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どうなる?ブレグジット

メイ英首相が嫌われる理由と今後のシナリオ

小林恭子 在英ジャーナリスト

昨年11月、ブリュッセルでユンカー欧州委員長(右)とカメラの前に立つメイ首相(英官邸のflickrから)
 英国の欧州連合(EU)からの離脱(=「ブレグジット」)まで、あと3カ月となった。昨年11月、EUと英政府側は離脱協定案に合意しているが、これを英議会が承認する必要がある。英政界ではこの協定案への反対論が強いため、否決されると踏んだメイ首相は、12月11日、採決を見送った。

 これが契機となって一気に反メイ感情が盛り上がり、与党・保守党は首相不信任案を出すまでに至った。最終的にメイ首相は過半数の支持を受けて留任となったが、不信任案を支持した同党の下院議員は3桁台に上り、反メイ勢力の広がりを感じさせた。

 年明けの現在、離脱交渉の行方は不透明だ。1月中旬に予定される採決では政府案が否決される見通しが高いと言われ、次にどのような動きになるのか正確に予想できる人はいない。

 筆者が英国人の知人と会話するとき、ブレグジットの話題になると、うんざりした表情を見せられる。離脱派の一人がこう言った。「メイ首相、死んだの?そうでないなら、ブレグジットの話は聞きたくない」。

 前回の論考(昨年10月)でなぜ交渉が難航しているのかを書いたが、今回は、英国の外から見えにくい、なぜメイ首相がこれほどまでに嫌われているのか、そして今後の複数のシナリオを書いてみたい。

国内の意見まとまらず、難航する英のEU離脱交渉

「難しい女」、「潜水艦のようだ」と言われる

オズボーン元財務相は、メイ氏を「潜水艦のようだ」と表現した(撮影:英官邸のflickrから)
 メイ首相は2016年7月、EUからの離脱か加盟残留かを問う国民投票の結果を受けて、負けた側・残留派のキャメロン首相の後を引き継いだ人物だ。自分自身は残留派だった。

 首相就任前は6年間内務大臣で、プライベートでは夫フィリップ・メイ氏との二人家族。

 ファッション好きのメイ首相は見た目がさっそうとしており、英国南部生まれで高等教育(オックスフォード大学卒業)を受けたことから正統派の英語を話す。父はイングランド国教会司祭でお堅い家庭出身だ。

 英国ではサッチャー元首相に続く2番目の女性首相の誕生で、就任時の演説では一生懸命頑張っている普通の人を助けたいと述べて国民の支持を得た。

 一方、保守党のベテラン政治家ケン・クラーク氏はメイ氏を評して「難しい女だ」と発言。「いったんこうと決めたら、頑として方向性を変えない」と述べた。

 元財務相ジョージ・オズボーン氏によると、メイ氏は「潜水艦のようだ」という。「自分の立場を明確にせず、いつのまにか動いたり、物事を決定したりしているから」。

 どちらもかなり手厳しい表現だ。しかし、メイ首相の就任から2年半の今、こうした表現は実はかなり的を射ていた。

「メイ・ボット」というあだ名がついて

 「いったんこうと決めたら、頑として方向性を変えない」。「自分の立場を明確にせず、いつのまにか動いたり、物事を決定したりしている」―。

 そんなメイ評がぴったり適合する事態となったのが、2017年5月の下院選だった。

 「選挙はしない」と直前まで言い続けたメイ首相。支持率が高く、下院でも保守党は過半数を維持していたが、さらにこれを拡大させようと画策した。選挙を行う決定は、メイ氏とごく少数の側近の間で行われていた。

 しかし、これは失敗に終わる。選挙では逆に議席数を減らしてしまい、重要な案件を確実に通すためには北アイルランドの地方政党「アイルランド統一党(DUP)」から閣外協力を得なければならない羽目になった。首相は北アイルランドへの巨額投資を約束し、「票を買った」のである。

 選挙戦の中で、メイ首相のある欠点が暴露された。メイ氏は人前でのパフォーマンスが政治家とは思えないほど苦手な人物だった。

 どういうことかというと、あらかじめ準備された演説はとうとうと披露することができるが、とっさにその場で考える受け答えが不得手で、特に有権者と「つながること」が苦手だった。ある意味では、まじめすぎるのだろう。一人の人間として驚いたり、熱くなったりした様子を人前では出さないことを心に決めたかのような人物である。

 これが如実になったのは、メディアの記者が厳しい質問をした時だ。メイ首相は事前に準備した回答を繰り返すだけ。いつしかメイ首相は「メイ・ボット(ロボットのようなメイ首相)」と呼ばれるようになった。

 また、ある記者がメイ首相から人間味あふれるコメントを取ろうと、「これまでの人生で、一番の悪さはなんでしたか」と聞いた。「未成年の時に、親に隠れてたばこを吸った」というような答えが出るだろうという期待があった。まじめな首相が何か、奇想天外のことを言って「彼女もやっぱり、同じ人間なんだよなあ」、と思わせてくれるだろうと。しかし、答えは「通り抜けてはいけない畑の中を、突っ切ったこと」。

 果たして、これが「これまでの人生で、一番の悪さ」なのだろうか?最後まで、メイ首相は素顔を見せないままに選挙戦を終えた。

いつの間にか、離脱合意

 議席数を減らした下院選の後、メイ首相の威信は落ちたが、それでも「ほかに首相候補がいない」ため、首相の座をひとまずは維持してきた。

 しかし、雲行きが相当おかしくなってきたことが判明したのは、昨年7月だ。

 メイ首相はそれまで、「ブレグジットはブレグジット(ブレグジットを何としてもやり遂げる)」と宣言し、「関税同盟からも、単一市場からも抜け出る」と述べていた。いわゆる「離脱強硬派」の姿勢である。EU側と満足できる離脱合意が得られなかったら、「合意なしでも、離脱する」とも言っていた。

 では一体、どんな離脱条件になるのかと聞かれると、「今交渉中だから、話せない」と口を閉ざした。

 ほかの政治家も、メディアも国民も、長い間「蚊帳の外」に置かれてきた。

 7月上旬、閣僚らは首相の別荘チェッカーズに集まり、政府案(「チェッカーズ合意」)を調整した。その内容は、貿易においてEU共通のルールに従うもので、EU加盟国である現状に近い、親EUの離脱案だった。

 「チェッカーズ合意」から数日後、離脱担当大臣だったデービス氏が抗議の辞任。「これでは離脱にならない」と同氏は述べている。離脱派運動の中心人物だったジョンソン外相も間もなくして辞任した。

 11月13日、メイ首相はチェッカーズ案を基にした離脱合意案(離脱白書)を取りまとめる。翌14日に内閣で承認されたが、15日朝、デービス氏の後を継いだ新離脱多担当大臣のラーブ氏が抗議の辞任。「提出された合意案と、下院選で保守党がマニフェストに入れた離脱提案とは一致しない」と述べた。

 離脱担当大臣自身が二人も辞めるほどの離脱合意案。何かがおかしいとしか思うしかない。

「私の提案を受け入れるか、離脱はなしか、どちらかよ」

 ラーブ氏は辞任したものの、内閣での承認を得た離脱合意草案をもって、同月末、メイ首相はブリュッセルで開催された、EU首脳会議に向かった。25日、首脳陣らは英国の離脱条件を具体的に示した、600ページにわたる文書に合意。「最善で、唯一可能な合意」とEU側は述べた。

 この時、ユンケル欧州委員長は、英議会が合意文書を否決しても「再交渉には応じない」と釘を刺している。

 メイ首相は、まずはEUから離脱協定の合意を得た。しかし、

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