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明治維新は「革命」ではなかった

システムの大変革だったが、人々のライフスタイルに劇的な変化をもたらさなかった

榊原英資 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

明治維新は幕府の政策を維持・強化したものだった

拡大西郷隆盛とされる肖像画=国立国会図書
 開国政策に反対したのは孝明天皇とそれを支える長州・薩摩・土佐藩などに尊皇攘夷グループだった。

 西郷隆盛は明治維新後「攘夷は幕府を倒すための口実にすぎなかった」と述べているが、西郷自身もある時期までは(おそらく1863年の薩英戦争で大敗するまでだろう)本気で攘夷を考えていたのではないだろうか。

 明治維新の最大の皮肉は薩摩や長州・土佐等が攘夷論を掲げて幕府を倒したことだった。

 ただ、開国は大きな時代の流れだったので、薩長も維新後は、当然のように、開国政策を継続し、さらに推進したのだった。当時の大衆のムードは圧倒的に攘夷、薩長はこのポピュリズムに乗って倒幕を果したのだが、結局は幕府の政策を踏襲したのだった。

 こうして見てみると、明治維新は決して欧米流の「革命」ではなく、政策的にも人事的にも幕府の政策を維持・強化したものだったのだ。

 たしかに、明治政府の要職は薩摩・長州・土佐等の旧藩士達によって占められたが、幕臣の勝海舟も榎本武揚も明治政府の高官になっている。勝は海軍卿を経て参議・枢密顧問官に、榎本は外務大臣・文部大臣などの要職を歴任している。

 最後の将軍徳川慶喜も一時は謹慎を余儀なくされるが最終的には公爵に叙せられ、貴族院議員になっている。

 他の多くの幕臣達も明治政府に任官している。明治8年の官員録によると、明治7年の勅任官・奏任官のうち31%が旧幕臣であり、旧薩長藩士の19%を大きく上回っている。勅任官では53%が薩長、10%が旧幕臣となっていた。

 つまり、顕職の半分以上は、薩長によって占められていたのだが、全体を見ると旧幕臣が3割強と薩長を大きく上回っていたのだ。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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