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スカイマーク佐山会長が読む「生き方と哲学」

幸せはいい方向に大きく変わった時に感じる。今幸せだと思う人には変化がない

諏訪和仁 朝日新聞オピニオン編集部記者

人生は自作自演のドラマ

 私はよく「人生は自作自演のドラマ」だと言っています。

 32年くらい前、知人の結婚式に出たら色紙がテーブルに回ってきて、何を書こうかなと考えたときに、思いついて書いたんです。今でこそいろんなところで言っていますが、私自身30歳までは人生について何も考えてなかったんです。言われたまま、流されるままに生きていました。

 京都の洛星中学に行ったのは、親が行けって言うから受けただけなんです。受かりましたが、たぶん、ぎりぎりだったと思います。病気で小学5年の3学期と6年の1学期を自宅で絶対安静で休んだこともあって、受験勉強なんてしてないし、塾にも行ってないし、模擬試験も受けたことがないんです。

 大学も親から「うちはお金ないから」と、下宿だめ、浪人だめ、地元の国立に行けと言われて、京大しかないでしょ。高校3年の夏の甲子園京都府予選の準々決勝で花園高校に逆転サヨナラ負けするまでは、朝練から始まり日が暮れるまで野球しかしてなくて、疲れ果てて帰ったら、おなかがすいていても、風呂にも入らずにとにかく寝る。夜中に起きて、ちょっと食べてまた寝るような生活をしてたんですね。

 中間試験、期末試験も見事にすべて一夜漬けでした。朝まで勉強するんですけど、8時14分に自転車に乗って出るんですね。近いとはいえ、学校に8時20分までに着くにはぎりぎりなんです。雨でも雪でも競輪の選手みたいに必死でこいでいくんです。

 もちろん、試験の範囲は一晩じゃ勉強しきれないので、いつも積み残して受けるんです。いつも「あと1時間あったら15点上がるな」と思っていました。別に物理でも数学でも分からないわけではないから、大学入試は勉強さえすれば受かる、要はやるかやらんかだけだと。

 とはいいながら、大学の受験勉強をやる気になったのが、高3の11月の10日ごろです。本当におしりに火がつかないとやる気にならない。当時、京大の入試は3月1日~3日の一発勝負です。建築家になって設計事務所をしたかったので、工学部の建築学科を受けようと、物理と化学と数学だけを、もうむっちゃくちゃ勉強したんです。年明けには、五分五分で受かりそうだなと思うところまできました。

 そうしたら、2月19日に連合赤軍が浅間山荘に立てこもって警察と銃撃戦になる事件があり、テレビでずっと生中継していたんです。目が離せないのでずっと見ていました。そのせいにしているのですが、第一志望の建築学科にはちょっと点数が足りず落ちました。

 入学願書に第二志望を書く欄があったので、空けておくのももったいないなと思って高分子化学と書いたら、そこに受かったんです。点数の1割をカットしても、第二志望の合格点に達していたらそこに合格できる仕組みだったんです。でも全然行く気がなかったので、京大に行って合格を確認した後、近畿予備校の願書をもらって帰ったんですが、祖父母や親戚などから、「京大受かったんやてな、おめでとう」と祝福されました。

 周りは京大なら、学科なんかどうでもいいんですから。あまりにみんなにおめでとうと言われて、浪人もめんどくさいなあ、じゃあ行くかと。だから、18歳でも行きたい道じゃない道に行ってるんです。

 ですから、高分子化学では、研究者になりたいわけでもなかったので最初から就職希望で、当時は就職活動もなく、先生が言う通り帝人を受けておしまい。まったく私の意志は何にもないんですよ。その代わり、帝人に入社して愛媛県松山市の工場でポリエステルの重合工程に配属になってから、最初の3年間は三交替勤務もして、本当に一生懸命頑張ったんです。

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 ところが、30歳で初めて、「あれっ」と思った。ずっと一生懸命働き続けて、どうしたら社長になれるのか考えてみました。しかし、社長への道など分からないのがサラリーマンだなと分かったんですよね。

 社長にならない限り、取締役にならないとか何かの役職にならないで会社を出ていくことになるのですが、そのときに恐らく、「こんなに実績上げて頑張っているのになんでだめなんですか?」と言うに違いない。しかし、それは言っても仕方がないことなんだと気がついたんです。そうなったときに、ずっとそこにいたことを絶対後悔するなあと思ったんです。

 帝人を辞めてだいぶ経ってから読んだのですが、帝人の社長になられた安居祥策さんが、2009年の日本経済新聞の「私の履歴書」で、社長になるかならないかは100%運だと仰っていました。まさにそのことに30歳で気がついたんです。

 当時は今のように転職市場自体がありませんでした。大学を出て会社に入って、それでおしまい。こんな世の中はおかしいと思ったんですね。しかし食べていかないといけないので、司法試験を受けることにして、帝人で働きながら、カセットテープで通信教育の講義を聞いて、生まれて初めて面白いので真剣に勉強しました。

 そして択一の願書を出したのが、33歳の春です。そのときにたまたま当時の三井銀行が中途採用を募集していることを知り、自分が別世界の銀行の人にどう評価されるのか興味を持ったので応募してみることにしました。その面接で初めて「M&A」というのを聞いて、面白そうなので、まったくブラックボックスの銀行に行くことにしました。

 しかし、会社の人達は全員反対でした。何が不満なんだと言われました。そして、誰一人として、私の転職をよかったねと言ってはくれませんでした。みんな「何考えてんねん」という感じです。その時に気づきました。自分の人生は自分で決める、そして、転職は利害関係者に説明責任はあるが、説得するのは難しくその説得責任まではないと。自分の人生ですから。

 その後にあった知人の結婚式で、「人生は自作自演のドラマ」と書いたんです。自分の体験から出てきたんです。それまでは言われたことしかやってなかったんです。他人が書いたシナリオ通りに演じてたんです。30歳で初めて自分でシナリオを書かないといけないと感じて、書き始めたんですね。

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筆者

諏訪和仁

諏訪和仁(すわ・かずひと) 朝日新聞オピニオン編集部記者

1972年生まれ。1995年に朝日新聞社入社、東京経済部、大阪経済部などを経てオピニオン編集部記者。

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