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地域ビジネスプロデューサーが見た勝負の分かれ道

星野リゾートでビジネスを学び、有田焼窯元の再建に携わったプロデューサーのメソッド

南雲朋美 地域ビジネスプロデューサー 慶應義塾大学・首都大学東京非常勤講師

「地域活性化」や「地方創生」という言葉が、旗印として政府や地方自治体の政策に掲げられてから、何年が経つのでしょうか。

 今、その二つのキーワードに「インバウンド」が加わり、全国各地で多くのお金が費やされています。高齢社会、人口減少社会における日本の成長の牽引車となっている東京や大阪といった大都市とは違う、それぞれの地域がそれぞれ生き残るための勝負の分かれ目は何なのでしょうか。

 星野リゾートでビジネスを学び、有田焼の窯元の経営再建などに携わってきた地域ビジネスプロデューサーの南雲朋美さん(50)に、私たちが陥りがちな「合成の誤謬」を指摘してもらいつつ、地域浮沈の勝負の分かれ目を見極めるメソッドについて、随時紹介してもらいます。(論座編集部)

地域ビジネス1滋賀県の土。信楽焼に使われる地層があるため、土は粘土質で茶色を帯びている=南雲朋美さん提供

 南雲朋美(なぐも・ともみ) 1969年、広島県生まれ。高校卒業後、米国系企業「ヒューレット・パッカード」の日本法人に勤務。業務企画(プロセス・アナリスト)とマーケティングに携わる。34歳で退社後、慶応大学総合政策学部に入学し、在学中に書いた論文「10年後の日本の広告を考える」で電通広告論文賞を受賞した。卒業後は星野リゾートに入社し、広報とブランディングを約8年間担う。2014年に退職した直後、スペイン北部の世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」約700kmを40日かけて歩く。帰国後、地域ビジネスのプロデューサーとして、有田焼400周年事業で窯元の経営再生やブランディング、嬉野市の肥前吉田焼の産地活性化に携わった。
 現在は滋賀県甲賀市の特区プロジェクト委員、星野リゾートの宿泊施設のプロデュース(外部委託)のほか、慶応大学では「パブリック・リレーションズ戦略」と首都大学東京の非常勤講師として「コンセプト・メイキング」を教える。

地域経済を支える「何か」が出発点

 どんな地域でも、そこに人々が暮らしているのであれば、その人々の経済を支える「何か」があります。

 日本全体で大きく見れば、例えば、愛知県の自動車産業であったり、新潟県の稲作を中心とした農業であったりします。最近は、そこにインバウンドを狙った観光関連のサービス業も注目されています。

 20年近く、海外や日本各地を歩き回るようになって、地域経済を生み出す原石は「土」にあると気がつきました。そのきっかけは、スペインの砂漠地帯から海までの700キロを歩いたことです。自分が今飲んでいるワインの味は、足元にある「土」と密接な関係があること、さきほど見かけた川や歩いた道は物流を大きく左右すること、一方で、時として、人の知恵はそういった自然環境をりょうがするモノやコトを作ることもわかりました。地域経済を探る最初の手がかりは「土」にある、というのが私の持論です。

地域のリサーチは「土」と「地形」と「歴史」から

 私は、地域で事業提案や政策提言を行うとき、まずは「土」、次に「地形」と「歴史」を見ることにしています。

 分かりやすくするために専門的なことを省略した「極論」で、考え方を説明してみます。

 まず「土」です。足元にある土を一つかみ、手でギュッと握り締めて固まるようであれば、そこの地域のお米は大体おいしいはずです。適度な粘土質の土は稲作に向いています。したがって、粘土質の土がある地域=米どころ、という仮説を立てることができます。

 次に「地形」を考えてみましょう。地図をみて、その地域が海に近ければ、「漁業」か「貿易」のどちらか、もしくは両方によって地域経済が成り立っていたと考えられます。交渉力に長けた政治家や事業家がいれば、「貿易」を興していたと思いますし、そうでなければ漁業で生計を立てていたのでしょう。

 三つ目の「歴史」。ここで言いたいのは、「土」や「地形」といった自然条件のほかに、人間の英知も見逃すことができないということです。良い土ではなく、立地が悪い地域でも、そこに人々が暮らしているのなら、過去に灌漑や肥料、土壌改良などの工夫をして、農作物の収穫高をあげる技術革新や政策、事業をリードしてきた人物による歴史がある可能性が高いということです。その土地の歴史的な話は、地域に残る文献を調べたり、地域を長きに見守ってきたような長老に聞いたりすると、インターネットの検索ではお目にかかれないような話に遭遇します。

 つまり、みなさんが取り組んでいる地域活性化や地方創生の一歩目は、なにはともあれ現地にいって、地域の名所を歩きまわり、自分の目で地域の特性を見極め、それにまつわるストーリーを編集から始めることだと思います。これが幹になり、枝を作り、葉を茂らせるものになります。

地域ビジネス1Eivaisla/shutterstock.com

「地の利」をうまく使った薩摩藩

 もうすこし具体的に説明しましょう。

 江戸時代末期、幕府にとって薩摩藩(鹿児島県)の存在は脅威でした。幕府がある江戸から遠く離れたところにあるにもかかわらずに、です。薩摩が強い藩になったのは、そこに住む人々が他の地域の人々より優れていたからではなく、「地の利」があったからだと私は考えます。

 もちろん薩摩には島津斉彬や西郷隆盛のような優秀な人材がいたのは確かです。しかし、反論を恐れず言うなら「地の利」の良さが前提にあり、それをうまく使える優秀な人がいたという順序のほうが妥当だと感じるのです。

地域のリサーチは「土」と「地形」と「歴史」から

 鹿児島県を「土」「地形」「歴史」という切り口で分析してみます。

 鹿児島空港を上空から見下ろすと、平野部からそそり立つ台地を見ることができます。「シラス台地」と呼ばれています。この土地を歩く機会があったら、土をみてください。そして、ぜひ、その違和感に気がついていただきたいのです。

 シラス台地は約3万年前に鹿児島県北部でおきた大噴火で降り注いだ火砕流や火山灰が堆積してできた台地です。養分をほとんど含まず、水はけも良すぎるため、稲作には不向きです。また、鹿児島県は台風が多い県です。台風がくれば、背の高い作物は倒れてしまいます。そこで登場するのがサツマイモです。水はけのよい土質を好む作物で、風の影響を受けにくい土の中で育ちます。ゆえに鹿児島県のサツマイモはとても上質な逸品なのです。

 このサツマイモが芋焼酎になります。鹿児島県の地酒といったら芋焼酎、というのはシラス台地あってのたまもの、という必然があるのです。

「やせた土地」は「宝の土」だった

 私たちは、農業に適さないというと「やせた土地」とイメージしがちですが、それは早計です。なぜなら鹿児島県の土は、鉄や錫(すず)、ガラスの原料といった鉱物にも恵まれた「宝の土」だからです。

 そんな「土」を活用したのが薩摩藩の島津斉彬です。鉱物資源をたくみに活用しました。反射炉をつくって造船や冶金を行ったほか、ガラスで薩摩切子のような工芸品をつくり、独自の外交政策に利用していました。

 鹿児島県は三方を海に囲まれ、近くに黒潮の潮流があります。当時の船旅は船を潮流に乗せるように海路をとります。鹿児島県は黒潮の通り道にあるのです。

 島津斉彬が素晴らしい君主であるのはその通りです。しかし、彼の政策を可能にしたのは、外国人が喜ぶ産物を作れる原料に恵まれ、黒潮が近くて貿易しやすい環境に薩摩藩があったからでしょう。こうした「地の利」を使って、どんどん薩摩は力をつけていくことができたのだと思います。

地域ビジネス1旧鹿児島紡績所技師館=写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

能力の違いでなく、地理的な差に過ぎない

 地理的条件について、生理学や地理学、人類学に精通しているカリフォルニア大学ロサンゼルス校のジャレド・ダイアモンド教授がその著書『銃・病原菌・鉄』の中で、西欧の覇権は、民族の能力の違いによるものではなく、単なる地理的な有利性の結果に過ぎないことを指摘しています。

 薩摩も同様だと考えられます。

 シラス台地そのものが、経済を成立させているわけではありません。しかし、鹿児島県の名産を思い浮かべ、そこから土に至るまでをたどっていくと、芋焼酎のようなストーリーが鮮やかに浮かび上がってくるものがあります。それこそが本質的な地域の魅力なのだと思います。

 みなさんの地域や取り組んでいる事業を振り返ったとき、どうでしょうか。

700キロ歩いて感じた地域の魅力の差別化

 私は、2016年にスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」を1人で歩きました。スペイン好きが高じて、すでに4回訪れていますが、その時は会社を辞めたばかりでやることもなかったので、ゆっくりと時間をかけて、日本人が知らない地方のバルを巡るのが目的でした。スペイン産のワインがなによりの好物だったからです。

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