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資本主義の終焉とその先の世界

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 近代資本主義は、いわゆる長い16世紀(1450~1640年)あたりから始まったといえるのだろう。1571年のレパントの海戦はちょうどこの長い16世紀の中ごろに起こったのだが、スペイン・ヴェネツィアを中心とするカトリック教国の連合艦隊がオスマントルコの艦隊に大勝したことで、地中海はイスラムの海からキリスト教国の海へと次第に変わっていったのだった。

フェリペ2世が造営した大修道院=スペイン・エルエスコリアル

 この戦いでオスマントルコが滅びたわけではなく、オスマン帝国は1922年まで続くのだが、海戦に勝利したスペインはフェリペ2世の統治のもとでその最盛期を迎えたのだ(1556~1598年)。フェリペ2世の時代はイギリスではエリザベス1世の時代(1558~1603年)。スペインのフェリペ2世はイングランド女王メアリー1世が1558年に死去するまではイングランドの共同王だった。カトリック教徒であったフェリペ2世にとってプロテスタントであるエリザベス1世は異端者であり、彼はエリザベスを倒して前スコットランド女王のメアリー・スチュワートを王位に就けようとするのだが、エリザベスは1587年にメアリー・スチュワートを処刑し、フェリペ2世と対立したのだった。

スペインからイギリスへ

 そして1588年のアルマダの海戦で、フランシス・ドレークの率いるイングランド艦隊はスペインの無敵艦隊を撃破し、次第にスペインは衰退局面に入っていった。そしてヨーロッパの覇権は次第に北上し、オランダからイギリスへ主導権が移っていったのだ。イギリスはその後1760年代に始まった産業革命を主導し、1756~1763年の7年戦争に勝利し、その覇権を確立していったのだった。

 そしてイギリスはナポレオン戦争(1803~1815年)でフランスに勝利し、19世紀半ばから20世紀初頭までパクス・ブリタニカと呼ばれるイギリス主導の平和を実現したのだった。まさに近代資本主義は地中海周辺のスペイン・ポルトガルから始まり、次第に北上し、イギリスによって完成されていったのだ。

 普仏戦争、第一次世界大戦を経て、戦場となったヨーロッパは次第に衰退し、近代資本主義の主要なエンジンはアメリカ合衆国へ移り、その後、近代資本主義はアメリカに担われて20世紀中は繁栄を続けたのだった。しかし、21世紀に入ると欧米や日本等の先進国は成熟局面に入り、低成長・低インフレの時代へと移っていったのだ。先進国の1人当たりGDPは4万~5万USドルに達し、それぞれが豊かさを享受することになった。また、先進国のフロンティアであったアジアもアフリカも世界経済の重要な一部となり、新たなフロンティアはもう出現することはなくなってしまったのだ。

フロンティアの消滅

 近代資本主義はより遠くへ、そしてより速く進展することで展開してきたのだが、もうフロンティアは消滅し、より遠くにより速く進むことが不可能になってしまったのだ。そして利潤率は低下し、利子率も大きく減少することになってしまったのだった。長い16世紀が中世を終わらせたように、長い21世紀の低利子率は近代資本主義を終わらせようとしているのだ。いまや、より近く、よりゆっくり歩まざるを得ないポスト・モダンの時期に入ってきたといえるのだろう。

 日本を始め多くの先進国は成長の時代から成熟の時代に入ってきたのだろう。成長率は1%前後、インフレ率もゼロから2%の範囲内で、こうした成熟の局面で豊かさを享受する時代になってきたのだ。ポルトガルがその繁栄のピークを迎えた時の格言で「今日よりいい明日はない」というフレーズがあったが、まさに、現在の日本もこうした局面に入ってきたといえるのだろう。

トップランナーの日本

 成熟時代は前述したように、より近く、よりゆっくり進まざるを得ない。そして、この時代のキーコンセプトは、おそらく、環境・安全・健康等なのだろう。日本は、

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