メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

大阪ガス・尾崎会長が読む「ブラック・スワン」

未来は誰にも分からない。未来を予測するよりは、何か起きた時の対策を考えた方がいい

諏訪和仁 朝日新聞記者

「予測」よりも「対策」

 「未来がわからない」という例には、この本に出てくるアメリカの七面鳥の話をしました。

 七面鳥の側から見れば、飼い主はひなのときからえさを与えてくれて、運動をさせて、きれいにして、3年弱一生懸命育ててくれた。飼い主はなんて優しいんだ、自分はなんて幸せなんだと千日間思い続けるわけです。

 ところが、七面鳥を食べる感謝祭の前の日に殺されてしまう。それが、七面鳥にとっては「ブラックスワン」です。そんなことになるとは思ってもいませんから。

 スワンは、日本語で「白鳥」と訳してるように、ヨーロッパ人にとっても白い鳥に決まっているというのが鉄板の常識だったのですが、オーストラリアに行ったら、黒いスワンがいました。その鳥はオーストラリアに人間が来る前からずっといたのですが、ヨーロッパ人には初めて目にする鳥だったのでびっくりです。これがもとで、いない、起こらない、と思っていたものが急にあらわれることをブラックスワンと呼ぶようになりました。

 滅多に起こらないが、それが起こるとものすごいインパクトがある。東日本大震災もブラックスワンでしょう。まさか津波が堤防を越えることはないと思っていたのですから。

 七面鳥からすれば、本来なら自分でえさを探さないといけないし、野原を歩いていたら天敵に襲われるかも知れない、それに比べたらなんと幸せなことか。そうした幸せが、ひなのときから、995日、996日と続いているから、その後も続くと思っていたのでしょう。感謝祭で食べられるとは知らないまま。

 これは人間も同じで、あしたも生きていると思って毎日生きているけれど、いつ死ぬかわからない。人間が七面鳥と違うのは、自分はいずれ死ぬと知っていることです。そこは、人間には知識があるということであって、七面鳥とは違う対応ができるはずですよね。

 急に明日がなくなることは、会社にも起こります。それは3.11のような大災害で会社がつぶれることもあるだろうし、まったく違うことでつぶれるかも知れません。

 自分のことで考えてみたら、分かりやすいかも知れない。あなたはきょう生きているよね、きっとあしたも生きているよね、きょうは楽しいことがいっぱいあるよね、あしたもきっと楽しい1日だよねって、思っているでしょう。でも、いつまで続くんでしょう。だって、人間は必ず死ぬんですから。

 今度は会社に置き換えて、会社は今儲かっているよね、従業員はハッピーだし、お客さんもハッピーだよね、たぶん、あしたもそうだよねと。じゃあ、太陽が東から昇るのと同じようにずっとこのまま続くんでしょうか。「人間は100年生きられるから、そのくらいは」なんて考えていると……。

 たぶん、人間は本質的に未来のことは考えられない。人間はわからないし、考えられないんだと思うんですね。

 だから、たとえば、私が「30年先の君は」って聞かれたら、どこの墓で眠っているかなんてわからない。でも、それは本当にわからないんだから、考えても仕方ない。きょうもあしたも元気、でも、1週間後は元気じゃなくなるかも知れないし、3年後には病気になるかもわからないというときに、では、今何をすればいいか。たくさん貯金をして、3年後に病気になっても治せるようにしましょうという考え方もあるし、きょうからお酒をやめます、たばこをやめます、食べ過ぎをやめますとか、いろんなやり方があるでしょう。それをやってみたら、ひょっとしたら、ポジティブなことになるかも知れない。人間にできることはこんなことしかないんです。

 でも、この本によると、理屈としては、3年後の世界は今やっている、ものすごくちっちゃなことが影響する、と言うんです。

 本の中では、チョウがインドで羽ばたいたら、3年後にアメリカでハリケーンが起こるというほかの人の論文をひいています。要するに、ものすごく小さなパラメーターの変化、この場合、インドのチョウの羽ばたきが、ずっと因果律で巡っていくと、3年後のアメリカのハリケーンになるというわけです。それはチョウの羽ばたきなのか、カエルのげっぷなのか、だれかのおならなのかも知れないわけです。

 物事の因果は複雑系だから、たとえ物理の法則が厳密に成立しても、圧倒的にパラメーターが多いし、そのパラメーターの数字が正確には把握できない。そうなると、予測はできないというのとほとんど一緒でしょう。そうであれば、ハリケーンを防ぐには、チョウの羽ばたきをやめさせるのではなくて、ハリケーンが襲って来たときに被害を減らすために避難するとか、暴風雨へ備えておくとか、何らかの対策をとる方が現実的だということです。

 著者は、ハリケーンが発生するメカニズムを詳しく知って、正確に3年後を予測しようなんてことはやめるべきで、やっても無駄だと言うのです。こんな感じで結構哲学的だし、数学に関する話もしているんですね。

フィルムと手回し計算機

 ずっと続くと思っていた会社がつぶれたケースとして一番印象に残っているのは、銀塩写真のフィルムを作っていたアメリカのコダックです。

 コダックは2012年に倒産しました。今は別の事業をする会社に生まれ変わっています。この話は、本に出ていたのではなくて、日本のコダックにいた人に聞いたのですが、「コダックほどいい会社はなかった」と言うのです。

 要するに、従業員の待遇がめちゃくちゃ良かった。写真フィルムの世界ではずっとリーディングカンパニーで、少しずつフィルムの性能を上げていったとしても同じ技術ですから、儲かってしょうがなかったと言うんですね。フィルムは、写真を1回撮るごとに確実に消費されるし、現像しない限り写真が見られないから、必ず現像するでしょう。それも自分たちのところで現像サービスをするというビジネスモデルだったんです。

 そこに、フィルムを使わないデジタルカメラが出てきた。初めはコダックも取り組もうと考えたんだけれど、出始めのころのデジカメは値段は高いのに性能がそんなに良くなくて、色の再現性はいまいちだし、撮影するときの反応はよくないし、記録するメモリーの容量も限られている。性能もコストもフィルムの方が圧倒的にいいから、こんなものは役に立たない、研究する意味がない、と考えたんですね。

 もっと身近なケースもあります。大阪の十三(じゅうそう)にあった手回し計算機メーカーのタイガー計算機。その手回し式の計算機は、うちの父親が若いころ、仕事で平均を出したり、分散を出したり、そんなことを計算するのに使っていました。僕が入る前の大阪ガスでもみんな使っていたはずです。それが電卓が出てきて、手回しの計算機はなくなっちゃった。歯車の塊のようなもので、機械的にはすばらしい。とはいえ、計算するなら、電卓の方が圧倒的に速い。

 世の中というのは、こういうふうに動くんです。写真を撮る道具としては、フィルムやカメラの性能を上げてきたけれど、デジカメにとって代わられた。計算する道具は、手回し式の計算機から電卓に置き換わった。今では、スマホでできるようになった。グーグルなどが自動運転を実用化しようとしていますが、車の性能を上げるというよりは、運転しなくていいという別のサービスになるでしょう。

 世の中、このビジネスさえやっていたら、未来永劫儲かってしょうがないと思うようなビジネスであっても、新規参入者が来て、しかも今までなかったモノ、商品なのか、やり方なのか、それとも全然違うもの、今までの商品の魅力をまったくなくしてしまうようなものが出てきて、不滅だと思っていたビジネスがころっと変わってしまうことがあるのです。


筆者

諏訪和仁

諏訪和仁(すわ・かずひと) 朝日新聞記者

1972年生まれ。1995年に朝日新聞社入社、東京経済部、大阪経済部などを経験。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

諏訪和仁の記事

もっと見る