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「メディアは中立」の常識に挑むコレスポンデント

「T」マークの「信頼」構築プロジェクトに取り組む人々も

松本一弥 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

「途中で自分の考えが変わったら、それも書いていく」

 ベストの説明は続く。

 「ある特定のテーマをずっと追いかけている記者がいるとして、そのテーマに対する自分の考えが取材する過程でどんどん変わっていくというケースもありえますよね。その場合、そういうことも包み隠さずに書いていくということです」

 一般的に、ジャーナリストがあるテーマに基づいて取材をする場合、事前準備の段階で取材対象の様々な情報を集める。例えば相手の個人的なデータや、これから訪れる組織や場所をめぐる過去の報道など、可能な限りの情報を収集しつつ「この問題はおおよそこういうことではないか」と自分の中で一定の「見立て」を持つのはごくふつうのことだ。

 それを持ちながら現場に行った際、当初の予見が目の前の現実によって覆されたり、事前の知識がまったく役に立たなくなったりする中で「新たな発見」や「それまで気がつかなかった見方」が新鮮に立ち上がってくることも多い。またそれこそが「取材の醍醐味」でもある。

元共同通信編集委員の斉藤茂男が述べたこと

ルポルタージュ「父よ母よ!」を語る斎藤茂男=1990年拡大ルポルタージュ「父よ母よ!」を語る斎藤茂男=1990年

 この点について、元共同通信編集委員の斎藤茂男はかつてこう述べた(注1)。ジャーナリズムの核心を突いた重要な指摘だが、メディアを目指す学生や若い記者、研究者の中には今や知らない者も少なくないというのが実態のようなので、少し長くなるがここで紹介しておきたい。

 「私にとって、現場を歩き、直接、人びとに接する作業のなかには、明らかにそれら活字やヒアリングを超えるべつの因子が潜んでいるように思う」

 「つまり、私は現場を歩くたびに、その取材対象についての私の予見がかならずひっくり返り、改めて現実というもののみずみずしく動いているさまや、複雑さに驚かされてしまう。すると昨日までの私の現実を見る視点、世界観がチンプに見えるようになり、昨日よりいささかは高い視点を獲得することができるように思われる。取材とはつまり、事実を発見することによって一種の自己変革を起こさせる性質のものだ、と私は思うのだ」

 「このような自己変革は、一つには視点をたえず更新することによって、より深く『本質』に接近することを保障するはずであり、もう一つの面でいえば、記者自身に本来の意味でのこの仕事の『面白さ』を、確かな手ごたえをそえて保障してくれるはずである。昨日よりは今日、今日よりは明日と、より深く状況が見えてくる、新しい事実を発見する。その見えてきたもの、発見したものを書く。そのような作業があってこそ、記者の労働は本来の労働としての尊厳をとり戻すことができるのではないだろうか。いってみれば、取材は記者にとって『自己再生装置』でもあるはずなのだ」

 そして斎藤はここからさらに一歩踏み込む。

 「もう一つ、私の体験的な素朴な実感で言うならば、現場を歩き、自分の予見がひっくり返されるような取材、つまりより深く本質に迫るような取材をするということは、当然のことながら取材課題と深くかかわることなしにはあり得ないだろう」

 「そうなると、そこに生きるナマ身の人間と、その人間のかかえている問題に対して、記者自身が『他人ごと』ですまされなくなるような切実感を呼び醒まされるに違いない。記者自身が職業としての『記者』である以前に、まず、『人間』として対応せざるをえない羽目に私たちを追いこんでいくだろう」

 「このようなかかわりのなかで取材が進行するということは、取材課題を人間である自分の問題として見ることになり、自分の問題であるだけに『より深く考える』という過程へ進むはずだ。『取材』とは新聞記者にとってこのようなものでありたいというのが、私の自分に課す課題なのである」

 逆にいえば、斎藤が目指したものとは逆に、それまでの「現実を見る視点」がひっくり返される驚きもなく、当初の「予見」をただ単になぞるだけで終わったような取材は「ほんとうの取材」に到達していないといえるかもしれない。

 話を「コレスポンデント」に戻せば、こういえるだろう。

 これまでのジャーナリズムでは、斎藤が書いたような長行のルポなどのケースを除き、そうした「自己変革」の過程そのものを書くというよりはむしろ、「自分が変わった」という実感や経験は明示化せずに原稿を書いたりリポートをしたりするスタイルが多かったといえるだろう。その意味でも、「自己変革」の過程を包み隠さずオープンにするという「コレスポンデント」の姿勢は、以前から一部で取り組まれてきたこととはいえ「画期的」と評することもできるのではないだろうか。

英語版のビジネスモデルも斬新

「コレスポンデント」のフェイスブックの画面拡大「コレスポンデント」のフェイスブックの画面

 「コレスポンデント」はビジネスモデルもまた斬新だ。

 5年ほど先行してスタートしているオランダでの場合、ベストの説明によると、「コレスポンデント」の収入の7割以上は購読者からの購読収入でまかなっていて、それ以外の収入としては、所属する記者が書いた本の出版に伴う収益などが同社の経営を支えているのだという。

 では、ニューヨークを拠点に始める米国でのビジネスはどうなるのか。

 まず、昨年11月から12月にかけての約1カ月間余で、クラウドファンディングの手法でお金を集めたところ260万ドルの資金が集まったことは先に述べた。ベストはこう話す。

 「今回集まったお金は、この英語版のウェブサイトを1年間運営するための資金として使われます。それ以降のものは、メンバーシップとして集められてくるお金でつないでいこうと考えています」

 ただ、米国の英語版では「オランダとは少し違ったお金の集め方のモデル」を採用するという。

 「オランダでは年間70ユーロと金額を固定しているのですが、米国でローンチする英語版では、参加してくれる読者の意思に応じて、つまり一人ひとりの『おさいふ』に合わせていくつか金額のカテゴリーを設定します。ですから『年間1ドルしか払いません』という人は購読料が1ドルでもいいし、『いや、もっと払いますよ』という人はもういくらでも払ってくださって一向にかまいません(笑い)」

「読み手のアクセスが非常に自由」な状態を目指す

 何ともユニークな「ビジネスモデル」だが、なぜ英語版ではそうするのだろうか。

 ベストの答えはこうだ。

 「英語版の場合、読者の住んでいる地域によって経済状況が違いますよね。例えばニューヨークに住む人にとっての25ドルが、南アフリカのヨハネスブルグの住人にしたらどれだけ高額かということもあるわけでしょう。いずれにしても、『コレスポンデント』にとっては『読み手のアクセスが非常に自由』な状態を目指してこの『誰でも好きな金額で読める』という設定を考えました」

 「オランダ版の場合、年間70ユーロと決めた時点でその金額を払えない人が出てくるわけで、その人たちはいくら『コレスポンデント』を読みたくても読めません。そういう『障害』をこの英語版ではなるべく取り払いたい。そんな思いからこの『払いたい人が払える金額を払う』という設定にしたわけです」

 米国ではトランプ大統領の登場以来、メディアと大統領の確執が続いてる。「だが」とベストはいう。

 「この間、ニューヨーク・タイムズにしてもワシントン・ポストにしてもネットなどで購読者数を増やしていて、購読者との関係をそれ以前より深めているという現実もあると思います。私たちも読者の参加を通して読者が望んでいるものを提供したい。読者の参加によってさらにジャーナリズムの質を高めていこうと思っています」

 最後に、自身はなぜジャーナリズムを目指したのか、そして今なぜ「コレスポンデント」で働くのかをベストに聞いてみた。

 「子どもの時から私は本当にジャーナリストだったと思いますよ。なにしろ家族の中で新聞を作って書いていたのですから」。そういってベストは朗らかに笑った。「『エンゲージメント・エディター』という肩書は、要するに『何でも屋』ということです。オランダで成功したこの事業を、どのようにしたらうまく英語版に持ってこられるか。また英語版を読んで下さる読者の人たちに対し、どうしたらオランダでやっているようなやり方と同じメッセージをうまく伝えることができるか。日々試行錯誤しているというのが今の私の仕事です」

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筆者

松本一弥

松本一弥(まつもと・かずや) 朝日新聞夕刊企画編集長、Journalist

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長などを経て現職。満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務め、取材班の同僚とともに石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。早稲田大学政治経済学部や慶応大学法学部では非常勤講師などとしてジャーナリズム論や取材学を講義した。著書に『55人が語るイラク戦争ー9.11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)。

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