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万世一系の天皇という「奇跡」

「権威」であって「権力」を持たないという時期が長く続いたからこそ

榊原英資 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

拡大JR京都駅に到着し、手を振る上皇ご夫妻=2019年6月11日、京都市下京区

 令和元年5月1日、今上天皇浩宮殿下が即位された。

 「日本書紀」に示された初代神武天皇から数えると、126代目にあたる。明治以降、元号の変更は天皇陛下の崩御によるものだったが、今回は生前退位によるもの。平成の明仁天皇は上皇になられた。

 上皇は太上天皇とも称されるが、697年の持統上皇以来、89人の上皇が誕生しており、明仁上皇は89人目の上皇である。多くの上皇達は「治天の君」として政務をとり、天皇をしのぐ権力を行使したのだった。いわゆる「院政」である。

 今回の明仁上皇の前の上皇は光格上皇。1780年から1817年まで37年天皇を務め1817年に上皇に、1840年に崩御するまで上皇を続けている。

 歴代上皇の中で有名な1人は後白河上皇。天皇在位は1155~58年と3年程だったが、1158年から1192年まで34年間上皇として院政を行っている。

 その治世は保元・平治の乱・治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曽義仲との対立により幾度とのなく幽閉・院政停止に追い込まれるが、そのたびに復権を果たしてる。新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武合体の枠組みを構築したのだった。仏教を厚く信奉して東大寺の大仏再建に積極的に取り組んでいる。

 二条天皇は後白河天皇の第一皇子・六条天皇は二条天皇の第二皇子・高倉天皇も後白河上皇の第七皇子である。こうした状況のなかで後白河天皇は、前述したように、34年にわたり院政を行い、権力を振ったのであった。

南北朝時代の混乱

 鎌倉時代半ばの1246年後嵯峨天皇の譲位後に皇族は皇位継承を巡って大覚寺統と持明院統に分裂している。歴史上「南北朝時代」といわれた時代。いわゆる「建武の新政」を始めた後醍醐天皇は楠木正成等が足利尊氏に敗れたあと吉野に「南朝」を開き、尊氏は光明天皇を擁立し「北朝」を京都に開いたのだった。

 南朝は楠木正成・正儀・北皇顕能・護良親王・興良親王という中枢人物が相次いで亡くなり、楠木氏の象徴である千早城も落城し、軍事力を失い、1392年、足利義満の斡旋で南北朝が合体(明徳の和約)したのだった。

 南朝の遣臣たちの反抗は15世紀半ばまで続くのだが、1457年に南朝末裔の自天皇・忠義王なる兄弟が殺害され、神璽が奪回されることによって実質的に滅亡している。

 その後は足利氏の支配によるいわゆる室町時代に入っていくが、足利義満は南朝を正統と認め、南北朝を統一したのだった。実際に天皇は北朝の出身なのだが、南北朝を統一したのだから、北朝の子孫も「正続」となったということなのだ。

 南北朝時代といういわば混乱の時代を経て、万世一系の天皇の血筋は再編成され、今日まで続いていくことになったのだった。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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