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英国で学んだ「気骨ある異端」/松本関経連会長

中西輝政教授の「大英帝国衰亡史」はボロボロになるまで読みました

諏訪和仁 朝日新聞記者

松本 正義(まつもと・まさよし)
関西経済連合会会長、住友電気工業会長
1944年、兵庫県洲本市生まれ。一橋大学法学部卒。1967年に住友電気工業入社、2003年に専務取締役、2004年に代表取締役社長、2017年に取締役会長。2017年に関西経済連合会会長。このほか、大阪陸上競技協会会長、大阪倶楽部理事長、日本銀行参与などを務める。趣味はジョギング。

議長に適した英国人

 イギリスのロンドンに駐在していた1985年から1992年の7年間は、激動の時代でした。

 1985年にプラザ合意があったでしょ。日本は急激な円高・ドル安に見舞われた。1989年には、東西ドイツを分けていたベルリンの壁が壊れて、当時、ソ連の影響下にあった東欧の国々が解放されていく流れができた。社会主義が倒れていくわけですが、その前後は非常におもしろい動きがあったんです。

 東欧の国々がソ連から離れていく動きがあり、それをサポートしていた団体がありました。それにかかわる人たちのお手伝いをしたことがあります。すごいなあ、世の中変わっていくんだなあと思っていたら、本当に変わっちゃった。100年に一回起こるか起こらないかの大変動がヨーロッパに起こっちゃったんですね。資本主義は社会主義、共産主義に勝った、よかったという雰囲気でした。

 1990年の夏、イラクがクウェートに攻め込んで、翌91年にはアメリカが「けしからん」て、イギリスなどと多国籍軍を組んで、湾岸戦争が起こった。たくさんのアメリカ兵がロンドン経由で中近東の戦場に飛び立っていきましたよ。

 1990年の秋、イギリスでは、1979年に首相になって11年間やっていたサッチャーさんが、メージャーさんに交代します。そのころはもう大英帝国、グレートブリテンではなくなっていたんだけども、世界の外交界では、隠然とした力を持っていたことは確かです。僕はそれが不思議やなあとは思っていました。

 電線を扱っている弊社が入っている国際銅加工業者協議会(IWCC)とか、国際会議やるでしょ。そういう会議でいろいろチェアマン(議長)をみてきたけど、最も議長に適しているのはイギリス人って言われてるんです。なんでもうまいことバランスをとっていくから。なんか分かるでしょ。

 イギリス人の次にうまいのはスウェーデン人。北欧には、いわゆる大国がなくて、隣にはロシアが控えてるわけですよ。その中でバランスをとっている。だから、国際会議でも、でしゃばらず、みんなの言うことをよく聞くという雰囲気がある。ほかのある国の人間が議長やると上手くいかない。自分が主役だと思ってしまうような性格を持ってるわけ。

 イギリス人の話に戻すと、知ってのとおりイギリスはエリザベス1世の時代から国力を蓄えに蓄えて、七つの海に太陽が沈むことがない、大英帝国をつくっていったでしょ。その中で、武力で押しまくったことはね、わずかな期間しかない。

 なぜそうだったかというと、イギリス人は映画「007」みたいな情報活動がすごい。実際、MI5(情報局保安部)、MI6(対外情報部)って有名でしょ。自らの武力を誇示せずに、すべてバランス・オブ・パワーで事を処して、パックス・ブリタニカをつくっていった。

 イギリス人はね、とっつきにくいようやけども、かなりフレンドリー。付き合い始めは壁があるんだけども、壁を破ると非常に親しくなる。貴族とも付き合いましたが、かなりのことを面倒見てくれる国民ですよ。それは世界に植民地をいっぱい作って、そこから産物を搾取したり、文化を吸収したりして国力を蓄えていった歴史があるからなのかなと思います。

小説のような「大英帝国衰亡史」

 大英帝国はパックス・ブリタニカを長く長く続けていったんですが、ボーア戦争のころから、もうあかんようになってきた。

 その衰退の原因を書いたのが、中西輝政さんの「大英帝国衰亡史」(PHP刊)ですよ。中西さんは京都大学の教授だった人です。僕は大阪倶楽部の理事長をやってますが、よく講師で招くんです。

 ボーア戦争は、ひどい戦争でね。南アフリカのオランダ人植民者が作った国をイギリスが手に入れようと仕掛けたんだが、市街戦みたいなのが多いんやな。街が戦場だから、市民か軍人かもうわけわからんようになって、すごい悲惨なんや。今、中近東での戦争もみんなそうや。ISとの戦いとかも。

 この本は、大英帝国という大国が衰亡していく過程に焦点を絞って書いてある。中西さんはイギリスに留学したので、よく分かっています。中西さんが看破してるのは、長きにわたって国を継続させ、繁栄させるのは、物質的なものもあるんだけど、国家および国民一人一人のメンタルが大きいということでした。

 僕はイギリス人と7年間付き合って、日本に帰って来て、自分が感じたイギリス人像に誤差があるのか、オーバーラップしているのかもう一度振り返ってみたかった。それで、イギリス人とはなんぞやみたいな本とか、イギリス人のジョークとか、いろんな本を読んで、自分の7年間をリビュ-したんです。それで、ああそうかと、間違ってなかったなと思ったんです。

 その中の1冊が、「大英帝国衰亡史」(PHP刊)です。読んだら、これはおもろいこと書いてあると。かなり何回も読んでるから、ぼろぼろになってる。表現がね、大学の先生というより小説家的なんやな。だから、話がおもしろい。

 中西さんの講演を聴いても、人間の精神力とか、文化に対する理解とか、そういうものがベースにあって、物質的なものがあってという組み立てやな。大英帝国衰亡史も、そういう論調で書いてある。

 日本に帰ってきて、「イギリス人って変わってるなあ」と思ったんや。ちょっと偏屈なやつが多い。だけども、付き合ってると教養もあり、しっかりした考え方で、付和雷同しないというような国民です。中西さんの本には、僕が感じたのと同じようなことを書いてありました。

 たとえば、76ページ(初版本、第3章)には「より遠い未来を見据えて、国家のためには、あえて『異端』に耐えつつ、一貫して強力に代替政策を訴え続けるというエリートとしての精神的伝統が、日本にはなかった」とある。ここは大事。

「歴史の底流を見据え、『妥当さ』と背中合わせになった正当派の『安逸』がもたらす危険に気づきつつも、『異端』に耐えられず、保身のため『正統』に身を寄せていた」。「後輩のなかからは、やがて大挙して陸軍に追随する破滅的な『皇道外交』へ走る者が続出した。大国の生命(バイタリティー)は、『安逸』と『保身』に堕するのではなく、また、『狂気』に走ることもない『気骨ある異端』を、エリート階級がいかに生み出せるか、その点じつに多くのものがかかっているといえよう」

 まさに僕が考えていることと同じだと思った。この「気骨ある異端」「気骨ある異端児」は、僕が社長になったころから、かくあるべしと言ってきたんですね。

 それから、77ページ(初版本、第3章)です。

「アングロ・サクソン民族は富裕を開拓する堅忍性と同時に、その勝ち得た富裕栄華を永く堅持すべき個人性を特に有している」

 戦前の日本を代表する外交官、石井菊次郎はイギリス人をこう見ていた。

 一方、歴史家で有名なブライアントの「自らの独立不羈の気骨を重んじるわが国民性のなかにこそ、帝国を築き上げたより価値ある力、つまり精神という力の源泉が見出されるのである」という部分を引用して、「気骨」と「品性」が重要だと書いています。

原則があって外交がうまい英国人

 イギリスがエリザベス1世の時代から、第一次世界大戦まで大国として存在し得たのは、何も武力ではなかったということを、中西さんは言ってる。大英帝国のベースは、独立不羈の気骨や、安逸に走ることなく、保身に走ることなく、また狂気に走ることもないという、要するに中庸、ミドル・ウェイなんだ。気骨ある異端を、エリート階級が持ってるか持ってないかによって、その国の偉大さが決まるとも言える。

 この本の中では、外交のタイプも書いていて、原則があって外交がうまいのは、イギリス。原則がなくて外交がうまいのはタイだという。よく分かる感じがします。それで、何もないのが日本人とある。これはね、大いに反省すべきです。

 1984年ごろ、ナイジェリアが民政から軍政に移って、石油相が民政のときにポケットにごっついカネ入れてたんやな。そのカネをロンドンの銀行に移して、ハイドパークのすばらしい豪邸を買うてたんやね。軍政になったから危ないというて、ロンドンに逃げたわけや。ロンドンに住んだということは、イギリスがその人間を受け入れたということでしょ。

 ところが、軍政になって、ナイジェリアの秘密部隊がロンドンで石油相だった男を捕まえて、自国に連れて行った。このとき、イギリスは怒った。我が国が正当な手続きを経て入国させた人間を、正当なプロセスなくして連れて帰るということは主権の侵害だと。

 日本でも金大中事件があった。韓国の民主化を訴えていた金大中が、東京から拉致され韓国に連れていかれた。日本は本気で金大中を連れ返そうとしなかったから、帰ってこなかった。逆にイギリス人は、たとえ、石油でのもうけを着服した男であっても、通常の手続きを踏んで罰するべきであり、勝手に連れ帰るのはならんと。これが、気骨なんです。これが、原則なんです。それで外交がうまいんです。

 イギリス人は大義名分があれば、かなりのことをやる。本に出てくるけど、第一次世界大戦には、ケンブリッジやオックスフォードの学生が戦場に行って大勢亡くなっている。将来のリーダーたるエリートが第一次世界大戦の塹壕の中で死んでいったことが、その大戦後に覇権を失っていく、大英帝国の衰亡の大きな原因であると書いてある。

 すなわちモノよりも精神的なもの、言い換えれば人、人材が大国の背骨になって繁栄をもたらすんだということですよね。

 よく分かるのは、我々、民間企業でビジネスやってますが、「事業は人なり」って言うでしょ。どんな会社でも、人を得れば、大きくなる。国の問題と会社の問題とはちょっと違うとは思うけども、国家も人なんだと。そういう視点からこの本は書かれている。

 この本には、変わり者とも言える「アラビアのロレンス」や「チャールズ・ゴードン」が出てくる。とくにチャールズ・ゴードンは、大英帝国の植民地がどんどんなくなっていくなか、それを押しとどめようと、派遣された軍人です。清国の太平天国の乱では、連合軍を率い、洪秀全の軍勢を全滅させます。西太后から大変なお礼をもらうんだけども、自分の名前を彫り込んでくれた金貨一つだけもらって国に帰るという身ぎれいさ。軍人としての給料も相当なものだったと思うが、寄付してしまう。大植民地であるスーダンにも、どないもならんから行けと言われて行きますが、住民の蜂起で命を落とします。

 アラビアのロレンスもまったく同じ。自分に忠実に生きてる。付和雷同しない。

 国ごとでもそういう面があって、EU(欧州連合)から離脱するブレグジットもむべなるかなと。イギリスはイギリスやと思ってるわけです。原則を重んじ、何でもいいやとはやらない。人のまねをしないとか、独特なものを持っている。

 それがブレグジットに出てきてる。そもそも、1973年にEEC(欧州経済共同体)に加わりますが、その2年後にね、離脱のレファレンダム(国民投票)してるわけです。このときは残留が過半数で離脱しませんでしたが。

 「気骨ある異端」というのはね、関西弁で言うたら、「ちゃらちゃらするな」という感じか。自分の考え方を持って、その大をなすために、人の言うことに付和雷同することなく、人に指されようが自分の考え方を実現させることです。

 中西さんが「大英帝国衰亡史」で言いたかったのは、日本には「気骨ある異端」が必要ではないかということと、日本が栄えるためには、大英帝国が衰亡していったときの問題をよく勉強した方がいいということだと僕は理解しているんです。

仲人の都留先生のこと

 僕の仲人の話に飛びます。都留重人先生です。先生のことを書いた「回想の都留重人-資本主義、社会主義、そして環境」(勁草書房刊)。この人の本もたくさん読んだ。朝日新聞の論説顧問をしていた人です。都留先生の奥さんは桂小五郎のひ孫です。

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