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ローマはニューヨークより生き生きとしていた

貧富の格差が見えてしまうニューヨーク。ローマは目立った貧困が見えなかった

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

拡大Pablo Prat/shutterstock.com

スラム化する米国

 4月下旬から5月上旬にかけてニューヨークとローマを続けて訪れた。経済大国アメリカの首都ニューヨークと2千年以上の歴史を持つローマは、ある意味で、対照的な都市であるということができるのだろう。

 ニューヨークでは久し振りに5番街(Fifth Avenue)を歩いてみたが、かつて輝いて見えた街並みも何かさびれているような感じがした。ニューヨーク、そしておそらくアメリカ全体の問題は貧富の格差が大きいこと、そして、それが街で見えてしまうことだ。

 筆者が始めてアメリカを訪れたのは1950年代の末。高校生の時、アメリカン・フィールド・サービス(AFS)という留学制度に乗って、1年間ペンシルベニア州のヨーク市に滞在したのだった。ヨーク市でエンジニアをしていたアンダーソンさんの家に1年間世話になり、ヨーク高校に同年代のジム・アンダーソン氏とともに通ったのだった。

 渡米後、2週間程たった時にアンダーソンさんがニューヨークに連れていってくれて5番街を歩いた時は、町全体が輝いて見えたものだった。1950年代の末、日本はまだ戦後の経済復興が始まったばかりの時だった。そんな日本に比べて、ニューヨークは繁栄のピークにあったのだろう。

 そんな思い出を持って、今回、5番街を歩いたのだが、東京の銀座の方がよっぽどすばらしく思えたのは決して筆者の偏見ではなかったと思える。5番街はかつてと大きく変っていないように思えたのだが、この間、日本は、東京は、そして銀座は急成長し、極めて豊かになっていったのだった。1人当りGDPはまだアメリカが日本を上回っているが、貧富の格差の大きいアメリカと比較的平等な日本を考慮すると、おそらく、平均的日本人は平均的アメリカ人より豊かになっているのではないだろうか。

 近年、ヨーク高校の百年の記念ということで、再びヨーク市を訪れたが、アンダーソン家を始め、町全体の状況は1950年代後半とあまり変わっていないように思えたのだった。しかも、ヨーク市の中心部はスラム化して、多くの中流階級の人達は郊外に移り住んでいた。ヨーク高校はかなりさびれてしまって、多くの中流階級の人達はヨーク、サバーバン(郊外)高校に子供達を就学させていたのだった。
ヨーク市の中心部もそしてニューヨーク市の5番街もかつての輝きを失い、アメリカ全体の所得や資産の格差、つまり貧困が垣間見えるような街になってしまったようなのだった。


筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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