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「メディア不信」を人々の会話に入って突き破れ

NY市立大ジェフ・ジャービスの格闘と社会学者見田宗介の接点とは

松本一弥 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

「9.11が私のジャーナリズム観を変えた」

ニューヨーク市立大学大学院教授のジェフ・ジャービス=ニューヨーク、同大学の研究室ニューヨーク市立大学大学院教授のジェフ・ジャービス=ニューヨーク、同大学の研究室

 メディア不信が世界各国に広がる中、「ジャーナリズムに対する信頼を何とか取り戻そう」と奮闘するジャーナリスト出身の研究者が米国ニューヨークにいる。フェイクニュースがこれほどまでに氾濫する背景の一つには、既存のメディアに対する人々の信頼低下があるのではないか――。そんな批判を真摯に受けとめているからだ。

同時多発テロでがれきになった世界貿易センターとその周辺では、今なお行方不明者の捜索が行われている=2001年9月16日、ニューヨーク 同時多発テロでがれきになった世界貿易センターとその周辺では、今なお行方不明者の捜索が行われている=2001年9月16日、ニューヨーク

 マンハッタンのど真ん中。雑踏の中に建つニューヨーク市立大学大学院ジャーナリズム学科に教授のジェフ・ジャービス(64)を訪ねた。

 ジャービスはあいさつもそこそこに「ジャーナリズムは変わらなければなりません」と力説した。

 「これまではジャーナリズムのあるところに人々がやって来るのが当然だと思っていました。『世の中でいろんなことが起きているけど、そっちは無視していいよ。僕たちの記事を読んでくれればわかるからさ』というのがメディアの態度でした」

 「でもこれからは、人々がネットで会話をしているまっただ中に、SNSで誰でもシェアできる体裁を整えたニュースを発信して飛び込んでいくべきです。メディアが人々の『コミュニティー』の中に入り込んでいくのです」

 ジャービスがそう考えるようになったきっかけは、2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロだ。

 ハイジャックされた飛行機が世界貿易センタービルに激突した時、ジャービスはその方向に向かう電車に乗っていた。

 「衝撃を受けた私は1週間後にブログを始めましたが、それを読んだロサンゼルスの人が感想を書き込み、私もそれに答えるというキャッチボールをしているうちに、ジャーナリズムには読者との『会話』がもっともっと必要なんだと気がつきました。そうか、僕たちは同時刻に別々の場所にいながら、それでも会話をしているんだって。それが僕にとっての一番大きな『気づき』だったのです」

「人々の声に耳を傾けるのは神聖な義務」

 そんなジャービスの考え方を端的に表したエッセーがある。

 「Journalism is the conversation. The conversation is journalism」(ジャーナリズムは会話。会話はジャーナリズム、注1)と題されたもので、その中でジャービスは「ジャーナリストはツイッターを使うべきではない」「投稿は控えめに」などの考えを表明したニューヨーク・タイムズやCNNのジャーナリストらに対し「ほとほとがっかりした」と批判した上で、反論を加えている。少し長くなるが、大事な部分なのでその下りを紹介したい。

 「人々のために働くジャーナリストが人々の声に耳を傾けるのは、神聖な義務だと思います。(中略)ジャーナリズムはその会話です。民主主義とは会話そのものなのです」

 そしてこう続ける。

 「仮にあなたがアフリカ系アメリカ人だとしましょう。あなたが買い物やバーベキュー、昼食、または自宅に入る際に、ある白人があなたを警察に通報したとします。その時、(メディアの)ニュースルームには、あなたと同じ肌の色や経験を持ち、あなたのストーリーを取り上げてくれるようなジャーナリストはいないのです」

閉塞状況に風穴を開けたソーシャルメディア

 だが、ソーシャルメディアの発達がそんな閉塞(へいそく)状況に風穴を開けた。エッセーはこう続く。

 「あなたと外部をつないでくれるのは、ツイッターのハッシュタグです。これまでずっとメディアに見過ごされてきた人々にとって、『#livingwhileblack』が彼らのためのツールとして存在するからこそ、このようなストーリーはやっと今、主要なメディアで日の目を見ることができるようになったのです」

 だからこそ、とジャービスはエッセーで述べる。

 「ジャーナリストがツイッターやフェイスブック、ユーチューブ、インスタグラム、Reddit(注釈:アメリカ最大級のソーシャルニュースサイト)を削除・却下・離脱するということは、やっとジャーナリストのように自ら発信する広報媒体を手に入れた人たちに対して、背を向けることになるのです」

 「(哲学者のユルゲン)ハーバーマスがロンドンやパリの喫茶店、サロンでおおやけの『場』が誕生したと主張して以来ずっと長きにわたり、あまりにも多くの人々がその『場』から排除されてきましたが、今やソーシャルメディアがやっと彼らを取り囲んだのです。あの人たちの話を聞いて下さい」

人々と出会い、話を聞き、学ぶことの大切さを実感しよう

黒板を使って持論を説明するニューヨーク市立大学大学院教授のジェフ・ジャービス=ニューヨーク、同大学の研究室黒板を使って持論を説明するニューヨーク市立大学大学院教授のジェフ・ジャービス=ニューヨーク、同大学の研究室

 そしてジャービスはこのエッセーで力を込めていう。

 「人々のことを『一般大衆』と考えるのをやめて、『個人』や『コミュニティーの一員』として認識し始めると、人々と出会い、話を聞き、学ぶことの大切さを実感し始めます。そしてそうした人々とのつなぎ役をしてくれるのがツイッターやフェイスブック、ユーチューブで、(今後はこれから生まれる)想像もしていないツールもあるでしょう。単にコンテンツを生産するのはもう古い、(それは)廃れゆくマスメディアの価値なのです」

 ここまで「ジャーナリズムは会話。会話はジャーナリズム」というエッセーを読んできて、ジャービスが「アフリカ系アメリカ人」の話題をやや唐突な形で出してきたかのような印象をあるいは持たれたかもしれない。だが実際にジャービスに会って尋ねてみると、「肌の色だけで警察に通報されるという事態にジャーナリストが関心を払ってこなかった」という点は彼が以前から極めて「深刻な問題」だと受けとめていたことが素直に伝わってくるのだ。

 ジャービスは語る。

 「長い間、黒人の人たちは『白人たちは自分たちを目にしただけですぐに警察を呼ぶ』と思ってきました。つまり黒人の人たちの側には、白人たちによって『自分たちは何か悪いことをしているに違いない』と常に思われてきたという認識があったのです。ところがニュースをつくっている側は圧倒的に白人が多いので、そういう事態に気づくことができず、また知ろうともしなかった。これに対し、黒人の人々がソーシャルメディアを使い、映像つきでどんどん訴え始めたというわけです」

 だからこそ、ジャービスはジャーナリズムを勉強している学生に対しこう指導する。

 「問われているのは(ジャーナリズムの)コンテンツというよりもむしろコミュニティーだ。ジャーナリズムを根本から組み立て直す作業をするためにも、自分が対象にしているコミュニティーをもっとよく知り、研究しよう。そのコミュニティーに暮らす人々が何を欲しているかをまず知り、その上でジャーナリズムを行おう」

 そしてジャービスは熱っぽくこう語る。

 「ニュースルームとふつうの人々との関係を変えていこう、そうすることで、人々がメディアに寄せる信頼というものをもっと確固たるものにしたい。それが僕たちの取り組みです」

「ミーム」ー新たな「会話」の形として

 では、そうした理想を実現していくためには具体的にはどうすればいいのだろうか?

 「ソーシャルメディアやインターネットの世界の中で、僕たちはディスプレイの仕方を含めてきちんとした報道の出し方をしなければいけません」。そう前置きしてから、ジャービスは「ミーム」について語り始めた。

 「ミーム」という言葉は、もともと生物学者や動物行動学者のリチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」という本の中で唱えた概念だ。

 ドーキンスは同書の中でこう説明している(注2)。

 「模倣に相当するギリシャ語の語根を取ればmimemeだが、私がほしいのは、gene(遺伝子)と発音の似ている単音節の語だ。そこで、このギリシャ語の語根をmeme(ミーム)と縮(ちぢ)めることとする。(中略)旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺(つぼ)の作りかた、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である」

 「遺伝子が遺伝子プール内で繁殖するに際して、精子や卵子を担体(ヴィークル)として体から体へと飛びまわるのと同様に、ミームがミーム・プール内で繁殖する際には、広い意味で模倣と呼べる過程を媒介として、脳から脳へと渡り歩く。科学者が良い考えを聞いたり読んだりすると、彼は同僚や学生にそれを伝えるだろうし、論文や講演でもそれに言及するだろう。その考えが評価を得れば、脳から脳へと広がって自己複製すると言える」

 その「ミーム」をいかにジャーナリズムの中に取り入れていくか。

 ジャービスは「ニューヨーク・タイムズが、ニコラス・クリストフのコラムから得たアイデアをグラフィックな素材に変え、読者がツイッターやフェイスブックでシェアできるようにした例」だとして、以下のURlを示してくれた。

https://twitter.com/nytopinion/status/1102255903246614528

 

「ニューヨーク・タイムズが、ニコラス・クリストフのコラムから得たアイデアをグラフィックな素材に変え、読者がツイッターやフェイスブックでシェアできるようにした例」だとジャービスが解説した例「ニューヨーク・タイムズが、ニコラス・クリストフのコラムから得たアイデアをグラフィックな素材に変え、読者がツイッターやフェイスブックでシェアできるようにした例」だとジャービスが解説した例

 ジャービスはこう解説する。

 「ニコラス・クリストフがこういう形の『ミーム』をぽんと出してくれたので、僕はそれをシェアすることができるのです」

トランプ氏の演説映像の横に反論の動画を置く

 「ミーム」についてはこんな例もあるという。

 トランプ米大統領が2月11日、メキシコ国境の町テキサス州エルパソで2018年の中間選挙後初となる政治集会での演説を行い、公約の国境の壁建設を強く訴えた時のことだ。

 朝日新聞の報道によると、中間選挙で旋風を起こした野党・民主党の「新星」ベト・オルーク前下院議員も近くで壁に反対する演説をし、次回の大統領選に向けた前哨戦のような格好となったという。(注3)

 報道によると、オルーク氏は同日、トランプ氏の演説会場の隣で演説し、「メキシコからの移民を強姦(ごうかん)犯や犯罪者扱いする大統領がいる。彼に今こそ言おうじゃないか。移民の犯罪率は米国民よりも低いことを。エルパソが全米で最も安全なのは、『移民の町だから』なんだということを」と訴えた。

「壁を作ろう」と訴えるトランプ米大統領「壁を作ろう」と訴えるトランプ米大統領
「壁を作る」と訴えるトランプ米大統領に対し、前下院議員ベト・オルークが反論する映像(Beto O'Rourke Refutes Trump's Claim That Walls Save Lives、Watch Beto O'Rourke set the record straight on what really makes America safe.)「壁を作る」と訴えるトランプ米大統領に対し、前下院議員ベト・オルークが反論する映像(Beto O'Rourke Refutes Trump's Claim That Walls Save Lives、Watch Beto O'Rourke set the record straight on what really makes America safe.)

 そこでトランプ氏の演説の横に、オルーク氏のこの反論の動画を並べて「ミーム」をつくり、論点を明確化するとともに、画面の右下にあるComments欄を通して様々な「会話の世界」につながっているというわけだ。(注4)

https://www.facebook.com/NowThisPolitics/videos/722729974794375/

 ジャービスはいう。

 「『壁を作る』というトランプ大統領に対し、『何でそんなことをやっているんだ』と反論した人のスピーチをその要点だけ抜け出して配置すれば、いちいちメディアのニュースサイトにいかなくとも、SNSでシェアしやすい形で載せることができる。これは『会話の一つの形』という意味で、これも『ミーム』なのです。こうした『ミーム』は興味とテクノロジーをわかっている人であれば個人でつくって自分で発信することもできる。僕らジャーナリストがこういった『ミーム』をジャーナリズムの中で作り、人々の会話の中に入っていこうということです」

 そしてジャーナリストたちに向かって訴える。

 「今は単にフェイクニュースだけでなく、そこには感情の問題も絡んできます。すなわち、不確実な未来を恐怖する心や、『危険だ』と信じるよう誘導される、見知らぬ人々に対する嫌悪感がフェイクニュースに絡んでいる。だからこそ私たちジャーナリストは、ニュースのコンテンツを改善して人々の判断力が向上するよう促すだけでなく、お互いがよりよく理解できるようになるため、コミュニティー同士に橋をつなぐ必要もあるのです」

 そしてこう呼びかける。

 「私たちは人々を信じるところから始めるべきではないでしょうか?」

 ジャービスの唱える「ミーム」的なジャーナリズムを、日本の既存のメディアがそのまま採り入れることができるかは未知数だが、ソーシャルメディアの世界に果敢に切り込むジャービスのチャレンジングな姿勢とその危機意識はぜひとも共有したいと私は考える。

ジャービスの「ミーム」と社会学者・見田宗介との接点

ジャーナリズム論について語る社会学者の見田宗介=2013年、吉永考宏撮影ジャーナリズム論について語る社会学者の見田宗介=2013年、吉永考宏撮影

 ジャービスの説明する「ミーム」的なジャーナリズムのあり方を聞いていて、ふと思い出したことがある。日本を代表する社会学者として領域横断的な仕事を展開してきた見田宗介・東京大学名誉教授に2013年にインタビューした際、うかがった内容だ(注5)。

 この時、見田は「ジャーナリズムへの希望みたいなこと」として「歴史との絶えざる対話」「未来との対話」に続き三つ目に「現代との対話」について語った。ジャーナリズムについて見田がまとまった考えを述べるのは極めて珍しいため、ここで少し詳しく紹介しておこう。

 この中で見田は、インターネットやツイッターなどのソーシャルメディアは「基本的に非常に優れた面」があると指摘した上で、「これまでほとんど社会の表面には出てこなかった、まさに『つぶやき』」には「『内側から現在を変えていく力』みたいなものの芽が必ずある」と語った。

 「無数のつぶやきや断片的な事実の中から何かを素早くすくい取って、そのつぶやきが内側に秘めている可能性を取材で展開し、ほかのつぶやきなどとも連合しながら社会に定着させるのが優れたジャーナリストではないか。そういうことをやっていかないと、頭ごなしに未来を語っても仕方がないわけです」

 多くの人が発信するつぶやきの中に「内側から現在を変えていく力」としての潜在的な可能性を見て、それらを遅滞なくすくい取るという構図だ。無数の「会話」が錯綜する混沌(こんとん)とした流れのまっただ中に、その会話に参加するため、「会話の一部」となることを狙ってジャーナリズムのほうから飛び込んでいくというジャービスの試みは、見田の問題意識をそこに重ね合わせてみた時、たしかに新たな意味を持ってくると私には感じられるのだ。

「荒野に叫ぶ予言者」と「相手の内側から入っていく」

 インタビューの中で「少数派の良心的なジャーナリズムが陥りがちな罠(わな)がある」と語った見田はこう続ける。

ジャーナリズム論について語る社会学者の見田宗介=2013年、吉永考宏撮影ジャーナリズム論について語る社会学者の見田宗介=2013年、吉永考宏撮影

 「聖書には『荒野に叫ぶ予言者』ということばがあります。時代に逆らって正しいことをいう人のことですね。もちろんその人のいっていることは正しいのですが、ただ正しいことをいうだけでは社会からは受け入れられない。そんな荒野に叫ぶ予言者のようなタイプになることが、少数派の良心的なジャーナリズムが陥りがちな罠ではないか」

 そして時代を変える力が今なければジャーナリズムは意味がないのだと力説する。

 「例えばこの前の戦争もそうでしたが、『あの時、俺がただ一人いっていたことはやっぱり正しかった』といってもそれは自己満足にすぎない。実際に今、時代を変える力がなければ、何十年後かに『あの新聞社だけは間違わなかった』といわれても仕方がない。やっぱり時代を変える力を持たないとほんとうは意味がない」

 そう述べた後、唐突な感じで見田は語る。

 「『最も優れたリーダーは、フォロワーである』ということ。フォロワー、つまり従う人ですね」「『リードのコツは、フォローである』ということが大事なんです」。一見するとわかりにくい言葉だが、見田の説明はこうだ。

 「例えば

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