メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

トランプ貿易政策の転換?

日本の交渉ポジションはより優位になった

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

鉄鋼関税が自動車産業へ与える悪影響

 トランプの政策変更には二つの事情が働いたと考えられる。

 第一に、トランプの頭の中にいつもあるのは、来年に控えた大統領選挙である。一見支離滅裂に見える行動でも、大統領選挙での勝利という観点から考えれば、首尾一貫している。今回の政策変更は、鉄鋼や自動車の関税引き上げが、大統領選挙に有利に働かないと判断したからだろう。

 まず、カナダとメキシコに対する鉄鋼やアルミニウムの関税引上げの停止について見よう。そもそも鉄鋼やアルミニウムの関税引上げは、これらを原料として使用するアメリカ産業にとって、コストアップ、収益減少を招いていた。自動車業界は、特にこの影響を受けた。

 アメリカ車を中国に輸出する場合、これによってコスト増となった車にさらに中国が引き上げた関税がかかることになるので、大幅なコスト増となる。仮に、鉄鋼やアルミニウムの関税引上げで、自動車のコストが1割増加しているとすれば、中国はこれに米中貿易戦争による報復関税40%をかけるので、関税によるコスト負担は54%(1.1X1.4)となる。このため、アメリカで製造して中国に完成車を輸出していたBMWやベンツなどは、大きな打撃を受けた。

 これに対して、日本から輸出される車には、当たり前だが生産段階でアメリカの鉄鋼関税は課されず、中国へ輸出する場合の関税は15%で済む。アメリカ産と日本産では39%の関税格差が生じることになる。関税が低下したトヨタは中国への輸出を大幅に増やした。

 また、同じように鉄鋼を素材として使用するオートバイメーカー、ハーレーダビッドソンは、鉄鋼関税の引き上げの影響を受けたばかりか、EUからアメリカの鉄鋼等の関税引上げに対する報復として、25%の関税を追加して課せられることになった。この場合でも、鉄鋼関税にEUの報復関税が上乗せされることになる(自動車と同じように鉄鋼関税でコストが1割増加しているとすれば、37.5%の負担増となる)。

 こらえきれなくなったハーレーダビッドソンは、EU向けの輸出をアメリカから他の国での生産に振り向けざるを得なくなった。ハーレーダビッドソンを「真のアメリカの象徴」と持ち上げていたトランプは、ハーレーダビッドソンの不買運動を支持すると言うほど激怒したが、これはトランプの自業自得である。(参照『ハーレーに激怒、トランプの自業自得』

拡大ハーレーダビッドソンジャパンの大型バイク「ロードキングスペシャル」(ハーレーダビッドソンジャパン提供)

鉄鋼関税が中西部の農業へ与えた影響

 カナダとメキシコも、EUと同じような報復をアメリカ産農産物に対して行った。カナダとメキシコは、不承不承ではあるが、アメリカの要求に応じて北米自由貿易協定(NAFTA)見直し交渉を行い、「米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」に署名した。

 しかし、トランプ政権は両国に対する鉄鋼やアルミニウムの関税引上げを停止しなかった。アメリカに対する輸出国のうち、カナダは第1位、メキシコは第5位、それぞれ16.7%、9.1%のシェアを持っており(2017年)、両国にとってアメリカ市場は極めて重要である。このため、両国とも報復関税を維持してきた。

 特に、メキシコはアメリカに対して乳製品の関税を引き上げた。これはアメリカの伝統的な酪農地帯である中西部のウィスコンシン州の農業に大きな打撃を与えた。毎日8人の酪農家が廃業しているという報道もある。

 中西部はラストベルトであると同時にコーンベルトと呼ばれる全米屈指の農業地帯である。伝統的に農民は共和党を支持してきた。これを放置するとトランプは中西部を失い、大統領選挙に敗北しかねない。

鉄鋼関税停止は米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)承認の条件

 USMCAでは、関税なしで自動車をアメリカへの輸出する際の条件として、北米産の部品を使用する比率の増加を合意した。ほとんどアメリカ産と言えるような車でなければ、アメリカへの関税なしでの輸出を認めないというものだ。

 カナダ、メキシコからアメリカへ輸出される自動車が一定の台数を超えると、関税を引き上げるというディールも両国から獲得した。アメリカの自動車業界にとって、望ましい合意だった。

 しかし、カナダは、アメリカが鉄鋼関税引上げを停止しなければ、USMCAの議会承認は行わないと主張した。USMCAが発効しなければ、NAFTAが引き続き適用されるので、カナダとメキシコは困らないが、トランプはUSMCAで勝ち取ったディールを実行に移せない。

 USMCAは米中貿易戦争で打撃を受けているアメリカの農業界にとっても、市場回復のため望ましいものだった。USMCAを発効させるために、鉄鋼関税引上げ停止が必要となった。

自動車関税に対する自動車業界の反対

 自動車関税についても、アメリカの自動車業界は価格を上げ、需要を減らし、雇用を奪うとして反対している。

 トランプがどこまで認識しているかわからないが、鉄鋼業界と異なり、様々な部品から組み立てられる自動車業界のすそ野は広い。自動車関税は、自動車メーカーだけではなく、素材産業からエレクトロニクス産業まで関連する様々な産業に影響を与える。自動車の関税引上げで、アメリカの自動車業界の収益が減少すれば、自動車の素材である鉄鋼の需要も減少し、鉄鋼業界の収益は低下する。

 さらに、鉄鋼やアルミニウムは他の製造業の原料であるが、自動車は消費者が購入する最終消費財である。これを販売するために、全米各地で多くの自動車ディーラーが活動している。関税引上げによる価格上昇は、売上減少となって、多くの販売業者の収益を悪化させる。

 鉄鋼関税引上げよりも自動車関税引上げの方が影響は広くかつ大きいと考えられる。トランプも鉄鋼関税は引き上げたが、これまで自動車関税は引き上げられなかった。影響の大きさを認識していたからだろう。

 今回も導入を延期した。トランプは多くの場合実際に関税を引き上げて、影響を受けた相手から譲歩を引き出そうとしてきたが、自動車については言うことを聞かないと将来関税を上げるぞという、やや腰が引けた脅し方をしている。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

山下一仁の記事

もっと見る