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導入30年、消費税の歴史に何を学ぶか

「福祉財源」の約束、根強い増税反対を軽視するな

小此木潔 ジャーナリスト、元上智大学教授

 日本に税率3%の消費税が導入されたのは1989年4月1日のことだった。それから30年。消費税の歴史を振り返れば、「消費増税による収入を社会保障に使う」という合意が徐々に形成されたことがわかる。だが結果としてできたのは、増税分の多くを借金返済に充てる財政再建優先の増税だった。安倍政権がそれを変える姿勢を打ち出したが、消費税の使途をなし崩し的に拡大しかねない危うさもはらむ。家計が不振に陥り増税反対論が根強い現状も軽視できず、将来を展望するにも、消費税の使途や役割について議論を深めたい。

「活力と福祉」掲げて導入

消費税導入の初日、ネクタイの買い物をする竹下登首相夫妻=1989年4月1日、東京都中央区
 消費税導入の前日、竹下登首相は談話を発表し、消費税への理解を国民に求めた。「広く薄く負担を分かち合うことによって、公平・中立・簡素な税制の確立をめざしながら、さらにわが国経済社会の活力を維持し、豊かな長寿・福祉社会を築く」というものだった。

 所得がガラス張りで税逃れの余地がないサラリーマンに負担が集中し、自営業者などに比べて不公平だとする批判に応え、消費の時点で誰もが課税を逃れることができない消費税の特徴を「公平性」として前面に押し出すとともに、高齢社会を支える福祉財源を確保する必要を強調したのである。この時は法人税率と所得税率を引き下げた一方で、物品税の廃止で国民の新税に対する抵抗感を和らげ、バブル経済の時代だったので景気の失速も招かずにすんだ。

 消費税の誕生と同時に法人税・所得税が軽減されたことは、米レーガン政権、英サッチャー政権の登場を機に、1980年代初頭から顕著になってきた新自由主義の経済思想が日本の税制改革の基調となったことを象徴していた。それまでは富裕層や企業が税の多くを高率で負担する「累進課税」が税制の基本と考えられていたが、その流れが変わり、経済のグローバル化の流れに対応して法人や個人の所得課税を軽減する方向へ各国が舵を切った。その結果、日本では「逆進性」つまり所得の低い人たちの負担率が大きい消費税を税収の大きな柱とする方向へ政策の転換が行われたのだった。

「サギをカラス」の国民福祉税騒動

 戦後初めての非自民連立を実現した細川護煕政権は、消費税率のアップを奇策で実現しようとした。「税率3%の消費税を廃止し、税率7%の国民福祉税を創設したい」と細川首相が緊急会見で発表したのは、1994年2月3日未明のことだった。これは当時の大蔵官僚のシナリオを細川首相が演じたものの、会見で税率7%とする根拠を問われて、「腰だめの数字」と答えたために紛糾。白紙撤回に追い込まれた。

 この時、大蔵省内で主計局幹部がメディア各社に配布した「改革草案」には、「国民福祉税」の創設で税収は16.6兆円増え、消費税の廃止分7.1兆円を差し引いても9.5兆円の税収増となるが、所得税などの減税に6兆円使うので純粋の税収増は2.2兆円が見込まれると書かれていた。しかもその使途は社会保障の歳出増に0.8兆円を充てるだけで、残りの1.4兆円は国債の償還つまり借金返済に使うという内容。国民福祉税という大風呂敷の割には社会保障にわずかしか回らない設計だった。

 大蔵省内ですらこの構想を酷評する声が聞かれた。「サギをカラスと言うがごとし」。増税を実現したいばかりに政治的発想で白を黒と言うような無茶を押し通そうとする予算畑の主計局中心の行動に、税制担当である主税局の幹部たちはあきれ顔だった。主税局の論理からすれば、消費税は何にでも使える一般財源であり、その使途を特定の目的に限定するやり方は邪道であり、ましてやすべてが福祉のためと見せかけて増税するなどとは国民の信頼を損ねる無謀な行為であると映ったのだった。

自自公連立で消費税を「福祉目的税」に

 国民福祉税騒動を機に細川首相の人気はしぼみ、政権は短命に終わるが、国民福祉税騒動は意外な形で実を結ぶ。デフレ不況に突入したことがはっきりしてきた日本に対し米国が貿易不均衡是正につながる景気対策として求めたものが.減税だったが、それに応じつつ直接税と間接税の比率を是正するという大義名分を掲げた税制改革の検討が政府内で進んだ。その結果、1994年秋の臨時国会で、自民、社会、さきがけの3党連立による村山富市政権が所得税・住民税の減税とセットで消費税率を1997年4月1日付で5%に引き上げるための税制改革法を成立させたのである。「活力ある福祉社会の実現」が狙いであると、社会党の委員長だった村山氏は国会で述べた。だが、消費税率が5%になった97年は銀行の不良債権処理の失敗でデフレの悪化が顕著となって金融危機を招き、増税とのダブルパンチで景気のさらなる落ち込みを招いた。

 その後、小沢一郎氏がつくった自由党が自民党、公明党と連立を組んだ自自公政権(小渕恵三首相)が1999年に成立。消費税を福祉財源にするという自由党の主張を盛り込んで、同年10月4日の連立合意文書には「基礎的社会保障の財政基盤を強化するとともに、負担の公平化を図るため、消費税を福祉目的税に改め、基礎年金、高齢者医療、介護をはじめとする社会保障経費の財源にあてる」とうたわれた。

 この時も大蔵省主税局は、消費税は何にでも使える一般財源であるべきだとして目的税化に反対したが、当時の宮沢喜一蔵相の決断で予算編成の土台となる予算総則に「消費税収は社会保障の3経費に充てる」と書き込まれた。

 この福祉財源化の流れは、2009年に誕生した民主党政権内部でさらに強まった。2012年に民主、自民、公明の3党合意で推進が決まった「社会保障と税の一体改革」も、その延長線上でまとまったものだった。この時は、財務省の主税局も反対はせず、増税の実現を優先する柔軟姿勢に転じていた。

消費増税法の成立を報じた2012年8月11日付朝刊
 同年8月10日、消費増税を柱とする一体改革関連法は、参院本会議で採決され、民主、自民、公明などの賛成多数で可決、成立した。関連法には、消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%へ引き上げることが明記された。

 野田佳彦首相は官邸で記者会見し、民主党が政権に就いた2009年のマニフェストで消費増税を明記していなかったことについて「深く国民におわびしたい」と陳謝した。すでに2010年参院選で菅直人首相が「自民党(公約)の消費税10%を参考に」と述べて国民の反発を買っていたが、改革をすれば増税しなくとも財源を確保できるという民主党マニフェスト路線の最終的な修正を認めたのが野田首相会見だった。この180度の路線転換が民主党政権に対する有権者の強い不信を招き、民主党政権の崩壊と支持率低迷の要因になってゆく。

 関連法の柱である消費増税法には、消費税の使途の明確化がうたわれた。「消費税の収入については(中略)年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする」と、使途が明確に規定されたのである。つまり、自自公政権下で合意された3経費に民主党が力を入れようとした子育て支援を加えた4経費を消費税収の使途と定めたもので、それ以外には使えないということになったはずだった。

「社会保障目的税」の虚実

 法律の文言を額面通りに受け取れば、消費増税で税収が増える分だけ社会保障にお金が回って、年金、医療、介護、少子化対策が充実し、国民が受ける福祉サービスはぐんと増えそうにも見える。だが、現実はそうならなかった。この法律には運用面で一種の「からくり」が組み込まれていたからである。

 当時の推計では消費税を1%上げると税収は年2.7兆円増えると見込まれた。税率を5%から10%に上げれば合計で年13.5兆円の税収増となる。この増収分をどう使うかについて、財務省は「1%分の2.7兆円を社会保障サービスの充実に、残りの10.8兆円は現行の社会保障費の財源に充てる」と政治家やメディアに説明していた。これは要するに、増税分が社会保障の財源に回ると法律に書かれていても、実際には80%が毎年の国債発行の圧縮、つまり借金の減額に使われ、福祉の充実に使われるのは20%だけであるということを意味していた。現行の社会保障費の国債でまかなわれている部分を消費税収に置き換えるという論法だ。それでも足りないので「すき間」ができ、それもいずれは消費増税で…という狙いが財務省にはあった。

 だが、よく考えれば、消費税を社会保障に充てると法律で決めたからと言って、社会保障費をすべて消費税で賄わなければいけないということにはならない。ところが、財務省はあたかもそうであるかのように増税分の使途を決め、財政再建優先の発想を貫いたのだった。こんなやり方でも増税分を社会保障に使うとみなされるのであれば、極端な例として、かりに社会福祉サービスをまったく変えずに国債の減額だけに税収を充ててもいいことになってしまいかねない。こんな矛盾に満ちた運用を国民の間で議論すればよかったはずだが、巨額の財政赤字が積み重なる状況にあっては政治もメディアも、財政赤字対策を優先するのが当然と考えていたため、財務省の論理や使途配分の妥当性に関する議論はほとんどなされなかったのである。

 政府が2010年6月に閣議決定した「財政運営戦略」で、国・地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス、国債関連を除いた財政収支)について、「赤字のGDP比を2015年までに半減、遅くとも2020年までに黒字化」するという目標が決められていたことが、政治家やメディアに影を落としていた。当時の菅直人首相も財政再建に前のめりで、2010年2月にカナダで開いた主要7カ国(G7)首脳会議の席上、「予算成立後、ただちに財政再建に取り組む」と発言したほどだった。財務官僚や官邸スタッフによれば、菅首相は「財政赤字を放置してきた君たちが悪い」と官僚を叱り、「増税の使途を語ってはいけない」と周囲に述べたほどで、財政赤字対策優先の姿勢だったという。

 しかし、法律には社会保障目的税をうたい、実際は借金返済を優先するやり方は、景気悪化の引き金になりやすい面を有するとともに、政権の都合次第で増税分を他の目的に使うこともできる余地を残していた。それを逆手にとるようにして、消費税の使途変更を打ち出したのが安倍首相だった。安倍政権がそのような政策転換を図るきっかけは、2014年の消費増税による景気失速だった。

「税率8%」が生んだ景気失速

 もともと安倍官邸や支持者たちの間では、増税への抵抗感が強かった。消費増税の延期もその影響だったが、他方で高齢社会の財源確保のための消費増税を求める経済界の支持を得るには、増税をいつまでも先送りするわけにもいかなかった。そのため、2014年4月に消費税の税率を5%から8%に引き上げたところ、7-9月期の国内総生産(GDP)が予想以上に大きな落ち込みを示した。その結果を受けて

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