日本マクドナルド創業者・藤田田氏のベンチャー魂
日本人に起業精神が求められる時代に期待される再検証
中村芳平 外食ジャーナリスト
公務員の5倍の給与でGHQの通訳に
藤田は1926(大正15)年、大阪府生まれ。旧制北野中学校、旧制松江高校を経て1948(昭和23)年に東京大学法学部へ入学。すでに父を亡くしていたので、生活費や授業料を自分の才覚で稼ぐために、GHQ、つまり進駐軍の通訳に応募し合格。夜間は通訳として働いた。給料は1万1800円。公務員の初任給が2300円の時代、その「5倍」以上稼ぎ、毎晩飲み歩いていたという。

東大生でGHQの通訳を務めていた頃の藤田田
藤田は、そこで下士官以下の一兵卒クラスで、「Jew(ジュウ)」と蔑むように呼ばれているのに、将校以上に贅沢な生活をしているユダヤ人のウイルキンソン軍曹と親しくなった。彼は、軍から支給される給料のほかに、サイドビジネスで金貸しをやり、大儲けしていた。
ユダヤ人は敗戦による価値観の崩壊などとはまったく無関係で、藤田がよく言う「金がなかったら何もできゃしないよ!」を実践、実にたくましかった。ユダヤ人の武器は語学。英語のほかに、ドイツ語やフランス語、スペイン語をあやつり、世界にネットワークをはってビジネスをしていた。藤田はユダヤ人の生き方の中に商人の理想像を見いだし、ユダヤ商法を学ぶため、ウイルキンソン軍曹に「弟子入り」する。
中国人名の「ミスター珍」と名乗った藤田は、この時期、多くのユダヤ人と仲良くなり実地教育を受けたという。後に藤田が「国籍不明の顔」と揶揄(やゆ)された所以である。
「オマエのエリート根性には一銭の値打ちもない」
筆者は1991(平成3)年夏、日本マクドナルド広報部から頼まれ、社史『優勝劣敗——日本マクドナルドの20年あゆみ』を執筆するため、藤田に2時間近くインタビューし、「凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり。 藤田田物語」を400字原稿用紙で40枚程度書いたことがある。
その際、藤田は東大法学部卒の弱点は、「『人生はカネやでーッ!』と言いながら東大法学部卒の肩書きでエリートコースを歩いていきたいという欲望を捨てられないことだ。そうなると今の自分の姿を“仮の姿”とみなしてしまい、金儲けに情熱を傾けられなくなる」というのだ。そんな中途半端な藤田を見て仲間のユダヤ人たちは「オマエのエリート根性には一銭の値打ちもない」と切り捨てた。
その時藤田は、東大卒の「仮の姿」ではなく、「本物」藤田田として生きる覚悟をしたのだ。
藤田は東大卒についてこう喝破した。
――国家公務員という名のお役人の幹部の大半は、東大卒である。国民の税金で勉強させてもらった東大生は、卒業するとお役人になり、一生、税金を食って過ごすのである。資本主義の世界において、こんなバカな話はない。(新装版『ユダヤの商法』180頁)〉

東大からお役人というエリートコースは「一生、税金を食って過ごす」ことなのだ(イラスト:渡邉孝行)