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韓国「階級社会」不条理の権化「財閥」

軍事独裁政権を終わらせた民主化宣言から30年余。「経済の民主化」はなお課題だ

稲田清英 朝日新聞オピニオン編集部次長

Mongkol chai/shutterstock.com

格差広がる階級社会

 10年近く前のことだ。

 リーマン・ショック後の景気悪化の影響もあり、韓国の少子化がさらに深刻になりそうだということで、私は取材をしていた。

 若い世代の声を聞くため、友人に紹介してもらったソウル近郊に暮らす当時30代の男性とのインタビュー。経営悪化で以前の勤め先を退職せざるを得なかった経験を持つIT企業勤務の男性は、「子どもを持つことは考えていません。可能性は0%です」と言い切った。そして、幸せに育て上げる自信が持てない、と少し寂しげに語りながら、こんな言葉を漏らした。

 「格差の広がる韓国は、今や階級社会になってしまいました」

 この時、私はソウルに駐在して韓国各地で取材を始めてから、1年半あまりたっていた。それまでの取材で見聞きしてきたことを踏まえ、男性のこの言葉がとても腑に落ちるとともに、韓国の経済・社会をウォッチしていくうえでの軸となる視座を与えてくれた。今でもよく覚えている。

 そしていまも、韓国は過酷な格差社会、一握りの勝ち組とその他に分断された、男性の言葉を借りれば「階級社会」であり続けている。

 その象徴であり、さらには韓国経済そのものを語るうえで外せないキーワードが「財閥(チェボル)」の存在だ。

 サムスンや現代自動車など世界規模で事業を展開する財閥は、富の大半を占めて肥大化を続けつつ、不透明な世襲によって2代目、3代目へと権力を受け継いできた。

 その一方で、成長の果実・恩恵は国内に広く行き渡ることなく、多くの国民が日々の暮らしや将来への不安、教育費や住宅費の重い負担とともに生きることを余儀なくされている。国内の雇用の大半を占める中小企業も、大企業との賃金格差が大きく、就職をめざす若者にも敬遠されがちだ。

 韓国ドラマに必ずといっていいほど登場するのが、財閥一家の御曹司、ご令嬢だ。若くしてグループ企業のトップや、経営企画やマーケティングなどを担う幹部の座につき、高級車を乗りこなしながら、浮世離れした暮らしを送る。そんな登場人物を何度みたことだろうか。

 そして、彼ら彼女らと、庶民的な家庭、あるいは非常に貧しい境遇で育った主人公との出会いや愛憎劇は定番のモチーフであり、ハッピーエンドもあれば、悲劇的な結末もある。一つ言えるのは、財閥というものの存在がそれだけ韓国においては絶大だ、ということだろう。

圧倒的1位のサムスン

米国で「ギャラクシー・フォールド」の発売を発表するサムスン電子幹部=2019年2月、サンフランシスコ、サムスン電子提供
 韓国の公正取引委員会は毎年、一定の基準をもとに、主な企業グループ(財閥)の資産状況などをまとめている。

 5月15日に発表された最新の資料によると、資産総額でみた圧倒的1位は今年も「韓国の代表ブランド」たるサムスンだった。資産額は414.5兆ウォン(約40兆円)で、2位の現代自動車のほぼ2倍に達している。ほかに、SK、LG、ロッテ、ハンファ、GS、現代重工業、新世界、斗山、韓進、CJ、などが上位に入る。サムスンやLG、ロッテなどは日本でも比較的、なじみがある名前だろう。

 どの財閥もそれぞれ、中核となる事業分野を持つ。サムスンやLGなら電機・IT、現代自動車なら文字どおり、自動車、といった具合だ。とともに、ほかにも手広くいろいろな分野の事業を手がける系列会社があり、全体で大きな企業グループを形成している。

 サムスンは中核企業のサムスン電子が「ギャラクシー」ブランドのスマートフォンや半導体メモリーで世界のトップメーカーだ。だが、サムスン=サムスン電子、ではない。グループの事業分野は保険、造船、建設、レジャーなど多岐にわたる。

 ロッテも、日本ではお菓子メーカーのイメージが強いが、韓国では建設や百貨店、ホテルなどの事業も幅広く展開する大手財閥だ。ソウル中心部の繁華街・明洞にあるロッテ百貨店とロッテホテルは、日本人観光客にもすっかり見慣れた風景だろう。

 財閥は、「漢江の奇跡」とも称された韓国の経済成長の過程で、国と密接な関係を保ち、政治と癒着もしながら事業を広げ、成長してきた。

 銀行からの借り入れなどで競って事業を拡大した財閥は、1997年の通貨危機を経て事業分野の集約などある程度再編が進んだ。ただ、消滅した財閥もある一方、逆に生き残った財閥は国内での圧倒的な地位と収益を基盤に、海外でも積極的に投資し、さらに規模を拡大して収益力を高めていった。

 韓国公取委によると、今年の公開対象となった59の財閥の中でも、サムスンなど上位5財閥が資産額、売上高の5割あまり、純利益では7割を占めている。財閥の中でも格差の拡大が進み、上位財閥と下位財閥との「両極化現象が深まっている」(公取委)のだ。

不条理、不透明、不祥事

 グローバルに事業を展開する韓国の財閥企業の存在は、韓国人にとっては一面、誇るべき対象ではある。『韓国「大卒社会」の曲がり角』などでも触れたが、韓国の多くの若者にとっても、こうした財閥系の大企業に入ることはあこがれであり、就職先としても高い人気を集めている。

 ただ一方で、「財閥偏重経済」は韓国経済の矛盾、不条理の体現でもあり、常に批判の的でもある。

 かつて、韓国経済が大きく成長を続けていた時代、財閥中心の成長は韓国経済全体の底上げにもつながり、ある程度幅広く恩恵も広がった。ただ、通貨危機を経て、財閥系の大企業は正社員の採用を絞り込み、賃金などコスト抑制に力を入れるようになった。国内で得た高い収益を海外への投資や販売促進の取り組みなどに振り向ける一方で、国内での投資には回りにくくなった。一方で増えたのが不安定な非正規雇用だ。財閥の成長、と、多くの国民の暮らしの向上、は分断されている。

 財閥という圧倒的な強者の存在は、中堅・中小企業やベンチャー企業の成長の足かせになっているという側面もある(参照『自営業大国・韓国 最低賃金引き上げへの苦しみ』)。強い立場を生かした下請け企業への厳しい値下げ要求や、圧倒的な資本力を生かして市場を奪ってしまう、といったケースは珍しくない。財閥系大企業は必要な部品や素材を日本など海外企業から調達することが多く、これらもあいまって韓国での中小企業の成長には逆風となっている。

 また厳しい批判にさらされてきたのが、財閥のガバナンス(企業統治)の不透明さだ。財閥はグループ企業間の複雑な株式の持ち合いによって、創業家一族がオーナーとして事実上の「経営権」を握るケースが多い。無理して世襲による経営権継承を進めようとするなどで、財閥トップが脱税や背任などの罪に問われ、有罪判決を受けるケースも珍しくない。

 耳を疑うような不祥事にも事欠かない。その一つが日本でも報じられた数年前の「ナッツ・リターン」事件だろう。大韓航空を傘下に持つ財閥・韓進の創業者の孫で大韓航空の副社長(当時)が、客室乗務員のナッツの出し方が気に入らなかったといって米国の空港で滑走路に向かい始めていた自社の飛行機を搭乗口に引き返させた、とされたものだ。財閥創業家の「横暴」の象徴として大きな批判を浴びた。

財閥一家を糾弾する集会=2018年5月4日、ソウル

 韓国の若者の多くは、大学や大学院を出て、語学学習や資格取得などに必死に取り組んでも思うような就職先が見つからず、不安定な非正規職のまま年を重ねるケースが少なくない。そうした状況を揶揄した流行語の一つが「ヘル朝鮮」だった。

 そうしたなか、何不自由なく育ち、若くして財閥企業の幹部に出世する財閥の子弟との格差は、多くの若者にとって怨嗟の的だ。出生率が1を割り込んだ未曽有の少子化なども、こうした厳しい経済の現実が背景にある(参照『出生率1.05 正念場の韓国』)。

 現状の過酷な格差社会をみるにつけ、その根本的な原因でもある「財閥偏重経済」がこのまま持続可能だとは考えがたい印象を受ける。

 ただ、ではこの財閥という存在にどう向き合い、ありようを変えていけるか。これはなかなか難しい。どの政権にとっても最大の課題であり、またどの政権も、うまく成果をあげられずに来た難題でもある。

文在寅政権は「公正経済」をめざすが…

 私が特派員としてソウルに赴任したのは2008年4月。直前に発足していた李明博政権は成長重視の経済政策を鮮明にし、当初、規制緩和やウォン安などを通じて輸出の担い手たる財閥企業の後押しを進めた。だがウォン安は物価上昇を通じて庶民の暮らしを圧迫し、むしろ格差拡大を招いたとの批判にさらされた。

 後継を決める2012年の大統領選では、当時敗れた文在寅陣営に加え、当選した保守系の朴槿恵陣営もこぞって財閥改革などの「経済民主化」を掲げることになった。だが

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