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日本マクドナルド創業者・藤田田氏のベンチャー魂

日本人に起業精神が求められる時代に期待される再検証

中村芳平 外食ジャーナリスト

「銀座のユダヤ人」の登場

 ユダヤ人は、藤田に金儲けのコツを教えた。しかし、ユダヤ人から見た藤田には、まだ大きな欠点があった。それは、藤田の「懐疑主義」である。ユダヤ人は「他人を信じずに、自分ひとりを信じようとする態度は悪くはないが、それが昂(こう)じて他人の言うことをすべて疑ってかかることは、行動のエネルギーをそぎ、最後は無気力に陥ってしまうだけだ。それでは金儲けなど100年経ってもできない」と、藤田をこき下ろした。

 そうした“教えを“消化”した藤田は、GHQのユダヤ人たちを「仲間」と信じ、通訳のほかにサイドビジネスを始めた。英語にくわえ、ドイツ語もあやつれたのが武器だった。

 こうして後年、「銀座のユダヤ人」との異名を轟(とどろ)かす藤田田が誕生した。

「仕事×時間=巨大な力」を確信した100万円貯金

 藤田は大学2年になる頃、過分な「外貨割り当て」を受けてユダヤ人ルートで欧州に出張。ハンドバッグやアクセサリーなどを輸入し、百貨店などに卸すビジネスを始めた。これが1950(昭和25)年4月、輸入商社「藤田商店」の設立につながる。

 この頃の藤田は、「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟で住友銀行(現・三井住友銀行)新橋支店に、月々5万円の定期預金を始めた。目標は100万円。100万円を貯めるためには1年8カ月(20ヵ月)かかった。藤田は、人生は「仕事×時間=巨大な力」と確信し、定期預金という形でそれを実証した。当時、5万円といえば現在の約180万円の価値があった。

 藤田は、「毎月定期的に5万円を貯金することで、人生に対して何かふっきれていくものを感じた」という。それは、「東大法学部卒の〝権威〟とか、外交官になる〝夢〟とか、無気力の世界へと導く〝懐疑主義〟とか、そういう虚妄の世界とは全く異なる地道で堅実で真実の世界であった」と述懐する。

 藤田は、目標の100万円(現在の約3600万円)を貯める頃には、「100万円をどう活用してビジネスを拡大するか」に興味が移ったという。高額な定期預金を自らに課し、それを毎月続けることで、実業の世界へ「心眼」が開け出したのである。

「『粘り強い日本人』が一人くらいいてもいいだろう」

 そこで経営哲学となったのが「ユダヤの商法」であった。

拡大藤田商店の社員旅行でマカオを訪れた藤田田さん(中央)=1970
 藤田は1951(昭和26)年3月、東大法学部政治学科を卒業すると、迷わず藤田商店の仕事に取り組んだ。まさに〝裸一貫〟からのスタートであったが、藤田は最初の10年は月々5万円、次の10年は月々10万円、その次の10年は15万円と30年間(1950~80年)、平均10万円の定期預金を続けた。そして81(昭和56)年から月々10万円定期預金し40年間続けていた。

 筆者が藤田にインタビューした時、元金の総額は480カ月×10万円で4800万円だが、これが複利で回り、利回り後の貯金額のトータルは「2億1157万6654円」(91年4月当時)になっていた。藤田は、「息子の元(現・藤田商店社長)にこの貯金は私が死んでからも100年続けて見ろ! 親子3代で続けることになるかもしれ ないが、そうすればいくらになるのか。こういう『粘り強い日本人』が一人くらいいてもいいだろう!」と強調した。

 藤田は、『ユダヤの商法』の中で、「ユダヤ人は徹底した現金主義で、銀行預金さえ信用しない」と記している。だが、藤田は銀行を信用し、定期預金という形で人生が「仕事×時間=巨大な力」ということを証明しようとした。近年のマイナス金利政策時代では月々10万円貯金しても利回りは増えないだろうが、藤田が亡き後も10万円貯金を続けていれば、推定で「6~8億円」になっているのかもしれない。藤田が始めた定期預金は令和元(2019)年で69年目に突入している。


筆者

中村芳平

中村芳平(なかむら・よしへい) 外食ジャーナリスト

1947年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。「日刊ゲンダイ」、「東洋経済オンライン」、「フードスタジアム」などに外食モノを連載している。著書に『キリンビールの大逆襲:麒麟 淡麗〈生〉が市場を変えた! 』(日刊工業新聞社)、『笑ってまかせなはれ:グルメ杵屋社長椋本彦之の〈人づくり〉奮闘物語』(日経BP社)、『遊びをせんとや生まれけむ:スポーツクラブ ルネサンス創業会長斎藤敏一の挑戦』(東洋経済新報社)など。近著に『居酒屋チェーン戦国史』(イースト新書)がある。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです