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強すぎる「著作者人格権」の大幅制限を

神様から著作権法を一ヵ所だけ変える力を貰ったら(最終回)/審査結果発表!

平井佑希  弁護士・弁理士

Brazhyk/shutterstock.com

権利の適切な守備範囲を考える

 弁護士・弁理士の平井佑希と申します。極めて僭越ながらこのリレー連載のアンカーを務めさせていただくことになりました。アンカーのご指名を受けただけでも恐縮なのに福井先生からは「権利保護の闘士」と過分なご紹介までいただきました。ただ、私自身「闘士」というほど好戦的でもありませんし、ジャンプの黄金期に育った身としては、クロスの1つも身につけずに「闘士」とは名乗れないように思います。

 そのようなご紹介をいただいたのは、おそらく私がこれまで出版、放送、ゲームなどの分野で、権利を保護する側の立場から訴訟に関与してきたからではないかと想像します。

 しかし、今回のリレー連載で私が提案させていただくのは、むしろ権利の適切な守備範囲を考えてみようという話です。

 今回のこのリレー連載は「神様から著作権法を一ヵ所だけ変える力を貰ったら」というお題なのですが、実はこのもととなったライトニングトークの時点では、「ぼくのかんがえたさいきょうのちょさくけんせいど」と題されていました(福井先生の開幕の辞をご参照ください)。

 「最強」という言葉はとても多義的で、これをどう解釈するかという時点で、既にスピーカーによって様々な立場があり得るように思います。実際、ここまでリレー連載をご覧になった皆様はお分かりのように、それぞれのスピーカーが考える「最強」の著作権制度は多種多様です。

 ライトニングトークのスピーカーにご指名いただき、私が最初に行ったのは、「最強」という言葉の解釈でした。「最強」というと強ければ強いほどいいとも解釈できますが、私はこれを「自分の適切な守備範囲をわきまえていること」と捉えて、その解釈を前提として、ライトニングトークのシナリオを構築しました。

 そのように「最強」を捉えて何を話そうかと考えた時、ふと私の頭の中に「こいつポジショニングがおかしくないか?」と思うヤツが浮かんだので、そのあたりの率直な気持ちを、中山信弘先生をはじめとするゲスト審査員の先生方にぶつけてみた次第です。

不思議な制度「著作者人格権」 

 オーバーラップしたきり帰ってこないサイドバックもいますから、ポジショニングをわきまえることはとても大事です。増改築を繰り返してきた著作権法において、ポジショニングがおかしいと感じることは少なくないのですが、今回その代表選手として挙げさせていただいたのが「著作者人格権」です。

 著作権法は財産的な権利である著作権のほか、人格的な権利として、公表権(18条)、氏名表示権(19条)及び同一性保持権(20条)を規定しています。また著作権法は、法人が著作者になる法人著作制度を持っていますので、法人が著作者人格権を持つこともあり得ます。

 一方、特許法には直接的には人格権を規定されていません。

 パリ条約には、発明者には発明者として記載される権利があると規定されていますし、日本の過去の裁判例でも同様の権利(発明者名誉権などと言われます。)が認められていますので、特許法の世界には「人格権」がないのかと言われると、そうではありません。ただ、著作権法の法人著作制度と異なり、特許法の職務発明制度では、発明者が自然人であるという原則(ドグマ?)は維持されていますので、少なくとも、法人が発明者名誉権を持つことはありません。

 こういった法制度の違いもあって、特許法から知財法の分野に入った私にとっては、著作者人格権って不思議な制度だなあというのが最初の印象でした。

 そして、今でもその違和感のようなものは、あまり払拭されていません。

お金じゃなく人格の問題じゃなかったの?

 ただ一方で、技術的・機能的な「発明」を保護する特許に比べて、創作的・叙述的な「表現」を保護する著作権のほうが、それを生み出した人の人格的な利益を守るべきであるという点については、私もベタな感覚として理解できます。

 頑固そうな高名な陶芸家が、焼きあげたばかりの自分の作品を、「こんな皿はダメじゃ!」などと叫びながら即座に叩き割るシーンなどを思い浮かべると、「おお! これぞ芸術! これぞ著作者人格権!」と喝采を送りたくなります。

 しかし、著作権実務に携わっていて、こういった感じで著作者人格権が「これぞ!」という働きをしているシーンに出くわすことは、残念ながらあまり多くはありません。

 翻案権侵害が認められた事案で、同一性保持権侵害もありますよね、と損害額が上乗せされるシーン(実務上よくあります)などは、「これぞ人格権!」どころか、むしろ「コレジャナイ」感すら漂います。

 翻案権侵害でも同一性保持権侵害でも、結局は権利侵害があるということになると、法的効果として変わってくるのは損害の額だけということにもなりかねません。人格権と言いつつ、結局損害額の多寡にだけしか影響しないということになると、お金の問題じゃなくて、人格の問題じゃなかったのか!?などと思わざるを得ません。

Faberr Ink/shutterstock.com

著作権侵害を免れても著作者人格権で引っかかる事態も

 また、著作権(財産権)には、私的使用目的での複製(世にいう「私的複製」というやつです)や適法引用など、様々な制限規定が設けられていて、一定の要件を満たせば、著作権者の許諾を得なくても著作物を利用することができるというルールが定められています。

 しかし、著作権法50条は、これらの制限規定は著作者人格権に影響を及ぼさないと規定しています。そのため、制限規定のおかげで著作権侵害を免れることができても、著作者人格権で引っかかり権利侵害となる(あるいは、少なくともそのおそれが払拭できず、安心して使えない)という事態が、実務上はよく生じます。

 一例を挙げると、著作権法上、建築の著作物に関して、財産権たる著作権についてはかなり幅広く権利制限規定が設けられています(著作権法46条)。サグラダファミリアを漫画やゲームの中で描こうが、改変しようが、「著作権」の侵害にはなりません(ガウディは亡くなって70年を経過していますが、まだ完成していないって言うし、著作権の保護期間の問題は複雑なので、詳細は橋本先生のコラムをご参照いただくとして、ここでは一旦棚に上げておきましょう)。しかし、著作者人格権である同一性保持権については、このような権利制限規定は及びませんので、改変が伴うような利用については、いくら制限規定があっても著作者人格権侵害のおそれが払拭できません。

 最近の知財高裁判決でも、twitterで画像をリツイートしたら、タイムライン上で一部がトリミングされて表示されてしまい、これが著作者人格権侵害に当たるとされた事件がありました。この事件でも著作権侵害は否定されていますが、著作者人格権侵害が認められており、思わぬところで著作者人格権侵害に引っかかってしまうということがあり得ます。

 実務上こういった場面に出くわすたび、私は著作者人格権がその守備範囲を見失っていて、著作権法が制限規定を設けることで図ろうとしている権利保護と著作物の利用促進とのバランスを崩しているのではないかと思っています。

 著作者人格権は何も日本の著作権法だけの制度ではなく、著作権に関するベルヌ条約にも著作者人格権の規定があります。しかし、ベルヌ条約上は「自己の名誉又は声望を害するおそれ」のある改変等に対して異議を申し立てることができると規定されており、単に著作者の意に反するかどうかということによって人格権侵害かどうかが決まるわけではありません。日本の著作権法は、この点においてベルヌ条約よりも著作者人格権を手厚く保護していると言えます。

著作者の名誉声望を害する場合だけで十分では

 今回私が提案したいのは、この著作者人格権(特に同一性保持権)について、単に著作者の意に反するかどうかだけで判断するのではなく、ベルヌ条約のように、名誉または声望を害するおそれがあるような場合についてだけ侵害が成立するというような制度としてはどうだろうか、ということです。

 ベルヌ条約自体、名誉声望を害するような場合について異議を申し立てることができるようにすべきと規定していますので、そのような改正をすることについて条約上の問題は生じないと考えます。また、単に著作者の意に反するかどうか(著作者がダメと言うかどうか)ではなく、周りから見てこんな使い方はダメだよね、という基準で考えた方が、侵害かどうか明確なラインが引きやすい(守備範囲が明確になる)ように思いますし、その範囲に限定する代わりにきちんと、人格権を守っていくことで、適切な保護が図れるのではないかと思います。

 頑固な陶芸家の話を挙げたように、私も著作者人格権は(正しく機能すれば)大事であると思っていますが、単に著作者の意に反するかどうかだけでは著作物を利用する側にとってあまりに予測可能性が低すぎます。権利保護と利用の調和を図るためには、どのように利用されるのかという点を踏まえて、そのような使い方をした場合に名誉・声望を害するかどうかをきちんと判断することのほうが、よほど大事ではないでしょうか。

 また、権利制限規定に基づいて著作物が利用されるような場合については、権利制限規定の制度趣旨(権利保護と著作物の利用促進)を尊重し、安易に著作者人格権によるオーバーライドを認めるべきではなく、その具体的な利用態様に照らして、著作者の名誉声望を害するような場合に初めて著作者人格権が登場する、ということで十分ではないでしょうか。

 一方、著作者人格権の中でも公表権については、これと同様に考えていいのか、悩ましいところです。

 著作権法が権利保護と著作物の利用促進のバランスを取るものであるとしても、作品を公表しなかった(先の例では皿を叩き割った)場合についてまで、その作品を著作者の意に反して、好き勝手使っていいのかというのは疑問です。

 一度公表され、誰もが利用しうる状態になった作品と、その前に葬り去られた作品とを同様に扱うことはできないのではないか、というのが現時点での私の考えです。

 以上のとおり、今回のコラムでは、「最強」とは「自分の適切な守備範囲をわきまえていること」と解釈した上で、著作者人格権のあるべき守備範囲を検討してみました。


【閉幕の辞】

 9回にわたるリレー連載「神様から著作権法を一ヵ所だけ変える力を貰ったら」も、今回が最終回です。
 実務や研究の最前線にいる方々ならではの大胆提案の数々に「3分だけではもったいない」と思ったのは正しかったと確信しました。皆様が心引かれた提案はあったでしょうか。
 著作権制度は、社会や技術進展に合わせた有機的な変化が求められ、これで完成ということがありません。この連載が読者の皆様にとっての「明日の著作権」を考えるきっかけになれば幸いです。
 予想もしていなかったコラム化を快く了解してくださった筆者の皆さま、中山信弘先生、田中辰雄先生、上野達弘先生、そして連載一つひとつに心を砕いてくださった福井健策先生に感謝申し上げます。(朝日新聞社知的財産室プロデューサー・上野純子+WEBRONZA編集部)

 「神様から著作権法を一ヵ所だけ変える力を貰ったら」の8提案

著作権保護期間「最終20年条項」+α(生貝直人 東洋大学准教授)
著作権の保護期間 旧法からの軽やかな卒業(橋本阿友子 弁護士)
DJプレイを適法にする著作権の権利制限規定(水口瑛介 弁護士)
著作権を金継ぎする/デジタル・リマスタリング権(永井幸輔 弁護士)
クリエイターのための「差止請求の一部制限」(岡本健太郎 弁護士)
著作権法版サンドボックス制度(柿沼太一 弁護士)
著作権侵害罪の処罰範囲の限定を(金子敏哉 明治大学准教授)
強すぎる「著作者人格権」の大幅制限を(平井佑希 弁護士・弁理士)

 審査結果発表

 最後に、気になる審査結果の発表です。全提案が接戦だったことは「開幕の辞」でもお伝えした通りですが、この結果は当日時点のものであり、本連載コラムはいずれも「プレゼン内容から格段に『進化』していた」(福井先生談)ことを申し添えます(敬称略)。

◇中山信弘賞
強すぎる「著作者人格権」の大幅制限を
平井佑希(ライツ法律特許事務所)
◇田中辰雄賞
著作権法版サンドボックス制度
柿沼太一(STORIA法律事務所)
◇メンバー投票
1位 著作権保護期間「最終20年条項」+α
生貝直人(東洋大准教授)
2位 著作権の保護期間 旧法からの軽やかな卒業
橋本阿友子(骨董通り法律事務所)