統計のメーカー側の経験から考える「統計不正」問題
2019年03月14日
厚生労働省の毎月勤労統計の問題が一向に収束しない。野党は森友・加計問題と同じ構図ととらえて政権の陰謀説を考えているようだ。だが、それは統計作成部署に対する買いかぶりだ。筆者は、現在は大学教員として統計のユーザー側の者であるが、日本銀行で企業物価統計の企画という統計のメーカー側も経験している。その経験を踏まえ、本稿では、政府の統計の作成プロセスを説明しながら、問題の所在について明らかにしていきたい(注1)。
注1 本稿は「統計不正問題の深層(5)」(日本記者クラブ、2019年3月14日)の会見内容のダイジェストである。また、平田英明「私見卓見:統計、複数の目でチェックを」(日本経済新聞、2019年2月26日)、平田英明「毎月勤労統計調査問題についての経済統計メーカーの視点~統計、複数の目で点検を」(東京財団政策研究所 政策データウォッチ(6)、2019年2月19日)も併せて参照されたい。
政府の統計は、公的統計と呼ばれる。公的統計とは、総務省によれば「“行政利用”だけではなく、社会全体で利用される情報基盤」である。毎月勤労統計を例に取ると、失業給付の額の算定、労働災害の休業補償、労災保険の保険給付、平均賃金の算定、各種審議会等の審議資料、労働時間短縮の推進、労働経済の分析、が厚労省内部での“行政利用”用途となっている(注2)。つまり、“行政利用”という場合、一般にイメージされる政府が国民に提供するサービスに関連する部分が主たる使われ方であり、経済分析の用途は相対的にマイナーな使われ方と見なされているようだ。だが、いうまでもなく、今回の問題によって生じた狭義の行政利用関連の社会的コスト(例:失業給付等の過小給付)と同様に、経済政策の企画立案に生じた歪みという社会的コストも非常に大きなものだ。
注2 この順番は厚労省による説明順である。詳細は、厚生労働省「毎月勤労統計調査結果の主な利用状況」を参照。
ところで、政府の統計はどのように作られているのだろうか。まずは、①生データの取得が行われる。これは基本的に霞が関の官庁が直接に行うのではなく、都道府県等を経由して調査員の訪問調査、郵送調査、オンライン調査などによって行われる。霞が関では、これらのデータの精査を行った上で、何らかの重み(ウエイト)をつけて②集計をする。これらの作業①、②は決められたルールに基づいて行われる。ユーザーは、そのルールを前提に統計数値を見る。例えば、エコノミストは、この統計には何が含まれ、何が入っていない、ということを認識した上で分析をしている。ルールが違えば、自ずと分析の精度も落ちてしまう。
さて、定例作業である①生データ取得と②集計作業に加え、これらの方法論を決める③企画も霞が関の担当だ。企画は、経験、知識、バランスの求められる難しい仕事であり、中長期的な取り組みとなる傾向がある。例えば、ウエイトの算出、業務効率化(例:サンプリング手法についての検討)、経済構造変化への対応(例:新業態の取り込み)、統計システムの変更(例:データ処理システムのアップグレード)、国際基準への対応といった多岐にわたる内容を含むためだ。
実は、各種の統計を作る上で様々な共通作業が出てくるため、各府省に分散している統計作成部署を統合するべきだという意見は従来から存在する。統計作成のノウハウを共有し、部署同士の統合効果を働かせようというアイデアだ。筆者も基本的には賛成であるが、それだけで問題が解決するとは考えていない。単に統計作成部署を統合しただけでは、統合効果はほとんどなく、場合によってはかえってマイナスにすらなるだろう。
なぜだろうか。それは、今回の一連の問題が②の集計作業と③の企画の部分、すなわち霞が関内部で生じた問題だからだ。世の中の多くの業務は一般的に性善説を前提とする。ことさら統計にとっては、性善説は大前提であり、最も基本の部分だ。しかしながら、今回の一件で大前提が崩れた以上、その部分にメスを入れない限り、問題は解決しない。そして、性善説を前提とできない以上、内部で自浄的に問題を解決していくことは難しい。このような構造問題を内包する組織を集めただけでは、どうしても統合効果は見込めない。
統計についてもっとも大事なのは、(結果としての)統計数値が公表されることではなく、統計数値がルールに基づいて適切に算出されることだ。スポーツの試合とは違って結果が全ての世界ではなく、むしろプロセス(ルールの遵守)が鍵となる。しかしながら、統計の場合はとりあえずの結果を公表すれば、その場はしのげてしまう。極端を言えば、とにかく公表されれば、その統計数値の作成プロセスが何であれ、統計ユーザーからは不正の有無は簡単には把握できない。統計ユーザーは性善説の下、統計数値を分析するしかない。
それにもかかわらず、その期待を裏切る行為が連綿と続いていた。残念ながら、霞が関の中で少なからず統計軽視の風潮、または統計リテラシーの低さが存在していたといわざるを得ない。一方、内閣官房行政改革推進本部事務局には、EBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策設計)推進委員会が設置され、にわかにEBPMに向けた人材確保や育成、そしてそれに資する統計の拡充が重要視されつつある(注3)。後者の動きが前者の問題を改善していくことを期待したいが、現状ではEBPMという言葉が独歩し、現場ではその趣旨が十分に理解されていないというのが実情だということだろう。
注3 総務省の「公的統計の整備に関する基本的な計画(第III期基本計画)」(2018年3月6日)では、公的統計とは、EBPMを支える基礎であり、行政における政策評価、学術研究及び産業創造に積極的な貢献を果たすという役割が求められている、としている。
すなわち、統計は国の健康診断の基礎情報であり、経済情勢の的確な数値化なくして的確な問診や診察ができないことが、一部の統計作成部署において十分に理解されていなかったということだ。または、理解はされているものの、それでもなおルールを逸脱して統計作成を行う何らかのインセンティブ、またはルールを逸脱した作成を行わざるを得ない内部事情が存在していたとも考えられる。
関係者の話を総合すると、こういった状況になってしまった背景には、3つのツケがある。第一に、霞が関における統計へのリソース(資金や人材)配分の低下のツケである。驚かれるかもしれないが、実は基幹統計ですら掲載漏れ、公表期日の遅延等が頻発している(注4)。統計の発表遅延というのは、よほどの理由のない限りあってはならず、頻発しているという事実は、統計作成の現場が回っていないことを示唆している。こういった状況の中で、今回のような問題は起こるべくして起きたと考えられる。
注4 「基幹統計の点検結果の整理について」(第2回点検検証部会配付資料、2019年3月5日)
第二に、統計委員会への過度な期待のツケである。統計委員会とは
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