「地域文化」より「日本文化」求める外国人で、日本観光は金太郎飴になってしまうのか
2019年06月18日
日本全国の地域が、労力をかけて「インバウンド」と言われる訪日外国人旅行客を獲得していっても、日本人が楽しめないようなコンテンツになってしまっては、何のための観光戦略かわかりません。佐賀県の「肥前吉田焼」の再生を例に、埋もれている地域の魅力の発掘や輝かせ方を考えて行きます。
訪日外国人旅行の伸び率はすさまじいものです。政府が推進するように、彼らをもっと取り込むことができれば、観光ビジネスに関わる世界はさぞかし潤うでしょう。しかし、日本の観光産業、特に地域観光においては、インバウンドをあまり当てにせずに、多言語対応や交通インフラの利用をわかりやすくするなどの基本的な整備にとどめ、まずは日本人が喜ぶサービス、日本人も満足できるサービスレベルやホスピタリティを充実することが先決だと思います。
ここ数年、ローカル線の列車や路線バスを乗り継いで行くような地域を訪れても、外国人旅行客の姿を見かけることが増えてきました。日本政府観光局のまとめによると、訪日外国人旅行客数は、2008年が835万人、2018年が3120万人というように、この10年間で4倍近くに増えています。
一方、日本人の国内観光に目を向けてみると、2018年度は金額的には3%減で、人数的には13.2%減となっています。人数にすると、のべ約1億人減少になります。日本人の海外旅行客は同じ年で比較すると6%伸びています。日本人が国内旅行をやめて海外旅行に行っている、とは限りませんが、一瞬、そんな思いが頭をよぎりました。
外国人旅行客と日本人が楽しめる観光コンテンツは、同じであるとは限りません。彼らは「地域文化」を楽しむより「日本文化」を求める傾向にあります。もし、地域の観光コンテンツから、地域色がなくなって「わかりやすい日本っぽい」ものばかりになってしまったら、日本人は楽しめなくなってしまうでしょう。そうなると、日本の地域文化は発展どころか衰退し、日本人の国内旅行の需要自体も停滞してしまうのではないでしょうか。
日本人が地域文化を楽しんで、国内旅行を満喫できるようになれば、インバウンド需要はおのずとついてきて、持続可能な観光経済の発展が成立すると私は考えます。
私は4年前、スペインのサンチャゴ巡礼をしました。ピレネー山脈の麓からサンティアゴ・コンポステーラまでの約700キロを世界各国の年齢も宗教も職業も様々な人たちと40日間かけて一緒に歩きました。
巡礼中に訪れる街は、小さな田舎町もあれば、大きな観光地もありました。どこに行っても、外国人だから特別扱いされることはなく、スペイン人もフランス人も日本人も韓国人も「同じものを同じように」楽しんでいました。フランスもそうですが、観光大国は、誰もが楽しめる「基本的」で「本質的」なサービスとホスピタリティが根付いているように思います。
日本はどうでしょうか。外国人旅行客を特別扱いしすぎていて、日本人旅行客にそっぽを向かれていないでしょうか。
前職の星野リゾート時代、コンセプトを刷新するプロジェクトにアサインされて煮詰まっていたときに、ふと「観光ってなんだろう?」と考えたことがありました。
疑問に思って、色々な文献を読みあさっていたら「観光とは、“地域の光”を見ることだ。光とは知恵のことである」というようなことが書かれているものがありました。それまでは、観光とは遊ぶこと、リラックスすること、だと思っていたので、ひどく感銘をうけてメモをしたので覚えています。それからというもの、その言葉は、私の観光の概念に刻まれているのですが、あいにく誰がどこで語っていたのかを失念してしまったので、改めて調べてみました。
「観光」の語源は古代中国『易経』にある「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)」との一節による。(wikipedia)
「国の光を観る、用て王に賓たるに利し」という意味については日本大百科全書にもう少し詳しい説明があります。
「観国之光,利用賓于王」。その本来の語義は「他国の制度や文物を視察する」から転じて「他国を旅して見聞を広める」の意味となる。また同時に「観」には「示す」意味もあり、外国の要人に国の光を誇らかに示す意味も含まれているという説もある。(日本大百科全書)
つまり、観光とは、他国をよく観察して、優れた部分を学ぶこと、という意味だと解釈できます。文脈からすると「他国」は「地域」と置き換えて解釈することも可能なので、旅とは「地域の魅力を体験する」ことと捉えました。
その事例を紹介します。
3年前までは誰も歩いていなかった集落に月平均600人もの観光客が訪れるようになった場所があります。旅行会社もここをメインにしたツアーを月に2、3回催すほどの人気ぶりで、今年のGWは、過去最高の売り上げを叩き出したそうです。
その場所は、佐賀県嬉野市の吉田地区にある「肥前吉田焼」という磁器の産地です。
「肥前吉田焼」がある嬉野市は有田焼で有名な有田町に隣接しています。この焼き物は、有田焼同様に400年以上の歴史があるにも関わらず、佐賀県内はおろか嬉野市内でも知らない人がいるほど認知度は低かったのです。
2016年に私が地域活性化プロジェクトに参画した当時の産地経済は、最盛期の1960年代と比較すると8分の1という規模で、30社あった窯元も8社(組合加盟)という惨憺(さんたん)たる状況でした。
このプロジェクトは、肥前吉田焼を作っている窯元有志が集まって、技術力向上や後継者育成を通じて産地の活性化を図るというものでした。デザイン・コンペティションを行い、デザイン性のある食器を作って東京で展示会を行うなどして磁器自体の商品力を向上する中で、産業観光的なコンテンツにも着手するようになりました。
産業観光で特に力を入れたのは「認知」と「魅力」と「広報」です。
ものが売れない最大の理由は「存在を知らないから」なので、人に来てもらうためには「告知」をして「認知」を上げていかないとなりません。その「告知」のきっかけになるのが「魅力」であり、手法が「広報」です。
ザイオンス効果(別名:単純接触効果)によれば、人は購入に至るまでには最低7回はその名前に接触しないと行動しない、とあります。このセオリーに従えば、何回も「告知」しなければ消費行動につなげることはできません。「告知」するためには「魅力」も継続して創出し続ける必要があります。私が星野リゾートで広報を担当していた時代は、そのようなやり方で「認知」を上げて宿泊施設の稼働率アップやブランド向上に寄与してきました。
最初の取り組みは、老舗商社に眠る明治時代からの古い在庫品を「お宝」に見立てて、1カゴ5000円詰め放題で販売する「トレジャー・ハンティング」(トレハン)でした。
ほこりをかぶった古い食器が山のように積まれた蔵の中は、薄暗くて今にも崩れそうです。まるで異次元に迷い込んだかのような不思議な非日常的空間で、まさに磁器の産地にしかない本物の魅力がそこにありました。
売れるはずはないという経営者を説得し、地元の窯元有志らで蔵を整理、東京に住む息子がホームページを立ち上げて、オープンにこぎつけました。お金を出して買ったものといえば、軍手と懐中電灯くらいでした。
まずは地元に知ってもらおうと考え、旅館組合、商店街組合、飲食店組合にちらしを渡しました。これは、そこを訪れたお客様に「トレハン」を紹介してもらおうという魂胆があったからです。
オープン当日は、多くの嬉野市民が訪れました。予想外だったのは、彼らの多くが近所であるはずの吉田に来たことがなかったことでした。吉田地区の風情ある路地をぐるぐると歩き回り、市場にはすでに出回っていない食器をみて大変喜んでいました。
インバウンド対策は何もしませんでしたが、日本人にまぎれて数人の外国人が訪れていました。その外国人はたまたま友人の日本人に連れられてやって来たのですが、やがて「トレハン」は、彼らのSNSによるネットワークで広がり、その後は経営者があたふたするほどの外国人が訪れるようになりました。お客様と経営者の会話が成立しないことが増えてきたので、佐賀県が行なっている電話による通訳サービスを申し込んだり、英語の看板を出したりしましたが、これらは、すべて後付けでやったことでした。
次に打ち出した魅力は「えくぼとほくろ」という磁器の規格外品を販売する企画です。規格外品は正規ルートで売ることができず、お金を払って産業廃棄物扱いにするか、陶器市で投げ売りするなど、陶磁器産業ではどこでも頭の痛い問題です。
規格外品を「魅力的」にするために、ある窯元が語った言葉を参考にしました。
焼き物は職人にとっては「我が子」のような存在で、たとえ、キズがあっても、それは “えくぼやほくろ”のような個性にすぎず、子どもであることに変わりはなく、愛しい存在です。
これは、焼き物の作り方を知らない消費者にとっては魅力的な概念ではないでしょうか。工場見学をして、職人たちの繊細な手仕事や想いを目の当たりにすれば、焼き物の知識も得られて、器への愛着も生まれるし、値下げを要求されずに買ってくれるのではないかと思いました。
こうして吉田地区に6軒の工場見学付きの「えくぼとほくろ」ショップが誕生したのです。
「えくぼとほくろ」は大ヒット企画でしたが、窯元の有志たちは、その数カ月後には窯元の工場内にフラワーアレンジメントを飾る「花巡り」のイベントを始めました。さらにその半年後には、集落と工場内をキャンドルでライトアップした「吉田皿屋ひかりぼし」を行い、今年の1月には窯元組合会館を窯元らの手で、おしゃれにリノベーションして焼き物体験や嬉野茶がテイクアウトできるカフェコーナー(平日のみ営業)を設置したのです。
どの企画も「広報」を行い、メディアに取材依頼をしたおかげで、県内のほぼすべてのメディアが取材にきてくれました。そうして吉田のことを知ってもらい、今では東京都内からも取材が来るようになりました。
こうしてかつては誰も歩いていなかった集落は、常に人が歩いている状態になったのです。ちなみに訪れる人たちの約1割がインバウンド、外国人旅行客です。
長らくアジア圏のインバウンド対応をすることが多い元同僚から、こんな話を聞きました。
「日本人とインバウンドは、喜ぶものが違う」
私も同じようなことを感じていました。訪れたフランスやスペインでは、海外からの観光客も自国の人も同じものを楽しんでいたので、日本のいわゆるインバウンド対策に違和感がありました。
今、訪日している外国人は、どのようなものを楽しんでいるのでしょうか。
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