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『アウトレイジ』より『紅の豚』の世界で生きたい

NTTデータに就職 MBA留学を目指したバリキャリがスローライフに

岩崎賢一 朝日新聞バーティカルメディア・エディター

石巻で出会ったローカルで何かを変える方に魅力

――違和感がなかった時期はあったのですか。

 東北で仕事をしていたときの自分です。東京で優秀な人を集めて、ソフトウェアをエンジニアリングして世界を変えるよりも、ローカルで何かを変える方に魅力を感じていました。例えば、石巻の「はまぐり堂」というカフェがあります。蛤浜という集落の空き家を改装してカフェをやっている人たちがいて、その人たちにひかれている自分がいました。元々、定年後には、故郷の駒ケ根(長野県)に戻ってカフェを開きたいと考えていたことが影響していたのかもしれません。

塩澤さん1拡大2011年冬、石巻を訪れて聞き取り調査をする様子=塩澤さん提供

――もう少し詳しく教えてください。

 はまぐり堂のように、様々な人が集い、ふとしたところからプロジェクトが生まれたり、関係性が生まれたりすることが、自分の生き方として腹落ちしてきました。グローバルジェーパーズのメンバーが紹介してくれて知った、西国分寺(東京都)の「クルミドコーヒー」のコンセプトも気に入っていました。あえてローカルに根ざして、自分の時間や価値観を大切にするというのが、私には府に落ちていました。だから、キャリアデザインを変えることにしました。

「地域で働きたい」と小布施へ

――その後、長野県小布施町に拠点を移しますが、小布施には縁があったのでしょうか。

 29歳の時、「地域で働きたい」と思ってインテグリティ・ヘルスケアを辞めました。実家の酒屋を継いで、土蔵を改装してカフェにしようと考えていました。ただ、両親もまだ元気で仕事を続けていましたので、すぐには始められなかったのです。そんなとき、グローバルシェイパーズの知人だった大宮透さんに相談したところ、大宮さんが関わっていた小布施町の若者会議に誘われました。17年2月に初めて参加しましたが、参加者の7割以上が県外で活動している人です。

塩澤さん1拡大長野電鉄の小布施駅

――インテグリティ・ヘルスケアを辞める時は、結婚していたのですか。

 結婚していました。妻は今、再生可能エネルギー会社の「ながの電力」のフィールドマネージャーとして働いています。妻も武藤さんのもとでキャリアを積んでいました。妻には語学留学する夢があったらしく、私のMBA留学に合わせて行こうとしていました。私がMBAへの道を捨てたため、一緒に留学する道は断たれましたが、退職して半年間、イギリスに語学研修に行きました。

 一方、私は小布施の若者会議に参加しながら、一般社団法人を立ち上げて町の遊休施設を再活用する取り組みの準備を始めました。コワーキングスペースを提供する「HOUSE HOKUSAI」(ハウスホクサイ)です。妻も、ここが形になってくるタイミングで長野なら引っ越してもいいかなと理解を示してくれました。

塩澤さん1拡大ハウスホクサイ

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筆者

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき けんいち) 朝日新聞バーティカルメディア・エディター

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで医療や暮らしを中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当、オピニオン編集部「論座」編集を担当を経て、2020年4月からメディアデザインセンターのバーティカルメディア・エディター。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)。 withnewsにも執筆中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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