「フェイク」と「ヘイト」が結びついたテレビ番組が問いかけるもの
2019年04月30日
哲学者の鶴見俊輔はかつてこう書いた。今、鶴見のことばを改めて思い起こしておきたい。
すべて人間として生まれた者は、差別の対象とされてはならない。これは、憲法起草委員会に最年少の委員として加わった二十二歳のベアテ・シロタが書いた草案である。この草案は、日本国憲法の最終案には活(い)かされていない。この欠落は、日本の戦後史に残ったさまざまの差別を温存させ、また加速させた。(注1)
「フェイク」(偽)と「ヘイト」(憎悪表現)が結びつくケースは何も米国などだけで見られる現象ではない。日本でも数多くの事例が確認されているが、中でも沖縄の米軍基地反対運動を題材に地上波のテレビ局で放送された番組「ニュース女子」は多くの批判にさらされ、テレビ放送が抱える課題をいくつも露呈させる結果となった。一体、何が起き、何が問われたのか。問題点を改めて振り返り、検証してみたい。
沖縄県東村(ひがしそん)高江の米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する人々などを取り上げた番組「ニュース女子」(2017年1月2日放送)をめぐり、東京ローカルの地上波テレビ局である東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は、「ウソを公共の放送で流した」「沖縄で基地建設に反対する人々の名誉や信用を傷つけて偏見をあおった」と厳しい批判を受け、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会からは「重大な放送倫理違反があった」と認定された末に2018年3月、番組の放送終了を発表した。番組の司会は当時東京新聞の論説副主幹だった長谷川幸洋氏が務めていた。
さらに、BPOの放送人権委員会は同年3月、「ニュース女子」の中で人権団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)さんを「反対派の黒幕」と表現するなど、辛さんに対する名誉毀損(きそん)の人権侵害があったと認定した。番組放送後、辛さんのもとには脅迫メールや手紙などが相次ぎ、辛さんはドイツへの移住を余儀なくされた。
東京メトロポリタンテレビジョンは辛さんに謝罪したが、番組を制作したDHCテレビジョンはBPOの意見を「言論弾圧」などとはねのけたため、辛さんは同年8月、番組を製作したDHCテレビジョンと司会を務めた長谷川氏を相手取り、計1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした(現在係争中)。他方、長谷川氏は「原告の不合理な個人攻撃によるジャーナリストとしての名誉信用毀損及び業務妨害等の被害に耐えてきたが、原告の行為はもはや許容しがたいもの」だとして2019年1月、辛さんを東京地裁に反訴した(同)。
「ニュース女子」は、有名な歌手を起用したテレビCMなどで知られる化粧品大手ディーエイチシーのグループ会社「DHCシアター(現・DHCテレビジョン)」などが取材・制作したものだ。東京メトロポリタンテレビジョンは制作には関与せず、DHC側から完成版の納品を受けるいわゆる「持ち込み番組」だった。東京メトロポリタンテレビジョンはその番組内容を放送前に適正に考査する必要があったにもかかわらず、それを怠った。他方、制作会社のDHCテレビジョンはその後も「ニュース女子」の制作を続け、放送を継続している。
2017年1月2日に問題の「ニュース女子」が放送された直後から、市民有志とともに訂正と謝罪を東京メトロポリタンテレビジョンに求めて抗議活動を続けてきたフリーの雑誌編集者、川名真理さん(55)は「東京メトロポリタンテレビジョンは反省とおわびの見解を発表したが、DHCテレビジョンは裁判の中で依然として自らの正しさを主張している。番組も放送を継続中だ。『ニュース女子』問題はまだ終わっていない」と訴えている。
「ニュース女子」はどんな番組だったのか。
まずはこの番組を審議したBPOの放送倫理検証委員会が2017年12月14日付でまとめた報告書「東京メトロポリタンテレビジョン『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に対する意見」や実際の映像をもとに番組の概要を振り返っておこう。
CMを含め約19分間の番組は、取材VTRの冒頭、登場した「軍事ジャーナリスト」のこんな言葉で始まる。
「実はですね、今大変話題になっております高江ヘリパッドの建設現場で、過激な反対運動が行われているということで、ちょっとこの現場ですね、どのようになっているのか、取材をするためにやってまいりました」。その後、画面には「軍事ジャーナリスト」の名前とともに「緊急調査 マスコミが報道しない真実」とのスーパーが流れる。そして映像は「いきなりデモ発見」とのナレーションとともに、抗議活動に参加している人々を映し出す。
「軍事ジャーナリスト」は「いました、いました。反対運動の連中がですね、カメラを向けていると、もうあいつ、あいつだみたいな感じで、こっちの方を見ています」「このへんの運動家の人たちが襲撃をしに来るということをいっているんですよね」といいながら、抗議活動に参加する人々の方に近づいていく。画面には、「軍事ジャーナリスト」は「反対派にとって有名人」のスーパーが表示される。そして「このまま突っ込んで襲撃されないですか?」とのナレーションの後、「近く行く?」「これ近づいたら危ない危ない」というスタッフの声が入る。
続いて画面に「取材交渉」というスーパーが表示され、「自ら取材交渉へ」とのスーパーが出るが、「しかし、このままだと危険と判断し、いったん撤収」というナレーションが流れてスタジオは爆笑に包まれた。司会者が「なあんだ、情けないじゃん」というと、「軍事ジャーナリスト」は「もう近づくとね、1人、2人と立ち上がって、敵意をむき出しにしてきてかなり緊迫した感じになりますんで、ちょっとこのあたりでやめておきます」と語った。
その後、番組は名護市内の米軍キャンプ・シュワブのゲート前付近などを映してから、名護市の二見杉田トンネルへ。その入り口に立った「軍事ジャーナリスト」は「このトンネルをくぐっていきますと、米軍基地の高江ヘリパッドの建設現場ということになります」と説明。
その後、「地元関係者から、高江ヘリパッド建設現場が緊迫してトラブルに巻き込む可能性があるので、今回の撮影を中止すべきだとの要請があり、残念だがロケを断念してもらうことに」とのナレーションが入る。「軍事ジャーナリスト」は「私ははるばる羽田から飛んできたんですけれど、足止めを食っているという状況なんですよ」と語る。「反対派の暴力行為により、地元の住民でさえ高江に近寄れない状況」。ナレーションにはそう書かれていた。
あたかも二見杉田トンネルから先が「地元住民でさえ近寄れない」ほど非常に危険なエリアになっているかのようなリポートだが、事実はどうか。
「軍事ジャーナリスト」が「足止めをくらった」というこの二見杉田トンネルから高江のヘリパッドの建設現場までは約40キロ、直線距離にして約25キロ、自動車で1時間ほどの距離だ。この位置関係を、東京駅を起点に置き換えて考えてみれば、リポートのでたらめさが際立つ。フリージャーナリストの安田浩一氏が指摘するように「東京駅を起点とすれば、西は八王子、東は千葉までの距離に相当する。都心で起きた事件を千葉で〝立ちリポ〟する記者などいない。それでも同番組にかかれば『現場取材』となる」からだ(注2)。
私も2回、現場に足を運んで取材した。
二見杉田トンネルから高江のヘリパッド建設現場まではいくつものトンネルを通り抜けるが、その途中で目にするものを列記してみよう。道の両側を樹木が鬱蒼(うっそう)と生い茂る中、現れるのは多くの民家、リゾート施設、トレーニングセンター、学校、地区会館、飲食店、診療所、公民館、鮮魚店、そば屋、コーヒー園、ペンション、墓地など。要は地元の人々が穏やかに暮らすごくふつうの生活圏であることがわかる。
では、番組リポートのために取材したとされる2016年12月当時、「高江のデモは過激化」していて反対派が「何をしてくるかわからない」状況がほんとうにあったのか。
この点について、現地で聞き取り調査を行ったBPOは、反対派から「おまえ誰や」「何しに来た」と罵声を浴びせられたとする番組制作会社の書面回答に触れ、結論として「取材目的・経緯からみて、あってしかるべき映像や音声の裏付けがない」と認定。取材VTRで「軍事ジャーナリスト」が述べている「『もう近づくとね、1人、2人と立ち上がって』『敵意をむき出しにしてきてかなり緊迫した感じになりますんで』という放送内容には、その裏付けとなるような客観的な事実が認められない」と判断した。
BPOはまた、抗議活動に参加していて映像に映っていた3名を割り出し、全員に事実関係を確認した。その結果、3人は「抗議活動を批判するメディアが自分たちを撮影しに来たことがあったので、トラブルを避けるため仮に声をかけられてもむやみに応答しないことにしていた」と証言。また3人とも「撮影スタッフは自分たちに近づいて来ていない。取材交渉にも来ていない。軍人ジャーナリストは沖縄では有名ではなく、自分たちも軍事ジャーナリストのことを知らず、軍事ジャーナリストが近づいてきたことに気づかなかった」と話したという。
この問題がやっかいなのは、このリポートを地上波テレビの画面でいきなり見せられた視聴者が「これは虚偽の内容ではないか」とその場で真偽を見抜くのは極めて難しいと思われる点だ。なぜなら「現場からのリポート」をうたう番組がこんな内容で構成されているとは、通常はなかなか考えにくいことだからだ。
BPOは、関係者らへの聴き取り調査などを実施した結果、以下のような結論をまとめた(一部を抜粋)。
■抗議活動を行う側に対する取材の欠如を問題としなかった
・番組制作者が〝抗議活動に日当を出している疑いのある組織〟として指摘する人権団体およびその共同代表に対して取材を行った形跡はまったく見受けられない
■「救急車を止めた」との放送内容の裏付けを確認しなかった
・本件放送が、抗議活動に参加する人々は反社会的な人々であるとする重要な根拠としているのは、地元住民のB氏による「防衛局、機動隊の人が暴力をふるわれているので、その救急車を止めて、現場に急行できない事態が、しばらく、ずーっと続いていたんです」とのインタビュー内容である。しかし、本件放送では、制作会社が消防や警察に対し、抗議活動に参加していた人々による救急車の通行妨害の事実の有無を確認した形跡はうかがえない。
■「日当」という表現の裏付けを確認しなかった
・本件放送では、基地建設反対運動に参加する人々が抗議活動に対する手当としての「日当」をもらっているのではないかと表現する根拠として、人権団体のチラシと2枚の茶封筒のカラーコピーが用いられているが、(中略)このチラシと茶封筒だけでは、基地建設反対運動に参加する人々が「日当」をもらって運動しているのではないかと報じる十分な裏付けとならないことは明らかである。
■「基地の外の」とのスーパーを放置した(略)
■侮蔑的表現のチェックを怠った(略)
■完パケでの考査を行わなかった
・本件放送に関してTOKYO MXが完パケでの考査を行わなかったことは、大きな問題である。(中略)・本件放送では、スタジオ収録部分のスーパーは考査後につけられ、考査担当者はまったくチェックしていない。
以上の内容から、BPOはこう結論づけた。
■委員会の判断~重大な放送倫理違反があった
・本件放送には複数の放送倫理上の問題が含まれており、そのような番組を適正な考査を行うことなく放送した点において、TOKYO MXには重大な放送倫理違反があったと委員会は判断する。
他方、東京メトロポリタンテレビジョンは2018年8月、「主な反省点」をまとめた「当社見解」を公表。反省点として以下の点を挙げた(一部抜粋)。
◆「沖縄県における基地反対運動に携わる方は多岐にわたるにもかかわらず、平和的に基地反対運動を行う方々までも包括して過激で暴力的な運動を行っているかのような印象を与える部分など、視聴者に誤解を招く内容を含む部分について改稿の要請を行わなかった点」
◆「事実関係について一部に裏付けが不十分な箇所があり、番組の性格や種別に関係なく、放送局として、制作会社への再確認など、裏付けに向けた努力を尽くさなかった点」
◆「放送用のテロップ等が挿入されたいわゆる『完パケチェック』を、時事ネタを冷めないうちに放送するために組まれた放送までのスケジュールを優先し、省略した点などを挙げた。
今後の態勢としては「考査体制を改め、テロップが入った『完パケ』考査の徹底を図るなどの確認方法・内容の見直しを行ったほか、組織・人員も強化しました。更に、全社員を対象に研修を行い、放送法、放送基準に対する理解を深めてきました。今後は、定期的に研修を行い、社員のスキルの維持・向上に努めてまいります」との考えを表明した。
ちなみに、東京メトロポリタンテレビジョンは「放送番組の基準」の本文でこう宣言している。
「放送を通じてすべての人の人権を守り、人格を尊重する。個人、団体の名誉、信用を傷つけない。差別・偏見の解消に努め、あらゆる立場の弱者、少数者の意見に配慮する」
川名さんら市民有志が東京メトロポリタンテレビジョンに対する抗議活動を同社前で始めたのは、「ニュース女子」が放送された10日後の2017年1月12日からで、2018年3月まで計34回に及んだ。
「最も多い時で180人、少ないときも40人を下らない市民が集まってくれました。でも、当初は3回ぐらい抗議して終わりにするつもりでした。東京メトロポリタンテレビジョンがついうっかり考査をしなかっただけで、抗議をすればすぐに訂正してくれると考えていたからです」と話す。
抗議活動を始める1回目が「一番しんどかった」と川名さん。「でも、思った以上に協力してくれる人たちがいたので助けられました。東京メトロポリタンテレビジョンに抗議するために集まっているのだけれど、それだけじゃなくて、
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