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分断と閉塞の空気~平成経済の現場と実相(後編)

国内投資が減少、景気後退と物価上昇が同時進行、1千兆円超の借金、令和の経済は……

田崎基 神奈川新聞経済部記者

神奈川県内の自動車部品工場で働く人たち

「この国で食えなくなった」

 「言ってしまえば『この国で食えなくなった』ということ」

 神奈川県内に本社を置く自動車部品メーカー。60代に差し掛かったばかりの経営幹部は、日本国内のものづくりの現場が空洞化していった平成期の30年をそう振り返った。

 いまや売上高のおよそ7割を海外で稼ぐ。世界規模の生産体制へと企業体質を変容させてきた。

 入社したのは1980年代初頭。バブル経済が絶頂へ向かう「日本が一番いいとき」の最後を経験した。時を置かずに景気は頭を打ち、やがて不良債権問題が表面化し、国内の消費は長期の低迷期に入る。

 幹部は自身の企業人生を振り返るかのように、自社の沿革をまとめた冊子をめくる。90年代後半に入り、設備投資が一気に北米へと向かうさまが克明に記されていた。

 「間髪おかずにどんどん出て行った。主要取引先の完成車メーカーの海外進出を追いかけるようにして、大規模工場を建設していったのです」

 生産拠点を消費地に設けることで流通コストを削減できることに加え、低賃金で工場を稼働させられる。さらに海外移転には、為替変動の影響を受けにくくする狙いもあった。
北米の次は中国、東南アジア、欧州、インド……。一方で、国内の生産工場の新設は統廃合に限られていった。

「物が売れない時代」の到来

 政府は法人税減税などの税制優遇によって、国内投資の減少を食い止めようとしているが、空洞化に歯止めは掛かっていない。

 国内消費は冷え込み、生産年齢人口は減少し続け、非正規雇用者比率が高まり、実質賃金が上がらない。

Prospr Digital/shutterstock.comProspr Digital/shutterstock.com
 家計の貯蓄率(内閣府国民経済計算)は1997年から崖を転がり落ちるように急減し、2013年にはついにマイナスに突入した。その後、回復したものの、それでも2%前後で推移している。

 「物が売れない時代」の到来である。それは自動車の国内販売を直撃していた。

 1990年に年間597万台を記録して以降、国内の新車登録(販売)台数は減少に転じた。特に97年に消費増を3%から5%に上げた後の反動減は激しく、99年には400万台水準まで落ち込んだ。その後、戻るどころかじわりと減り続け、いまやピークのほぼ半減にまで落ち込もうとしている。

フェアレディZを生んだ工場はいま

 世界的に爆発的人気を博した「日産フェアレディZ」。1969年にこの名車を誕生させた工場はいま、休日ともなれば家族連れの買い物客でにぎわうショッピングモールに一変していた。

「ららぽーと湘南平塚」=平塚市天沼
 JR東海道線平塚駅からほど近い大型商業施設「ららぽーと湘南平塚」が開業したのは2016年10月。かつて、この土地には日産自動車の一大生産工場「日産車体湘南工場第1地区」(約18.2ヘクタール)があった。

 当時を知る男性はこの夏、古希を迎える。

 「増産に次ぐ大増産。昼夜稼働し、さらに残業。みんな働いた。残業代もすごくて『カネはいいから休みくれ』って笑い合っていた。本当に忙しくて、それでいて現場に活気があったんだ」。フェアレディZが生産されたラインは通称「Zライン」と呼ばれ、社員に愛された。

 Zが登場したこの年、東名高速道路が全線開通し、日本の国内総生産(GDP)は世界第2位になり、人類はアポロ11号で初めて月に降り立った。

 日本が世界のトップランナーとして走った高度経済成長。その結果としてのバブル経済絶頂期には、高級グレードの「日産シーマ」が発売され、「シーマ現象」という言葉が生まれるほど、一世を風靡した。ライバル社のトヨタが高級車「セルシオ」を売り出したのは、翌年の1989(平成元)年のことだった。

 栄光の歴史はしかし、バブル崩壊とともに暗転する。

 繁栄の一時代を象徴するZラインが閉鎖されたのは2010年の暮れのこと。老朽化が進み、維持・更新のコストがかさんでいた。

 40年の歴史に幕を閉じ、工場跡地は大手不動産開発会社に売却され、街の様相もすっかり変わった。

平成を締めくくる「アベノミクス」の実相

経済学者の服部茂幸・同志社大教授
 働く人の多くが将来に不安を抱え、貯蓄もできず、生活は厳しくなり、だから消費が伸びない。この平成期の超長期景気低迷から脱しようと2013年から本格始動したのが、平成を締めくくる経済政策「アベノミクス」であった。

 「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「三本の矢」だが、開始から丸6年を経てもなお、当初の目標「物価上昇年率2%」は達成できていない。6度も先送りを繰り返し、もはや「いつまでに」と明言することさえやめ、7年目に突入した。

 とすれば、アベノミクスの果実は一体、どこにあるのか。

 『偽り経済政策-格差と停滞のアベノミクス』(岩波新書)の著者で理論経済学者の服部茂幸・同志社大教授は次のように指摘する。

 「日銀による異次元金融緩和は急速な円安を生み、しかし意図した輸出拡大はなく、逆に円安にもかかわらず輸入が増大した。その結果、円安インフレとなり、実質賃金と家計の実質所得を削り取った」。それゆえ消費は停滞。アベノミクスによる「円安による景気回復のルート」は途絶えた、と分析する。

 円安は確かに輸出系企業に大きな利益をもたらした。この為替差益に加え、2015~16年は世界景気が好調だったことも追い風に、大企業の業績は軒並み過去最高益を更新した。だが、景気回復の循環という見込みはあっけなく裏切られる。大企業の多くはアベノミクスで得た利益を、賃上げや設備投資には回さず、内部留保として蓄えたのだ。

 結局、アベノミクスが引き起こしたのは、景気後退と物価上昇が同時に進行し、人々の生活が苦しくなる「スタグフレーション」という経済現象であったことが、鮮明に浮かび上がる。

異次元の金融緩和の先にあるもの

 では、アベノミクスの核心である「異次元の金融緩和」で日銀はこの間、何をしてきたのか。

日本銀行本店=東京都中央区日本橋本石町
 日銀は、
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