吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家
東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
100年という長い時間を考えれば、うまく行くだけの人生などあり得ない。
最近、「人生100年時代」という言葉が喧伝され、「厚生年金をかけていても暮らせない。老後を生き抜くには年金以外に2000万円の貯金が必要だ」などと言われて大騒ぎになっている。たしかに、退職後には、金の心配なしにのんびりと趣味に時間を費やしたい、などと考えていた人には大打撃だろう。
経済学では、労働とは「自分の時間を他人に売り渡す」ことだと言われる。だから、その時間は買った他人=経営者が自由に使っていい。その命令に、労働者は黙って従う。夢の年金生活をささやかな希望にして、三十数年をいわば「年季奉公」する。その後に、ようやく自分の時間を、自分の好きに使える。現代の労働だって、本質的には丁稚奉公と何も変わりがないのである。
しかし、そういう希望さえ、すでに破綻していることが宣告されたわけだ。労働者の怒りはもっともで、政府の年金政策・所得再分配における失政は当然追求すべきだし、こんな事態を招いた責任も大きい。とはいえ、個人的には「人生100年時代に退職後を年金だけで生きていけるか?」という問題の立て方には、やや違和感がある。
なぜなら、これは「100年」という人生の時間を職業について労働する時期と、退職して年金で暮らす時期にくっきりと二分しているからだ。日本の終身雇用モデルに近い。生きる時間が増えても、生き方自体は従来と何も変わっていない。「労働か? 隠棲か?」という二分法で人生を考えているわけだ。
だが、本来、この「人生100年時代」という言葉を流行らせた書籍『ライフ・シフト』で述べられていたのは、そういう人生イメージそのものを変化させることだった。
たとえば、同著で述べられている例の一つでは、大学を出てから会社に入り、子育てをしながら中年まで働く。子どもがある程度大きくなったところで、一度会社を辞めて、また学校に入って新たな技術を習得し、別な仕事に就く。それを10年ほど続けた後、またその仕事を辞める。今度は世界を旅行し、そこで得た見聞を元に自分でNPO法人を作って社会に貢献する。最終的に引退するのは80歳というようなコースだった。
つまり、そもそも「人生100年時代」は「働くだけ働いて、退職したら後はのんびり暮らす」という単線的イメージではなく、仕事をしては辞め、また働いて十数年したらまた辞めて……というような数回のスイッチング・ポイントがある曲がりくねったライフ・コースだったのである。
これは、テクノロジーや知識の発達を考えても自然な変化だ。学校で習得したスキルや知識は10年たつと古くなる。当然、仕事でも使いものにならない。そればかりではない。10年たつと、当初抱いていた興味も熱意も薄れてくる。私の父はエンジニアだったが「研究テーマは10年ごとに変える」と言っていた。「だいたいのことが分かると面白くなくなって、良い実験も出来なくなる。だから次のテーマに移る」と。
しかし、このような曲がりくねった人生コースを平気でたどっていけるには、それなりの準備も必要だ。生きていくために何でも与えられた場所で頑張る、というような生き方では、途中のスイッチング=切り替えは努力の挫折でしかないだろう。たとえ、要領が良くても「出来る人には、仕事が集中する」のがこの世の常だから、途中でバーン・アウトするのがせいぜいだ。
たしかに、若いときなら、まだ気力も体力も充実しているから回復も早い。とにかく体験していくうちに自分の隠れた適性に気づいたり、自然に技能が身に付いたりする幸運もあるかもしれない。それでも、いろいろ経験を積んで中年以降になると、そういう力任せの方法ではうまくいかなくなる。自分の得意なこと、そうでないことの区別も分かってくる。要求されたからと言って、不得意なことや嫌いなことをやっているだけでは気持ちも消耗する。そのストレスを解消しようとして、気晴らしをしようとすると余計な時間も金もかかる。さらに年を取ると、仕事が金稼ぎとそこからの解放というサイクルだけでは満足できなくなる。自分のやってきたこと、やっていくことが何かしら社会や他人のためになり、自分の人生には意味がある、というプライドも必要になってくるだろう。
実は、従来の会社でも、擬似的とはいえ、そういうライフ・コースに合わせたようなポストが提供されてきた。たとえば、若い頃は営業の現場に入って、とにかく現実を経験し、それが一段落すると、部下を付けてそのケアをさせる。さらに、その先は「責任ある地位」につけて、組織全体のために頑張らせる。曲がりなりにも、ライフ・イメージとビジネスを適合させようとはしていたのである。