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ブレグジット協定案の否決後に起きること

合意なしEU離脱はデメリットばかりなのか?

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

EU離脱の是非をめぐる再度の国民投票を求めるデモに参加した人たち=2018年10月20日、ロンドン

ハード・ブレグジットで関税自主権回復?

 英国議会はテリーザ・メイ首相がEUと合意したブレグジット協定案を否決しようとしている。3月29日がEUからの離脱日なので、このままいくと“合意なしの離脱”(ハード・ブレグジット)が起きる。

 まず、ハード・ブレグジットになると、何が起きるかを説明しよう。

 現在イギリスはEUという関税同盟と単一市場に属している。関税同盟とは域外国からの輸入に対しては共通の関税を課し、域内の貿易については関税をゼロにするものである。単一市場とは、域内でモノが自由に流通するように各種の産品の基準を統一し、各国の規制や保護政策の違いにより競争条件に差が出てくるのを防ぐため各国の政策をEU全体で調和・統一しようとするものである(参照「ブレクジットを理解したいあなたへ」)。

 ハード・ブレグジットとは、イギリスがEUから完全に分離独立することである。

 まず、関税同盟から抜けるので、イギリスはEUとは独自に日本やアメリカなどの諸国に関税を課すことができる。同時に、フランスやドイツなどのEU27か国も日本やアメリカなどと同じように“外国”になるので、イギリスからフランスやドイツに輸出する場合も、フランスやドイツからイギリスに輸出する場合も、関税がかかることになる。

 その関税水準はどのようなものになるのだろうか?

 ガット・WTO加盟国は、品目ごとにこれ以上は取らないという関税水準を約束した表(「譲許表」という)をガット・WTOに提出している。イギリスはEUに加盟した1973年以前の譲許表に戻ることも考えられるが、当時と今では国際的に認められた関税分類表が異なっており、また新しい品目も出現していること、また当時のガットと現在のWTOは法律的には別個の組織体であることから、1973年以前の譲許表が適用されることはないと考えられる。

 このため、現在EUがWTOに提出している譲許表の関税率と同じものを当面イギリスの譲許表として適用することとなる。もちろん、WTO上もイギリスはEUとは別個の関税地域となるので、イギリスが当該譲許表を一部書き換え、WTOに再提出することも可能である。譲許表に記載した関税率を下げて(例えば自動車の関税を10%から8%にして)WTOに提出することはイギリス単独で自由に行える。

 もし、イギリスとして保護したい一部品目(例えばカラーテレビ)の関税を上げたいのであれば、主要な輸出国(例えば日本)と交渉して、他の品目(例えば自動車)の関税を引き下げることにより、当該譲許表を修正・提出することもできる。

 WTOとの関係では、WTOに約束した水準以上に関税を引き上げることはできないが、WTOへの約束水準はそのままにして実際に適用する関税をそれより低くすることは自由にできる(日本の牛肉の関税も、WTOに約束しているのは50%だが、実際には38.5%の関税を適用している)。

 これまで、イギリスはEUの関税同盟に属していたので、関税の決定はイギリスが自由にできるものではなく、EU全体の決定に従っていた。ハード・ブレグジットでは、イギリスはEUとは独立して関税を決定できることになる。

 したがって、これからは、イギリスはEUとは関係なく日本やアメリカと自由貿易協定を結ぶことが可能となる。日本は現在イギリスを含むEUとも自由貿易協定を結んでいるので、日英自由貿易協定の締結は簡単だし、日英両国ともイギリスのTPP11への参加を望んでいる。

 また、アメリカとEUの自由貿易協定交渉は、EU独自の非関税障壁(基準や規制など)や農業問題等により、オバマ政権時代も遅々として進まなかった。米英の自由貿易協定なら容易に実現できるかもしれない。

 EUとの間で事実上の関税同盟を維持する現在のブレグジット協定案では、イギリスは関税水準を決定する権限を持たない(EUに権限がある)ので、独自に自由貿易協定を結べない。トランプがブレグジット協定案を批判したのは、このためだ。

 さらに、単一市場から独立するので、EUとは別の食品や工業製品の基準を設定できるほか、環境や競争法などEUとは関係なく独自の政策を展開できることになる。つまり、関税を含め、イギリスは経済面でも主権を回復することができる。

 WTOとの関係でも、EU加盟国(例えばイギリス)独自の法律が争点になる場合でもEU欧州委員会の担当者が加盟国に代わって、WTOの紛争処理手続きの当事者となってきた。これからは、イギリスの法制度はイギリス自身が当事者として代弁できるようになる。

 さらに、フランスやEUの補助金や規制などの制度が問題にされEU以外の国から関税引上げなどの対抗措置を講じられている場合でも、今後イギリスはこのような対抗措置を受けなくなるというメリットが出てくる。

ハード・ボーダーによるダメージ

 他方で、関税同盟から脱退しEUから独立した関税地域となることは、イギリスはEU以外の国に対してのみならず、アイルランドなどのEU加盟国との貿易についても、厳格な国境管理(ハード・ボーダー)が要求されるということである(日本が他の国との貿易に対して税関を設けているのと同じである)。

 メイ首相とEUとのブレグジット協定案が、事実上イギリスをEUの関税同盟と単一市場に止めるというブレグジットとは言えないものになってしまったのは、アイルランドと北アイルランドとの間にハード・ボーダーを設定したくなかったからである。ここを、イギリスをEUに繋ぎ止めたい欧州委員会の百戦錬磨の交渉者に上手く付け込まれたのだろう。

 私のような部外者からすれば、ハード・ボーダー回避という尻尾がブレグジットという胴体を振り回してしまったようなブレグジット協定案に見えるが、北アイルランド紛争を経験した人たちからすれば、ハード・ボーダー回避は至上命題だったのだろう。

 しかし、ハード・ブレグジットになると、ハード・ボーダーは回避できない。再度のアイルランド紛争勃発という政治的なコストを覚悟していく必要があるだろう。

 次は、経済的なコストだ。

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