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インバウンド拡大と東京五輪に浮かれていられない

観光で大事なのは量より質。「ソコソコの満足度」ではリピーターは増えません!

茶田誠一 みちトラベルジャパン株式会社 代表取締役社長

jiratto/shutterstock.com

訪日旅行者数、史上初の3000万人突破

 この数年、インバウンド(訪日旅行)の話題がメディアに取り上げられない日はない。2018年は訪日外国人旅行者数が史上初めて3000万人を突破した。

 私がインバウンド旅行の会社(みちトラベルジャパン株式会社)を起業したのは2006年で、事業の絵姿を構想していた2005年当時の訪日旅行者数は673万人であった。その後、訪日旅行市場は近年の急速な拡大により2018年には3119万人と当時から4.6倍の規模に成長した。

 「十数年前に訪日旅行で起業って聞いたとき、正直うまくいくとは思えなかったけど、訪日旅行客数が飛躍的に伸びて、先見の明があったね」と多少は褒めて頂くことがある。「東京オリンピックまでは増えるからいいね」などのご意見も頂く。

 確かに、数が増えていることは、世界中の人が日本に関心があることの証と考えれば良いニュースである。

 しかし、私としては、市場拡大を手放しで喜ぶ気にはなれない。

 訪日旅行市場の急成長に感心されても、「数が増えたかどうかよりも、世界中からのお客さんが日本を旅行中に感動してくれて、リピートまでしてくれるほどのファンになってくれることが、一番嬉しいし、より大切だと思うんだけど」と心の中で思ってしまうのだ。

旅行者数より満足度

 世界中から来られるお客様は、人生の楽しみ方や価値観も千差万別で、当然ながら旅でこだわるポイントも旅のスタイルも異なる人達だ。

 そんな多様な期待と不安のある旅行者に常に満足してもらうことは大変なことも多い。量を増やすために画一的な対応をすると、最大公約数以外の様々な期待には応えられない。お客さんごとの様々な期待を把握し、それらに応じたカスタマイズした柔軟な対応をするなど、サービスの「質」が不可欠になってくる。

屋久島の自然を楽しまれるお客様。多様な魅力のある旅行デスティネーションである日本では、お客様の期待も多岐に亘り、その期待に応えることが大切である。
 全国の通訳ガイド、ホテルや旅館の宿泊関連、レストラン関係、ドライバーなどのサービス業の方々、また、様々な日本文化や魅力を海外に伝えて下さる方々と協力し、心をこめたサービスを提供してはじめて高品質の旅行サービスが提供できる。

 そして、その結果、リピートしてくれるお客様が生まれるのだ。

 弊社でも毎年のように利用してくれて、日本の全国の旅を楽しんでくれるお客さんがいる。実際、お付き合いさせて頂いている通訳ガイドや宿泊関連の方々で、「質」にこだわったプロフェッショナルの方々のサービスは素晴らしく、お客様からも絶賛される。

 そのように日々の現場で「質」の重要性を経験していると、訪日旅行についての世間の話題が、市場規模の予測などの量的な面だけが独り歩きしているようで心配になる。

 「東京オリンピックまでは増えますね」という論調も、訪日旅行者が日本の何に感動し、逆に、どういう点には満足せずに帰国されたのかなどの質の視点が抜けていることが多い。

 短期的に「数」を増やすこと自体を目的化してしまったら、「質」への意識が弱くなり、お客さんの満足度が低下するだろう。来日した方々が「一度は行ってみたが、リピートするほどでもない」と思うようではいけない。

 私としては、訪日旅行者数(=量)よりも訪日客の満足度や感動(=質)がより肝心、と考えている。

 誤解を避けるために付言すると、観光客数が重要ではないという意味ではない。あくまで、「質」に焦点を当て、高い満足度を実現した結果、その評判が広まり、緩やかでも持続的に増加する方が、一過性の拡大はしたものの、その後満足度が高まらず数も失速してしまう、という状況よりも好ましい、という意味である。

 ここでいう目指すべき「質」とは、非常に高い水準でなければならない。世界中を旅した旅慣れた顧客も感動するような、文化的にも知的にも好奇心が高い人も感心するような水準である。

 軽い調子の「良かった」や「いいね」という程度の感想をもって「世界が日本に注目」などと浮かれていては、今後、魅力的な旅行デスティネーションになるために長期的に何をすべきかが見えてこない。

 世界から来日してくれる人には、芸術や文化に関心の高いクリエイティブな顧客層、世界中を旅している旅慣れた顧客層、異文化への知的欲求が高く、旅行を通して自分の人生を更に豊かなものにしたいと希望しているような顧客層など、目の肥えたお客様も多い。そのような方々の心にも響き、リピートしてもらえるような高い水準を目指さなければならない。

質の高い旅行目的地とは?

 訪日されるお客さんの関心や期待に応え、そして超えていくような非常に高い顧客満足度を達成しつづけられるデスティネーション(旅行目的地)を「質の高い旅行デスティネーション」と定義してみよう。世界的に見て日本が「質の高い旅行デスティネーション」になるということはどのような意義や重要性があるだろうか? 

 以下では、その意義を(1)リピーターの増加、(2)金額面でみた経済効果(消費額)、(3)ブランドイメージの創出(ブランド価値)、の3点から考察してみたい。

(1)リピーターの増加

 訪日リピーターの増加は、日本の観光客数だけでなく、質的にも多くのメリットをもたらす。

 経済的なメリットだけでも、最初の来日ではメジャーなルートだけを巡る方が多いが、2度目、3度目は別の地方への旅行を希望されることが多いので、訪日旅行の経済効果がゴールデンルート以外の地域にも広がることになる。また、2回目以降では、最初の旅行で特に関心を持ったテーマ(芸術、美食、宿、自然など)を深めることを希望される方も多く、一般的な旅行消費以外も広がる。

当社リピート客の旅行の一コマ。温泉、日本食、ハイキングが特にお気に入り。写真提供・通訳案内士青崎涼子。

 そのような経済的な意味以外にも、日本のファンや日本の理解者が世界中に増えることに旅行が貢献できるのであればその意義は極めて大きい。

 このリピート客を生むために最も重要な点は毎回の訪問時の満足度である。

 満足度とリピートの関係については下記のモデルケースを見て頂きたい。海外からの旅行者数が年間1万人であった場所が2箇所あったとする。その2箇所についての顧客の評価を比べると、満足度は異なり、地域Bの方が高い満足度を示す評価結果だったとしよう。

 地域Aは5段階評価で3点と4点をつける人が最も多く、平均3.50点であったとする。「ソコソコの満足度」の評価といえる。一方、地域Bでは、訪問者の約3分の2が5点評価をつけ、平均4.6超の「かなり高い満足度」であったとする。当然、満足度が高い方がリピート訪問の可能性が高い。議論の単純化のため、評点1~3点の人は再訪はなし、4点の人で5%の再訪、5点の人は30%が再訪すると仮定する。

 上記の簡単な想定での試算の結果、想定再訪者(リピート数の想定)は、地域Bは2130人、地域Aは375人で、約5.7倍の差である。リピート数は当然ながら長期的な海外からの入込観光客数に重要な影響を与えることになる。つまり、当年は同数のインバウンド客の受入数でも、将来の両地域の観光客数は数倍の差が生じる可能性がある。

 満足度はリピート数に影響するだけない。直近の旅行者の満足度の評点がネットで容易に確認できるので、初めて訪問しようかどうか悩んでいる人の行き先の意思決定にも影響を与える。したがって、この例にある地域Aと地域B(または施設単位に置き換えると、施設Aと施設B)の10年後の入込数は、リピート数でも初めての訪問数でも大きく異なることになる。その結果、観光収支にも大きな差が生じるであろう。

 なお、ここで、再訪の可能性の想定は、「東京」や「北海道」といった広域で定義するのか、よりミクロ的に狭い場所や施設単位で定義するのかによって異なるだろう。また、リピートしやすい国際空港のあるアクセスのいい場所か、アクセスが困難でリピートしづらい場所か(離島など)、などによっても異なる。

 したがって、ケースバイケースではあるが、上記の想定は、顧客の相当数をリピート客が占める当社のビジネスで、日々海外のお客さんとやりとりをしている肌感覚で概ね妥当と感じる水準である。特に、5段階の5(非常に良かった)でなければ、再訪しないであろうというのは総じて正しいであろう。

 これに対し、4点や3点でも、もっと再訪するのでは、と思われる方もいるかもしれないが、5段階の4は「ソコソコの満足」ということで、「良かったし、悪くはないが、感動するには足りない」という意味に近い。海外の人が4をつけて5をつけないということは、あえて再訪したいと思うほど惹きつけられなかったということで、世界中に魅力的な観光地が多数ある中、4評価以下で戻ってくる人は非常に限定的と考えるのが妥当であろう。

 この点、日本人の国内旅行であれば、4点のお客さんでも、将来「近いから」という理由や、企画する立場の人の予算や利便性の理由で、より高い再訪率になるだろう。だが、海外からの個人の旅行客に遠路からわざわざリピートしてもらうには、満点の評価が基本的には必要であろう。

 また、数字データだけでは見逃されがちであるが、旅行というのは、情緒的な要素の強い消費であり、5段階評価で定量化しきれないことが多い。特に、5評価では5が最大なので5をつけているが、実際は5+とか6点などをつけてもいいと思っている「飛び出た」評価をしてくれる人がいる。

 弊社で取引させて頂いている非常に高い評価の旅館やレストランなどの旅行口コミサイトの外国語のコメントをよく見ると、5点コメントの中に心底からの感動が伝わってくるものがある。それを仮に「5+」と呼ぶとすると、5+の人は、普通に5点をつけた人とは異なる次元の満足や幸福を感じている。そういう人たちは何度もリピートする可能性がある。

 実際に、私達もビジネスでそのような経験をしている。ものすごく感激してくれたお客さんは、日本にリピートしてくれる割合が高い。弊社のサービスを喜んで頂いた方から、また日本に旅行するから「次の旅行もお任せするから、いい場所といい旅館推薦してね」とリクエストがあることもある。

 また、特に気に入った特定の場所にまた行きたい、同じ都市に、同じホテルに、同じ旅館に、同じレストランに、など全く同じことを希望されるリピート客も多い。夢のように心地よい空間だったから、最高に美味しい料理だったから、など理由は様々だ。案内してくれた通訳案内士(通訳ガイド)の素晴らしいガイディングや温かい心遣いが思い出となって、次の来日時にも、そのガイドさんを指名してまたツアーをしたいと言ってくださるなど事例は枚挙にいとまない。

 「上質」や「良質」が「感動」や「感激」を生み、それがリピート客を創造することは実感するところである。

(2)金額面でみた経済効果(消費額)

 消費単価の重要性については、「人数」の指標よりも、「人数×1人当たり消費額(単価)」の「売上」の方が重要である点から明らかであろう。

 「売上」を増やすには、人数を増やすことと同様に(あるいはそれ以上に)、1人あたり消費額(単価)が鍵になる。とはいえ、価値に見合わない価格設定は支持されない。高単価でも満足して頂くためには、高い提供価値を追求するしかない。お客さんの心に響くユニークな体験、上質なサービス、感動的な旅行体験を提供しなければならない。

 また、この消費単価の点は、観光、ホスピタリティ業界の生産性や収益性にとって重要なポイントである。

 何千万人もの海外からのお客さんをお迎えし、喜ばれ続けるためには、観光業、ホスピタリティ産業、その他関連する受け皿の事業が持続的に収益を確保し成長することが大前提である。日本人だけでなく世界中の方がお客さんになる以上、従来以上に顧客の多様な声に耳を傾け、独自の顧客価値を提供できる事業者のみが、適切な利潤を確保し、事業を持続させることができる。

 この点、宿泊その他関連の観光サービス業の財務指標は、収益性、財務の安全性の両面において総じて低い水準にあることは従来から指摘されている。

 例えば、産業別財務データハンドブック(㈱日本政策投資銀行)によれば、ホテル業界の使用総資本事業利益率(企業が所有する総資産を使ってどれだけ利益を上げているかの経営効率性の指標)は2008~2017年の平均で3.4%と全産業平均の5.0%を下回る。これは上場企業の指標だが、典型的なフラグメンテッドな業界であり、非上場会社が多い観光産業全体の平均的な姿はより厳しいものと推察される。

 もちろん、事業形態によって健全性の指標は異なり、また、同じ業態間でも企業差は大きくあるが、観光立国を支える事業の平均的な収益性や財務の安全性、そして資本効率が低いという特性は、長期持続的な観光立国の存在基盤としては好ましくない。

 これらの改善には、様々な方向性が考えられるが、まずは顧客から見た価値を高め、その高付加価値に見合った単価を設定し、適切な収益性を確保し、その水準を持続させることで財務的な安定を図ることが最も大切である。そして、財務の健全性と同時に、現在、この業界で大きな課題になっている人材確保、育成の面で、待遇の持続的な向上や長期的な人材研修への投資などを実施していかなければならない。

(3)ブランドイメージの創出(ブランド価値)

 企業にとってブランド価値が重要な意味を有するのと同様に、デスティネーションにとっても、顧客がその場所をどう認知し、どのようにイメージし、どれほどの信頼や愛着を感じているか、というデスティネーションブランドは決定的に重要である。そして、企業にとってブランドとは、顧客が期待する品質やサービスに対する企業の約束であるのと同様に、デスティネーションにとっても、ブランドとは、「その地を訪れてくれる旅行者が期待する感動的な旅行体験や心に響く体験についての約束」である。

 つまり、ブランドの本質が約束である以上、どんなに気の利いたキャッチコピーや見栄えのいいプロモーションビデオやパンフレットよりも、日本を旅行した人による「素晴らしい旅行体験だった」、つまり「約束が守られた」や「約束以上だった」という実際の感想の方が人の心に響くであろう。

2016年オープンのアマネム。世界中のアマンファンが英虞湾を望む温泉を有するリゾートを訪れている(同リゾート提供)

 したがって、独自の感動的な旅行体験や良質な旅行サービスを提供し、「質の高い旅行デスティネーション」としての実績を重ねていくことが、デスティネーションブランドを持続的に向上させるための、地味ではあるが着実な道になると考えられる。

 そのためには、日本訪問の主たる動機である「食事」「歴史・伝統」「現代文化」「自然」「温泉」などを楽しんでもらうことは勿論である。

 日本には、世界の人々に喜んでいただける文化や魅力が幅広く存在する。その多様性こそが強みともいえる。私もその多様な魅力があるからこの仕事をしているのであり、多くの社員もわが国の多様な魅力を紹介したいという希望で入社してくれる。

 そして、これからはその多様な魅力の根底にある本質的な価値、例えば、「日本独自の美意識」「生活様式」「自然との関わり」「精神性」などの奥深いところで共感や信頼を生むことができるかが一層大切になるであろう。

 そのレベルで共感してくれるお客様は今も一部にはいらっしゃる。更に今後増やすことで、「日本=また行ってみたい国」を連想させるデスティネーションブランドとなり、強固なブランドロイヤリティーにまで高めていくことが重要である。そのような強固な愛着やロイヤリティーが生まれた時、日本のブランド価値は、観光産業は勿論、観光以外にも大きなメリットを生むことが期待される。

「ソコソコの満足度」に満足したらダメ

 上記の(1)から(3)をまとめると、下記のように説明できる。訪日客の感動や満足度(旅行の質)を中心に据えた二つの図を見ていただきたい。

 最初は好循環の例だ。

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