解力が劣る外国人は誤解しやすい。「お前」という呼び方は「見下されているとみんな感じています」という。

プノンペンの高層ビルの減築現場のそばで生活する建設労働者たち=2017年7月18日