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ハーバード大学 VS フェイクニュース

「フェイク」と「ヘイト」が結びついた現実に真っ向勝負を挑む

松本一弥 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

「どんなデマでもまかり通ってしまう」

 ハーバード大学ショレンスタイン・センター所長のニッコ・ミリ(41)は「過去20年間、ジャーナリズムの質は低下し、ジャーナリストの数も激減した。この深刻な事態の発信源を突き止めようとする過程でフェイクニュースの問題にたどり着いたのです」と話す。

ハーバード大学ショレンスタイン・センター所長のニッコ・ミリ拡大ハーバード大学ショレンスタイン・センター所長のニッコ・ミリ

 政治学とコンピューターサイエンスを専攻していたミリがこの分野に関心を持ったのは、「バラク・オバマはイスラム教徒だ」といううわさが米国社会に広まり、それを多くの人々が真に受けて信じ込む様子を目の当たりにしたのがきっかけ。「こんなデマが信用されるのであれば、もうどんなウソでもまかり通ってしまう」と恐怖を覚えた。

 「ジャーナリストがファクトチェックをしてもかえってバックファイア(反発)を浴びるとの調査があります。いくら事実関係を確認してきちんとした答えを出しても、あとには間違ったフェイクニュースが生き延びるという現実がある」とミリ。最近20年間の米国社会の動きを見ると、「知性」に対する攻撃や専門家に対する攻撃が非常に顕著になってきたという。

 「医者や弁護士、大学教授ら、いわゆる知的エキスパートと呼ばれるような人たちは今まさに様々な方角から攻撃を受けています」。知的分野に対する攻撃という意味では、リベラルな社会では「ポリティカル・コレクトネス」(政治的正しさ)を重視するあまり、科学的論拠に基づいた「不都合な真実」が伝わらないーーなどと主張する「インテレクチュアル・ダークウェブ」も不穏な動きを見せているが、ミリは「前線で攻撃してくるパワーの一つ」と警戒する。

「私たちが断罪するものは、私たちとは無縁であると考えたい」

 こうした一連の動きの背景には何があるのだろうか。

 アルゴリズム(計算方法)の進化によってネット上では「見たいものだけを見せる」精度が高まる中、いくつかの特徴ある動きが進行する。グループ内で似たような価値観や思考が響き合ってお互いの考えが強固になっていく「エコーチェンバー(反響室)」。自分好みのフィルターが自分の周囲を泡のように取り囲む「フィルターバブル」。自分に近い意見の人間がネット上で結びつく結果として議論が先鋭化し、他者の意見を排除するようになる「サイバーカスケード」……。

 現象につけられた名称はいろいろだが、要は、自分と異なる他者の考えと向き合ってその意見に耳を傾け、辛抱強く議論を積み重ねて合意点を見いだすような努力をするよりは、仲間内だけで集まって以心伝心の関係で過ごしたい。そんな欲求がフェイクニュース拡散の裏に張り付いていると見立てても大きく間違ってはいないだろう。

 意見が同じか、近い人たちの間では、たまたま目にした情報が自分の考えや思いを裏付けるようなものである場合、自分たちにとっては耳障りが良いそうした情報のみが選択的に受け入れられ、強化されていく。そんな心理的「確証バイアス」が働くとみられるからだ。他方、仲間内だけで構成する閉じた世界で楽しくやりたいという欲求そのものは否定されるべき対象とまではいえない。

 だが、仲間とのつながりを固めていく過程で嫌でも視界に入ってくる「目障りな他者」と「自分たち」との境界線をヘイトスピーチで際立たせ、他者を排除してしまいたいという暗い欲望が蠢(うごめ)いた末に「フェイク」と「ヘイト」が結合していくとしたら……。そんなやっかい極まりない難題に私たちは直面しているのだ。

 「私たちはつねに、私たちが断罪するものは、私たちとは全面的に無縁であると考えることを好んでいる。私たちが通常、忌み嫌う人々に私たちが似ているという考えはとても耐えがたいので、私たちは大急ぎで彼らと私たちのあいだに乗り越えがたいと思われる壁を建立しようとする」(注2)。

 ブルガリア生まれの思想家、ツヴェタン・トドロフが人間の本質のある部分を鋭く喝破したように、「退屈な真実よりも面白い」フェイクニュースを受け入れてしまう弱い心も、ヘイトスピーチに盛り込まれた憎悪の感情に感染してしまう精神のありようも、私たち一人ひとりが深部に抱える一面に他ならない。

 だが醜悪ですらあるそんな一面から一瞬でも目をそらして自らを「問題の外」に置いてしまえば、このアポリア(解決のつかない難問)を解明して乗り越えようとする試みは徒労に終わってしまうのではないかと思えてならない。


筆者

松本一弥

松本一弥(まつもと・かずや) 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長などを経て現職。満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務め、取材班の同僚とともに石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。早稲田大学政治経済学部や慶応大学法学部では非常勤講師などとしてジャーナリズム論や取材学を講義した。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

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