貧富の格差が見えてしまうニューヨーク。ローマは目立った貧困が見えなかった
2019年06月05日
4月下旬から5月上旬にかけてニューヨークとローマを続けて訪れた。経済大国アメリカの首都ニューヨークと2千年以上の歴史を持つローマは、ある意味で、対照的な都市であるということができるのだろう。
ニューヨークでは久し振りに5番街(Fifth Avenue)を歩いてみたが、かつて輝いて見えた街並みも何かさびれているような感じがした。ニューヨーク、そしておそらくアメリカ全体の問題は貧富の格差が大きいこと、そして、それが街で見えてしまうことだ。
筆者が始めてアメリカを訪れたのは1950年代の末。高校生の時、アメリカン・フィールド・サービス(AFS)という留学制度に乗って、1年間ペンシルベニア州のヨーク市に滞在したのだった。ヨーク市でエンジニアをしていたアンダーソンさんの家に1年間世話になり、ヨーク高校に同年代のジム・アンダーソン氏とともに通ったのだった。
渡米後、2週間程たった時にアンダーソンさんがニューヨークに連れていってくれて5番街を歩いた時は、町全体が輝いて見えたものだった。1950年代の末、日本はまだ戦後の経済復興が始まったばかりの時だった。そんな日本に比べて、ニューヨークは繁栄のピークにあったのだろう。
そんな思い出を持って、今回、5番街を歩いたのだが、東京の銀座の方がよっぽどすばらしく思えたのは決して筆者の偏見ではなかったと思える。5番街はかつてと大きく変っていないように思えたのだが、この間、日本は、東京は、そして銀座は急成長し、極めて豊かになっていったのだった。1人当りGDPはまだアメリカが日本を上回っているが、貧富の格差の大きいアメリカと比較的平等な日本を考慮すると、おそらく、平均的日本人は平均的アメリカ人より豊かになっているのではないだろうか。
近年、ヨーク高校の百年の記念ということで、再びヨーク市を訪れたが、アンダーソン家を始め、町全体の状況は1950年代後半とあまり変わっていないように思えたのだった。しかも、ヨーク市の中心部はスラム化して、多くの中流階級の人達は郊外に移り住んでいた。ヨーク高校はかなりさびれてしまって、多くの中流階級の人達はヨーク、サバーバン(郊外)高校に子供達を就学させていたのだった。
ヨーク市の中心部もそしてニューヨーク市の5番街もかつての輝きを失い、アメリカ全体の所得や資産の格差、つまり貧困が垣間見えるような街になってしまったようなのだった。
そして、ローマ。観光シーズンだったこともあって、多くの旅行者達であふれていた。ニューヨークに比べてローマは生き生きとしているように感じられた。かつての古代ローマの遺跡は美しく整備され、観光客であふれていたし、少なくとも、筆者が歩いた範囲では、めだった貧困は見られなかった。
イタリアだけではなく、多くのヨーロッパ諸国では福祉政策が行き届いていて、目立った貧困は、少なくとも街の表面には出てきていないし、又、街全体が美しく整備されているように思えるのだ。
自由競争を重視する市場国家アメリカと高福祉・高負担政策で福祉政策が充実しているヨーロッパとの違いなのだろうか。平均20%と高い消費税率を課してるヨーロッパ諸国だが、その財源で福祉政策を充実させているという訳なのだ。
高福祉、高負担の典型はフィンランド、スウェーデン等の北欧諸国だが、ドイツ・フランス・イタリア等の国々も北欧程ではないが、20%前後の消費税を財源に福祉政策を充実させているのだ。
高福祉・高負担の大きな政府がいいのか、低負担・低福祉の小さな政府がいいのかは議論が分かれるところだが、先進国の中では、アメリカが小さな政府の典型で、北欧諸国が大きな政府の典型だといえるのだろう。他のヨーロッパ諸国・ドイツ・フランス・イタリア等もそこそこ大きな政府を有しているといっていいのだろう。
そして、ローマの街を歩いていて感じるのは長い歴史の重みである。様々な遺跡が美しく整備され、人々はその歴史や伝統に誇りを持っているように思えるのだ。新興経済大国アメリカとはかなり異なったメンタリティーだと言うこともできるのだろう。
古い歴史といえば、中国・インド等のアジアの国々も長い、多様な歴史を有している。
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