2019年03月08日
2019年11月14日と15日に29年振りに大嘗祭が行われる。今上天皇が生前退位され、皇太子殿下が新たに即位されることに伴った儀式。毎年、11月23日、五穀の収穫を祝う新嘗祭が行われているが、天皇即位の儀礼後に初めて行われる新嘗祭が大嘗祭とされる。
山折哲雄はこの大嘗祭について、「日本文明とは何か」(角川ソフィア文庫、2014年)の中で次のように述べている。
「この日本列島においては、古くから秋になるとその年にとれた新穀を天照大神(または天神地祗)に供えて、天皇が一緒に食べる新嘗祭が行われてきた。すなわち神人共食の儀をともなう収穫祭である。この収穫祭としての新嘗祭が、天皇の代替わりに行われるときにかぎり、特に大嘗祭と呼ばれたのである」
「周知のように天皇の代替りのときに行われる大嘗祭は、皇位の万世一系性を保障し確認するための儀式でもあった。皇位の万世一系性はむろん国政上では即位礼によって正式に承認されるわけであるが、しかし神話的には、それは大嘗祭儀による天皇再生の永続性という観念と不可分に結びつけられ伝承されてきた。この天皇系譜に関する永続性の観念は、たとえば記紀神話の天孫降臨に象徴的に描かれているといっていい」
こうした大嘗祭という儀式によって、権威としての天皇、あるいは天皇制は、継続性と永遠性を与えられたのだった。
明治以来、大嘗祭は今回を含めて5回目となる。まず明治天皇の即位後1871年(明治4年)、大正天皇の即位後1915年(大正4年)、昭和天皇の即位後1928年(昭和3年)、今上天皇の即位後1990年(平成2年)、そして今回の皇太子即位に伴う大嘗祭である。過去4回は天皇陛下の崩御に伴って行われたものだが、今回は今上天皇が生前退位なされることによるものである。即位された今上天皇は上皇になるわけだが、上皇の名称が復活するのは江戸時代の光格上皇以来約200年振りであり、明治以来初めてのことである。
初の上皇は第35代の女帝皇極天皇だが、皇極天皇は「大化の改新」(645年)を成功させるために弟の孝徳に天皇の位を譲り、蘇我氏討伐の環境整備を水面下で進めたと言われている。天皇でいると何かと動きが縛られるからだ。表舞台から退いた後、息子で後の天智天皇となる中大兄皇子とともに外交儀式の最中に蘇我氏を急襲し改革を成し遂げたのだった。上皇はしばしば「院政」をしき、天皇に代わり政務を行った。摂関政治が衰えた平安時代末期から鎌倉時代の武家政治を行われるまでの間に見られた政治のパターンであったといわれている。
平安時代、鎌倉時代には白河上皇・島羽上皇・後白河上皇等13人の上皇が院政を行っている。上皇の中には後に出家して法皇になったものが多い。白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇は法皇となり院政を続けている。
世界を見回しても、日本のように「万世一系」の天皇が千数百年にわたって続いた国はない。そして、かつては天皇が権力を持ち、政治の中心にあった時期(645年の大化の改新から奈良時代中期まで)もあったのだが、
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