「語学の専門家」というだけでは通訳ガイドができない理由を探りました。
2019年07月17日
外国人旅行客を取り込もうと、全国各地で「インバウンド」を誘致する取り組みが行われています。ただ、適切な通訳ガイドができなければ、リピーターとなってくれません。観光目的もあれば、ビジネス目的での来日による接待もあるでしょう。「論座」編集部では、通訳ガイドの古屋絢子さんの連載記事とともに、8月3日にワークショップ「私にもできるかも! 外国人客のガイドに必要なスキルを学ぶ」を開きます。申し込みはここをクリックしてください。(ワークショップは修了しました)
日本に訪れる外国人客は、日本人ガイドに対して何を求めているのか?
「日本人ガイド」の中には、有料ガイドもいれば、ボランティアガイドもいるし、知人・友人によるガイドあることもあるだろう。
程度の差こそあれ、ガイドがお客様のニーズを把握することは大切だ。
筆者の経験から、多くのお客様は有料で旅をコーディネートする「通訳ガイド」に対し、次の四つのことをイメージしている。
① 日本に関するあらゆることを相談したい
② いまの日本と日本人のリアルな姿を教えてほしい
③ 特定のテーマで案内をしてほしい
④ 旅先で出会う日本人との橋渡しをしてほしい
・安全に(=交通手段や食事場所の手配など、旅の段取りを整える)
・楽しく(=日本の魅力を伝え、お客様を喜ばせる)
・快適に(=お客様の不便さの解消、より良いサービスの提供)
東京都内の1日ツアーを依頼されるお客様にこの傾向が強い。彼らは来日直後(ほとんどが翌日)に個人ツアーを手配することで、観光を楽しむだけでなく、日本滞在中のイロハを効率よく知りたいのだ。実際に、このケースでは、切符の買い方や電車の利用法といった実用的な知識のみならず、日本の文化・習慣、旅行のアドバイスを手厚く説明することになる。例えば、玄関での靴の脱ぎ履き、お箸の使い方などは、日本人にとっては当たり前のことでも、外国人客にとって一見わかりづらく、非常に関心の高い話題である。
その背景にはお客様の中に「日本でのルール・マナーを守り礼儀正しく振る舞いたい」という気持ちがある。こうした、旅先の文化習慣を尊重しようとする姿勢に感激し、感謝しつつ、様々な話題を、押しつけにならないよう加減しながら伝えている。
日本人の一般的な気質として「本音と建前」がある。それゆえに日本人は何を考えているかわかりにくい、という印象を持つ外国人も少なくない。ガイドの際、一般的には政治と宗教の話には慎重になるが、特に欧米のお客様ははっきりとした口調で「安倍政権についてどう思うか?」と、一般論と個人の意見を同時に尋ねられる。
東京都内のガイドの際は、東京周辺で暮らす人の生活について様々な切り口から紹介する。住まい、働きかた、家族、医療、教育、余暇の過ごし方、年金……。意外と思われるかもしれないが、ガイド中の話題は観光地の説明や歴史・文化のみならず、政治経済、社会問題もカバーすることになる。
お客様の要望をもとに組み立てるカスタムツアーの中には、個人の趣味や嗜好が色濃く反映されたものもある。先日案内したアメリカからの60代のご夫妻は、ご主人が万年筆のコレクター。これまでにネットショッピングで購入歴のある専門店をリストアップし、2日間の東京都内のツアーで、そのうちの数カ所を訪問するように旅程を組んだ。驚いたことに、数件の専門店には彼らのような海外からのお客様が足を運んでいた。ひとつのことを極めるマニアに国境はないのだと実感した。
観光とは一味違った、印象深いツアーも紹介しよう。
依頼主は20年前に東京都内に3年ほど暮らした経験のあるアメリカの50代女性。大学生のお嬢さんが友人と来日するので、彼女の生まれた病院と当時住んでいたアパートを探し出して連れていってほしい、という内容であった。ツアー当日、若い娘さんとともに、地図を片手にバスや電車を乗り継ぎ目的地へ。閑静な住宅地の中で小さなアパートが当時のままの姿で残っていたのを発見したときには、全員で拍手喝采して盛り上がった。
この要望は潜在的なもので、茶道や陶芸などの文化体験でお世話になる先生や職人さんといった、予定されていた場での通訳と、たまたまお店や電車で隣り合った人との会話の通訳の2種類がある。
前者はあらかじめ先方と打ち合わせし、当日の体験内容の英訳や、補足説明などを準備することが可能である。しかし、後者は時と場合によっては、ガイドが仲介せず、あえてお客様と地元の方で直接コミュニケーションをとってもらうほうが良いこともある。
いずれにせよ、情報の発信者がガイド本人でないときは、自分の存在を主張せず黒衣に徹するように心がけている。
私が都市部の個人ツアーで必ず用意するものを「七つ道具」と呼んでいる。団体のツアー、トレッキング等の自然を楽しむツアーでは多少道具が増えるが、基本は変わらない。
① 地図(日本地図、ガイドする地域の地図、ホテル周辺の地図の3種類)
② 筆記具(消せるボールペンで赤と青)
③ スマートフォンとタブレット
④ 天候対策(梅雨時は軽量の折り畳み傘と給水素材の傘ケース、夏場は帽子とサングラス)
⑤ タオルハンカチ
⑥ ウェットティッシュとポリ袋
⑦ 大粒ミントタブレット
では実際に1日都内観光個人ツアーを例にとり、上記の七つ道具をどこで、どのように使うかを解説しよう。
【ある日の都内観光 個人ツアー】
お客様:初来日のイギリス人ご夫婦(60代)
9:00 新宿のホテルロビーでお客様と合流
「① 都内の地図」を見せながら訪問先を「②筆記具」で書き込み確認。
10:00~11:00 築地場外市場
刺身、玉子焼きなど、その場で食べ物を楽しめる店舗も多い。食後は「⑥ウェットティッシュ」を差し上げ、小さなごみは持参した「⑥ポリ袋」に入れて持ち帰る。
11:30~14:30 谷根千(谷中・根津・千駄木)
東京でも下町の風情を残すエリアを散策。根津神社では手水舎で手を清める際に「⑤タオルハンカチ」を貸出す。春のつつじ祭りの様子を「③タブレット」に用意した写真で紹介すると、花好きなお客様が喜ばれた。いわゆる観光地とは異なる住宅地を通りながら、東京の人の暮らしについて語った。路地裏散策は地域に詳しいガイドだからこそできる案内。途中、谷中銀座商店街周辺の飲食店で昼食をとる。食後に「⑦大粒ミントタブレット」をすすめると好評。突然の雨に見舞われたが、「④折り畳み傘」でしのぐことができた。
14:30~16:00 上野
谷中霊園を通り、上野公園までを散策。谷中霊園ではお墓の話から、仏式の葬儀や日本人の家族観に話が広がった。上野公園では少し足をのばし、不忍池へ。今が見頃の蓮の花を観賞。後日、お客様自身で都内観光をする予定なので、上野の国立博物館を勧めた。
17:00 ホテル
帰着、ツアー終了翌日以降の旅程のアドバイスをし、ツアー中に使用した「①都内地図、地下鉄路線図」をお渡しし、終了。
個人ツアーでは、お客様をよく観察しつつ、対話を重ねることが、ツアー成功の鍵となる。
例えば、ツアー開始時には、お客様との会話から、相手の背景を知り、訪日動機、ツアーに期待することや趣味・嗜好といった情報を得て、より興味関心の高そうな場所や体験を推薦することもある。また、お客様の体力や移動手段のコストと利便性を考慮し、無理のない旅程を提案することも求められる。
「通訳ガイド=語学の専門家」という印象をお持ちの方から、外国語での会話能力がガイドに最重要の資質かと質問されることがある。
確かに外国語で話す力は必要だが、それ以上に、お客様の発言を聞き取る力のほうが重要であると考えている。これは単に外国語のリスニング能力のみならず、相手の発言の意図をくみ取る能力をも指す。
さらに付け加えるならば、常に「なぜ?」という問いを持ち続けること。これは身の回りのことや観光地を「当たり前のもの」「そういう習慣だから」の一言で片付けず、海外から初来日されたお客様の新鮮な眼差しで見つめ直すことだ。彼らの視点から素朴な疑問や興味を引きそうな説明を考え、さらにその答えを調べることである。余談だが、筆者の中にはこのような「外国人客の視点」が常にあり、今や日常生活やプライベートで旅行中も、反射的にその視点でものを見て考える習慣がついてしまった。もはや職業病である。
通訳ガイドは、時に観光地や地元の名物を情熱的、かつ魅力的に語ることもあるが、一方でガイドの意見を押しつけない冷静さも必要になる。この仕事には、バランス感覚が重要であると痛感している。
これまで紹介した取り組みは、すでに全国の通訳ガイドの先輩たちが長年にわたり実践されていることかもしれない。しかしながら、良質な通訳ガイド(これまでは資格保持者を意味した)が都市部に偏在していることも事実である。地方でのインバウンド観光が飛躍的発展する中、お客様にとって大都市からガイドを帯同させるにはコストの面で大きな負担となる。一方でガイドにとっても、勝手のわからない土地の案内には常に不安がつきまとい、どこか表層的な内容になってしまう可能性もある。
そこで筆者は、通訳ガイドとしてインバウンドの最前線でツアーをしながら、全国各地のガイド養成事業などでも講義・指導を行うようにしている。次回は、こうしたガイド養成の取り組みと、そこから見えてきた「地域ガイドの可能性」について語りたい。
外国人観光客や留学生、就労者の増加で、日本は今、多様な人が暮らす社会へと急速に変化しています。私たちにできるおもてなしは何か。どうコミットしたらいいのか。彼らは私たちに何を求めているのか。互いを知るため、一歩踏み出す機会としてワークショップを開催します。一緒にガイドのこつや心得を学びましょう。
◆講師
全国通訳案内士(英語)。東京都出身、お茶の水女子大学大学院修了。日本科学未来館、東京大学を経て2013年に全国通訳案内士試験合格。個人ウェブサイトはここから。
【通訳ガイド稼働実績】*言語は全て英語
2017年度:120日 (個人ツアー 110日 / 団体ツアー10日)
2018年度:170日(個人ツアー 60日 / 団体ツアー110日)
◆開催日時・会場
8月3日(土)13時~16時(12時30分開場)
朝日新聞東京本社 本館2階読者ホール(地下鉄大江戸線築地市場駅すぐ上)
◆チケット代・定員
参加費2000円、定員72人(好評のため増やしました)。申し込みが定員に達した時点で締め切ります。
◆参加申し込み方法
Peatixに設けられた「論座」のイベントページから参加申し込みをお願いします(ここをクリックするとページが開きます)
◆ワークショップの概要
第1部「お客さんは何を求めているのか」【講義中心】
・現役ガイドの経験からアドバイス。ガイドの心得や外国人が好むポイントとその対処法を紹介します。
第2部「異文化ギャップ 私ならこうする」【グループワーク中心】
・古屋さんが経験した異文化ギャップを例題にして、グループごとに自分ならどうするかを考え深めてもらいます。(古屋さんからのフィードバックもあります)
第3部「こんなこと質問されたら」【グループワーク中心】
・古屋さんがお客さんによく聞かれる質問を例題にして、グループごとに自分ならどうするかを考え深めてもらいます。(古屋さんからのフィードバックもあります)
※講演・ワークショップは日本語で行います。必要に応じ、英語表現を紹介します。
◆みなさんへのメッセージ
海外から日本に来る人がどういう視点で旅をしているのかを知り、日本人が当たり前だと思っていることを見直す機会になればと思います。これまで一歩を踏み出せなかった方、学生の方も大歓迎です。
◆主催
朝日新聞「論座」編集部
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