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沖縄から米国へ ジャーナリスト大矢英代のこと

初監督作品のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」で受賞

松本一弥 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

沖縄が再軍備化されていくことへの恐怖

戦闘機や哨戒機が次々と離着陸する米軍嘉手納基地=2018年9月、沖縄県嘉手納町拡大戦闘機や哨戒機が次々と離着陸する米軍嘉手納基地=2018年9月、沖縄県嘉手納町

 大学院は卒業したものの、さてこの先の人生をどうしよう? そのころの大矢は「フリーランスのドキュメンタリストとして生きていけたら」と思っていたと振り返る。「一生、映像を撮り続けていたい。でも同時にひたすら沖縄にいたかった。波照間のおじいやおばあたちと少しでも長く一緒に過ごしたかったんです」。それとともに、「戦争マラリア」を調べる中で現在の沖縄が再軍備化されていくことへの恐怖があったという。

 「歴史を調べれば調べるほど、現在の沖縄と沖縄戦が『一本の線』でつながっていくような危機感を覚えました。それは理由のないばくぜんとした不安などではなく、戦争体験者への取材や沖縄戦の歴史的事実を検証することによって得た具体的な危機感でした。事実を知った者、学んだ者として、それをしっかり社会に伝えなければいけない。そんな責任を感じていましたから、この気持ちを抱えたまま沖縄を離れて別のテーマの取材を始めることはできませんでした」

波照間島から応募した「報道記者募集」

 そんなころ、たまたま琉球朝日放送(QAB)のウェブサイトで「報道記者募集」の案内を見つけ、波照間島から応募書類を送った結果、「契約記者」として合格した。契約記者は3年の期限付きで1年ごとの更新。「当時は報道記者になりたい、テレビ局に就職したいと思っていたわけではありませんでした。雇用期限の3年後にはフリーランスになろう、だからQABに入ったらそこで学べることやできることを精いっぱいやって旅立つんだと思っていました」。その後、大矢の仕事ぶりが評価され、沖縄のマスコミ労組の応援もあって2014年に正社員になった。

 当時のQABの態勢は、記者は大矢を含め7~8人。「アナウンサーもディレクターも(時にはデスクも)現場取材に行く」というスタイルだった。担当などあってなきがごとしで、1年目はフリー、2~3年目は事件事故に司法担当、4年目は県政担当だったが、その間にも米軍基地や教育福祉、行政、経済など様々な取材案件が降ってきて対応、番組ディレクターとしても3本の番組を作るなど多忙な日々を送った。

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筆者

松本一弥

松本一弥(まつもと・かずや) 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長などを経て現職。満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務め、取材班の同僚とともに石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。早稲田大学政治経済学部や慶応大学法学部では非常勤講師などとしてジャーナリズム論や取材学を講義した。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

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