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日米貿易交渉「日本が攻められている」という妄信

切羽詰まっているのは米国だ。日本は圧倒的有利にあることを認識すべきだ

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

焦っているのは米国だ

 第一に認識すべきことは、日本はアメリカと自由貿易協定を結ぶ必要は全くないことである。

 アメリカがTPPから抜けたことで、日本はアメリカ市場へのアクセスを失ったと考える人もいるかもしれないが、アメリカ市場へのアクセスという点では日本はTPPでほとんどといってよいほど勝ち取ったものはない。

 日本の自動車に課される2.5%の関税も、フォードなどの反対で、なくなるまで25年もかかることになってしまった。TPPがなくても、日本の輸出産業は、これまで通り輸出している。

拡大Ink Drop/shutterstock.com

 第二に、焦っているのはアメリカである。

 TPP11や日・EU自由貿易協定の発効で、日本市場において、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、EUという農産物輸出のライバル国との競争条件は決定的な差がついてしまった。4月からこれら諸国産の牛肉関税は26.6%に下がり、14年後には9%になる。これに対して、アメリカ産牛肉への関税は38.5%のままである。既に10%以上の関税差がついており、時間が経てば立つほど、これが拡大していく。これは、小麦、乳製品、ワインなど他の農産物についても同様である。

 私はこれまで10年間ほどアメリカ農務省が毎年2月に開催するアウトルック・フォーラムという会合に出席している。これまでこのフォーラムで話題になり議論されるのは、いかに中国市場が重要かという話ばかりだった。それが今年ばかりは違った。わざわざ日本の農産物市場に関する特別セッションを設けて、アメリカの食肉業界、小麦業界の関係者が、いかに日本市場が重要かを力説したのである。

 このなかで、食肉業界の代表は、飼料としてとうもろこしや大豆を使用する食肉の輸出が不振となれば、すでに米中貿易戦争で打撃を受けている中西部コーンベルトのとうもろこしや大豆の生産者に、150~200億ドル(1兆8千億円~2兆4千億円)の被害を与えることになると主張していた。

 私が本サイト「愚かなアメリカが沈めるTPP(2016年9月13日付)」でアメリカ抜きのTPP(TPP11)を実現すべきだと主張したと同様の事態が実現したのである。

 当時は私の発想に反対した安倍総理以下の日本政府の担当者は、TPP11がなければ今頃アメリカからの要求に立ち尽くしているしかなかったはずである。

 本サイト「日米貿易協定交渉は日本が圧倒的有利なはずだ(2018年12月28日付)」の文を再掲しよう。

 交渉ポジションは圧倒的に日本に有利だと言うことである。
 アメリカは交渉を妥結しないと農業に影響が生じる。トランプが再選される条件は、ラストベルトでもありコーンベルトでもある中西部で勝利し、なおかつフロリダやオハイオなどの帰趨が不明確なスイングステートで勝利することである。コーンベルトの農業票を逃がしてしまえば、トランプの再選はない。
 これに対して、日本は交渉を妥結しない方がよい。中西部の農業票が欲しいなら、TPPに戻ってきなさいとアメリカに言えば良いだけである。
 為替条項も非市場国条項も、どうしてもアメリカとFTAを結ぶ必要があったカナダやメキシコは、アメリカの要求に屈せざるを得なかった。アメリカとFTAを結ばなくてもこれまで通り輸出できる日本は、USMCAの非市場国条項に付合う必要はない。要するに、カナダやメキシコと異なり、日本は優位な地位にあるのである。

 さらに、中西部は今年大洪水の被害を受け、作物の作付けもままならない状況になっている。

 洪水はトランプのせいではないが、米中貿易戦争、日本市場の喪失、大洪水のトリレンマに悩まされることになる中西部の農家の怒りがトランプに向かうかもしれない。そうなると、来年に近づいたトランプの再選への希望に、とどめを刺されることになる。

米国がTPPから勝手に離脱した

 第三に、このような事態を作ったのは、アメリカがTPPから勝手に離脱したからである。

 このため、日本はTPP11という枠組みをもう一度作り直す手間をかけなければならなくなった。アメリカはTPPに復帰すれば、日本市場での不利性は解消できる。

 このような原因を作ったアメリカに何らのペナルティーも与えないで、TPP11に付合ってくれたカナダ、オーストラリア、ニュージーランドと同様の条件をアメリカに認めて良いのだろうか?

 アメリカの農務長官がTPP以上の結果を求めると言うのは、論外である。TPPの合意結果は日本が妥協できる上限であって、それがスタートラインではない。

 トランプ大統領が好きなディールに例えて言おう。

 あるアメリカ人が訪問先に飾ってあった掛け軸をとても気に入って譲ってくれと交渉したとしよう。掛け軸の持ち主(日本人)はお金には困っていない。代々伝わる宝なので、どうしても譲れないと言う。ところがアメリカ人は欲しくてたまらない。100万円をオファーしたが日本人は首を縦に振らない。1千万円でもだめだと言われたので、とうとう2千万円までオファーした。ディールとしてはアメリカ人の負けである。

 アメリカがTPP以上の農産物の譲歩を求めたり、自動車や為替条項などで無理難題を言ってきたりしても、日本は難しいと言って横になれば良いだけである。時間が過ぎて農産物の関税格差が拡大して困るのは、アメリカである。

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筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

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