日本は「多様性を認め合う」社会に変わるしかない
外国人を「労働力」としか見ないのは間違い。彼らなしに日本はもはや成り立ちません
岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

外国人労働者に関する野党合同ヒアリングに出席し、思いを述べた後、涙を拭う技能実習生(右端)ら=2018年11月8日、国会内
今までの生活を維持するための答えが「外国人」だった
3回シリーズ「アメラジアンスクール@沖縄」「5宗教共存の幼稚園@つくば」「定住したインドシナ難民たち」で、日本が多様性を認め合う社会へ成熟するための課題をそれぞれの現場から考えてきました。
2018年には、出入国管理法が改正されました。事実上の「移民」を認める政策に転換するのか、国民を巻き込んで大きく議論されました。
日本は欧米のように陸路で入国できず、玄関口は国際空港にほぼ絞られます。そのため、在留許可に高いハードルを設ければ、日本国内で暮らす外国人数をコントロールすることは難しくありませんでした。
けれども、今やその状況は大きく変わっています。
コンビニでは外国人留学生らが働き、観光地では外国人観光客が押し寄せお金を落としていきます。農業、建設といった現場でも欠かせない存在となりつつあります。人手不足の介護の現場では新たな在留資格による外国人労働者の受け入れに対する期待感があります。
日本社会が外国人の労働力を欠かせなくなった大きな原因は、少子高齢化に伴う人口減少社会が世界でも未曽有のスピードで突き進んでいるからだと思います。国内では、日本人の労働者が減少し、市場が縮小したり、消費者の購買力が落ちたり、生産性が落ちたりしていく社会が待ち構えています。負のスパイラルです。介護や農業、建設など一部の分野は、賃金を上げれば日本人労働者が集まるという単純な構図ではなくなってきています。
一方、社会保障など公的な支出は増えていきます。65歳以上人口が急増し、「長寿リスク」が語られる今、多くの人たちが家計の支出を抑えたいと考えるのは自然な流れです。
日本は「総中流社会」と言われるほど、分厚い中間層が消費を牽引してきました。その層が、長く続くデフレと負担増社会で、雲散してしまった感があります。
それでもなおこれまでの生活の維持や成長を維持するためには牽引車が必要です。「これまでの生活の維持」をするためにコンビニで働く人をどう確保するのか、「成長を維持」するために生産現場で働く人をどう確保するのか、といった具体的な問題に直面します。
その答えが、外国人でした。低廉な労働力という目的だけではないのです。